出会い7
ワープはとぼとぼと中庭を抜け、温室へ向かっていた。殺されかけた直後なのだから気分が上がらないのは当然だが、それ以前に何も知らず呑気に生きていた自分が恥ずかしかった。
自分の身を狙う者がいるなんて考えたこともなかったし、自らの身分を省みたこともなかった。思えば自分は次期祈りの巫女。いずれはこの王国の象徴となるのだ。 あまりの重圧にため息がこぼれる。
「随分不景気なものだな」
不意に背後からかけられた声にワープは飛び上がる。
振り向けば、この上なく厳しい顔つきのケットがこちらを見ていた。彼の方が頭3個分くらい背が高いので、見下ろされる形になる。
「すっすみません!!すみません!!」
反射的にぺこぺこと頭を下げるワープに、彼は気を悪くしたようだった。
「……いや、怒っているわけではないのだが」
どうやらしかめっ面は彼の地顔であるらしい。
「すみません……」
謝罪の言葉しか口に出せず、ワープは恐縮してしまう。
そんなワープのために優しい表情になろうと相当苦心したのか、ケットはなんだか酸っぱそうな顔を浮かべる。大変失礼なことだが、あまりにおかしいその顔に、ワープは吹き出してしまった。
「ふふっ!」
「む……」
ケットは心外だと言いたそうにしかめっ面に戻る。
「す、すみません……」
「……いや」
ふっと自然に表情をゆるめるケット。
「そう気張らなくともいい。笑いたければ笑え」
ワープは面食らって目を丸くする。それから、言われた通り笑顔になる。
(それって、ケットさまにも言えることです)
という本心は言わないでおく。
「セイルとアナはもう温室で待っているぞ。お前が遅いから、何かあったのかもしれないと思って探しに来たんだ」
「あ、」
ぎくりとして物を言いかけたワープだが、何から言ったものかわからずそのまま止まる。
そんな彼女をみて何かあったらしいことを読み取ったケットは、
「まずは温室へ案内してやろう。話はそれからだ」
そう言ってずんずん中庭を横切っていく。あわてて後を追うと、彼はまっすぐに芝生の上を歩き、そしてあのガラス造りの人形の家にたどり着いた。
近くで見る温室は驚くほどきれいで、中を覗いたワープは思わず歓声をあげた。
「うわあ……」
床も、壁も、天井まで、一面が花で一杯だ。色とりどりの花ばなが咲き乱れる脇には小さな水路が敷かれ、温室中に潤いを与えている。
花に囲まれた中央のテーブルでは、アナがティーポット片手にお茶の準備をしていた。
「あ、いらっしゃい」
ワープに気づき、アナは優しく微笑む。
「遅かったな。迷子か?」
テーブルに着いてクッキーをかじっていたセイルが、からかうように言う。
ワープがまごまごと入り口で固まっていると、ケットがテーブルに着くよう勧めてくれた。
「あ、ありがとうございます」
アナが良い香りの紅茶と砂糖をまぶしたクッキーを差し出してくれる。甘いものが大好きなワープは感激してお礼を言ったが、自分から手を伸ばす勇気が出ずに結局また勧められるまで固まってしまった。
「おいしい?」
「あ、はい!!とてもおいしいです」
紅茶は濃い上品な味で、クッキーは甘くて香ばしくとても美味しかった。
しばらくのんびりしたお茶の時間を楽しんだ後、ワープは気にかかっていたことを尋ねてみた。
「あのぅ……みなさんは、私が次期巫女だとわかっていらしたんですか?」
ラインに一目で看破されたことを思い返して訊いてみると、三人共見事に頷いてくれた。
「そりゃあお前、その瞳の色を見ればわかるだろう」
当たり前だ、と笑い飛ばすセイル。
「混乱するのもわかるよ。僕たち、どう考えても次期祈りの巫女に対して礼儀知らずだもんねぇ」
にこにこと他人事のように言いながら、アナはおかわりの紅茶を注いでくれた。
「校長から通常の編入生と同じように接するよう言われたのだ。それに俺たち自身その方がよいと感じたからな。気を悪くしたか?」
「いいえ!!そのようなことはないのです。あの、私としても身分を気にせず接して頂いた方が救われるといいますか」
ワープはどぎまぎしながら、緊張まぎれに紅茶に口をつける。
そんなワープを見て、アナが楽しそうに、
「ワープって変わってるね」
と漏らす。ますます恥ずかしくなり、ワープは必死にティーカップの中をにらみつけた。
「それで?お前、何をしてて遅れたんだ?」
ぎくっと身を震わせるワープ。セイルがいたずらっぽくこちらを見つめている。
「迷子か?それとも何かあったのか」
「う……あの、迷子、も間違いではないのですけれど……」
ワープは意を決して、先ほど起こった出来事を話した。
たどたどしく要領を得ない説明ではあったが、三人は理解したらしく驚いたように顔を見合わせた。
「神落としのことは知っていたが……まさか学園の中にまで入り込むなんてな」
セイルが低い声で呟くと、ふたりは頷く。
「ワープ、よく無事だったね。怪我はないの?」
「は、はい。かすり傷くらいです」
「見せて」
穏やかだが抗いがたいアナの言葉に、ワープは擦りむいた膝や腕を見せる。
「あの、ひどい怪我ではありませんし……」
「駄目だよちゃんと治療しなきゃ。ケット、消毒して絆創膏貼ってあげて」
どこに持っていたのか救急箱をケットに押し付けるアナ。
「いやかまわないが、なぜ俺に頼むのだお前は……」
困惑しながら救急箱を受け取り、ケットはワープの前に座る。
「あああ、あの、本当に大丈夫ですから!!そんなご迷惑をかけるわけには……」
「気にするな。世話ついでだ」
「あうう、では私自分でやりますので!!お気になさらず」
今日一番の素早さで救急箱をひったくり、ワープは消毒液を膝に塗る。
「……それは消毒液じゃない。軟膏という物だ」
「えっ……ひぎゃっ!!」
途端に膝に激痛が走り、ワープは飛び上がる。
「やっぱりケットに任せな。見てらんないぜ」
実際目を手で覆ったセイルに言われ、ワープは半泣きで従う。
「すみません……」
「気にするな」
ケットはガーゼで軟膏を拭き取るところから初め、見事な手つきで手当てをしてくれた。あっという間に膝と腕に包帯が巻かれる。
「ありがとうございます」
気恥ずかしく顔を上げられない。ケットは満足そうに頷くと、テーブルに戻って紅茶で一息ついた。
「だが本当によくそのくらいの怪我で済んだな」
「あ、それは、ライン・クロラットという方に助けていただいたからなのです」
ラインの名が出た途端、三人の目が驚きに見開かれる。
「ライン?ライン・クロラットって、真っ黒で目付きの悪い奴か?」
「は、はい……えっと、確かに瞳も髪も黒でしたね」
「珍しいな。ラインの名が出るとは」
ワープは、どういうことでしょう、と首をかしげる。
「ラインはおれたちのクラスメイトなんだ」
「クラスメイト……」
ご学友なのですか、と言いかけ、ふとラインは騎士候補生だということを思い出す。
「あなた方は、騎士候補生なのですか!?」
驚愕して尋ねる。道理でただ者でないと感じるはずだ。学問、教養、身体能力、すべての分野において秀でた才能を持つ騎士候補生。確かにこの三人にはその片鱗が見える気がする。
けれどあまりに強烈で個性的な為、ワープの持つ騎士のイメージにまるきり合わず、それに当てはめてみることなど考えもよらなかった。
「そうだ。お前を守る為におれたちは居ることになるな」
「では、みなさんと出会うために私は学園に来たということになります」
ワープはどきどきしながら言い、息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
まだ授業も受けていないというのに、巫女の騎士候補生たちとこんなにすぐ出会えるなんて。嬉しさが込み上げる。
「そうだね。これからよろしくね、ワープ」
微笑みと共に挨拶してくれたアナにこちらこそと返し、深々と頭を下げるワープ。
「それなら、ワープ。お前の身を守る立場として言うが、お前はひとりで行動すんなよ」
「えっ?」
「神落としの連中は最近力を強めてきてる。その上今日みたいな事があったんじゃ、学園内だって絶対安全じゃないからな」
腕を組んでそこまで言うと、セイルは得意げに笑う。
「まあここには運良く優秀な騎士候補生が居る。遠慮せず頼れよ」
「今日は運良くラインが居てくれたが、毎回偶然は重ならないからな」
ワープは順々に三人を見ていく。
「それは、そのぅ、私と、友達関係を築いてくださるのですか?」
「ま、わかりやすく言えばな」
にっと笑うセイル。ワープは感激して立ち上がり、何度も頭を下げた。
「ありがとうございます!!」
同年代の友だちというものに人一倍の憧れを持っていたワープは、嬉しさのあまり頭が爆発しそうだった。
あまりの喜び様に面食らったようにしていた三人も、初めて心から嬉しそうに笑うワープを見て自然と顔をほころばせていく。
しばらくしてワープの興奮がいくらか収まると、セイルがふと真剣な表情で言う。
「ま。ということでおれたちはお前を守る気ではいるが、いつもべったりくっついているわけにはいかない。お前も十分気をつけろよ」
「は、はい」
少し怯えた表情になるワープに、アナが優しく
「大丈夫。学園の中ならそう簡単に手出しできないよ」
「そうですか……」
でもさっきは簡単に襲われてしまったんだよなあ、と不安を拭いきれないワープ。
その時、鐘の音が休憩時間の終わりを告げた。
「もう時間だ。お前は出歩かない方がいい。校長室まで送るから、校長に報告することだ」
ケットが立ち上がりながら、厳しい口調で言う。
「わかりました……」
思いやってくれていることはわかっても、やはり怖い顔で命令されるのは恐ろしい。怯えた顔のワープに気がついたアナが、ケットをたしなめる。
「ケット、優しく言ってあげないと駄目でしょう?」
「むむ……」
ケットは咳払いをひとつする。
「では、お送りしましょうお嬢さん。……これでいいか?」
「てくてくねこさん、が可愛いと思うよ」
にこにこと楽しそうに提案するアナを、ケットは鬼のような目で睨み付ける。
「だから、なぜお前は俺にねこさんと言わせたがるのだ」
「可愛いから」
嬉しそうに言うアナに何も言い返せず、ケットは深いため息をついた。
「まあ、いい……。とにかく校長室までお供しよう」
「あ、ありがとうございます」
ワープは丁寧にお辞儀をする。
「セイルも行ってあげなよ。僕は温室の片付けをするから」
「しょうがねーなぁ」
セイルとケットに挟まれるような形になったワープは、緊張して身を固くする。ふたりともワープより遥かに背が高いので、威圧感がすごいのだ。
「じゃあ気をつけてね」
ティーポットとカップを片付けながら、アナが笑顔で見送る。
「はい。あの、ありがとうございました」
あわててお礼を言いながら、ワープはふたりに押されるようにして温室から出た。