出合い5
3人と別れたワープは、広い中庭をうろうろとさまよっていた。アナに言われた温室を探しているのだが、何せ広い中庭である。隅にあると言われても、どこが隅なのかがわからない。
「どうしましょう……」
困り果てて見た先は、高い高い時計塔。
「…………」
あそこから見下ろせば、見つけられるかもしれない。それに、上ってみたい気持ちには依然変わりない。
決心したワープは、時計塔に向かって歩き出した。
見事な石造りの時計塔だ。時計の針や屋上の欄干に上品な装飾が施され、古いとはいえ美しく、気高ささえ感じられる。
やがて時計塔の入り口にたどり着いたワープは、ドキドキしながら中へ足を踏み入れた。
「うわぁ……」
石の壁で囲まれた内部はひんやりと涼しい。螺旋階段がズラッと屋上まで続き、吹き抜けの天井からはスポットライトのような光が射し込んでいる。
遥か上方に時計のからくりが見え、屋上までは日差しが眩しくて見えない。上るのは大変そうだ。 ワープは一瞬圧倒されたが、それでも気合いを入れ直して階段に足を掛ける。そして一歩一歩上っていった。
カツン、カツン、とブーツと床がぶつかる度に音が響く。せっせと上っていくが、いくらも行かないうちに息がきれてしまった。
膝に手をついて息を整えていると、遥か上の方からもうひとつの足音が聞こえてきた。
(誰か居るのでしょうか……)
ゆっくりと、少し気だるそうなスピードで降りてくる。誰だろう、と思っても、まだまだ足音の主は現れそうにない。
「よしっ」
自分に一声かけてやり、ワープは再び階段を上り始める。なぜだろうか、足音の主に会いたいという気持ちが、ごく自然に沸き上がったのだ。
懸命に上っていく。段々と足音が近くなる。上に人影が見え、もう少しでその姿が見えるというところで、ワープは足を止めた。
その人物は、同世代の男子生徒だった。闇のような漆黒の髪をひとつに束ね、後頭部で止めている。その髪と同じ色の深い黒眼は静かにワープを見つめていて、何の表情もうかがえない。
日の光が彼の姿を縁取っていて、それがひどく印象的だった。
「あの……?」
困惑するワープを冷たく見やると、青年は何も言わずにすれ違い、そのまま降りていってしまう。
「あっ、待って!!」
とっさに呼び止める。
(ど、どうしましょう。どうしたらよいのでしょう)
訝しげにこちらを見てくる青年。呼び止めたはいいものの何を言ったらいいかわからないワープは、困窮して押し黙ってしまう。
そんなワープに興味をなくしたように、青年は再び背を向けてしまう。ワープはあわてて声をかけた。
「あの、あなたは授業に出ないのですか?」
「…………」
つまらなそうに振り向き、青年は淡々とした口調で言った。
「お前こそ」
ワープはうっと息をつめる。
「わ、私は明日から授業なのです。編入させていただく身ですので」
青年はじっとワープを見つめ、それからふぅん、と頷いた。
「どっちでもいいけど」
本当にどうでもよさそうなその口調に、ワープは泣きたくなる。仮にも次期祈りの巫女だというのに、情けない。
「……お前が、リフィル・ハートレットの弟子か」
不意に発せられた師匠の名前に、ワープは目を丸くする。
「リフィルさまを知っているのですか?」
「……知っている」
青年の瞳が微かに揺れる。それが彼の見せる初めての表情の変化だった。
しかしそれも僅かの間だけで、すぐに元の無表情に戻る。
「巫女の騎士になるためにこの学園に来た者なら皆知っている名だろう。それに、お前が次期巫女ということはすぐにわかる」
そう言われ、ワープははっと気づく。
自分の紅色の瞳。それは祈りの巫女となる者にしか表れないものなのだ。
ワープは青年を見つめた。思慮深そうな黒眼と視線を交わしたとき、心の中に閃くものがあった。
「あなたは、巫女の騎士候補生なのですか?」
青年の目が意外そうに見開かれる。
「……すぐにわかることだ」
呟くようにそう言うと、青年はカツン、カツン、とブーツの音を立てながら階段を降りていく。
「あああ、あの!!」
大慌てで呼び止めるワープに仕方なさげに立ち止まり、青年は呆れたように
「何度も騒がしいなぁ」
と文句を言う。
「すみません……。あのぅ、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?あ、私はワープ・セベリアといいます。よろしくお願いいたします」
深々と頭を下げるワープ。
青年はため息をつき、
「……ライン・クロラット」
と名前を呟いた。
それから青年……ラインは、一度も振り返らずに階段を降りていってしまった。
残されたワープは小さくなっていく足音を聞きながら、思案を巡らせる。
(あの方は、私の騎士になってくださるかもしれないひとなんだ……。なんだか怖いひとでしたけど。でも……)
あの黒の瞳の中には、冷たさだけではなく、確かに優しい輝きがあった気がする。でもどこか、他人に心を許さない厳しさが感じられた。
まるで、深い悲しみを抱える心を見せまいとしているような―。
何となく気になったワープは、しばらく階段に立ち止まり、ラインの足音を聞いていた。