黒の少年
ワープがフィリエット学園にやって来て、一週間が経った。今日はワープにとって初めての休日である。
もうお馴染みとなった温室に赴くと、セイルたちはいつもの制服ではなく、私服を来てテーブルについていた。
「おはよう、ワープ」
ティーポットを片手に、アナが微笑む。
「おはようございます」
いつもと雰囲気の違う三人にどぎまぎしていると、
「お前、休日だってのに制服か?」
セイルが呆れたように言う。
「私、制服の他は巫女衣装しか持っていないんです」
ちなみに休日はお祈りの日なので、今朝巫女衣装にはお世話になりました、とにっこりするワープに、三人はため息をつく。
「年頃の娘だってのに、質素な奴だな」
なぜですか?と首をかしげると、いよいよ三人共うなだれてしまった。
「わかった。街へ行こうよ、ワープ」
アナが提案する。それも強い口調で。いつも穏やかな彼が少しでも語彙を強めると、抗い難い力を持つ。
「そりゃいい。娘らしい服のひとつでも買え」
セイルがからからと笑う。
「いい世間勉強になる。我々と一緒なら校長も許可してくれるだろう」
ケットまでもが乗り気で、言われるままに街へのお出かけが決まってしまった。
昼に出発するから校長に外出許可をもらって来いと言われ、ワープは温室を飛び出した。
(街へ、お出かけ)
あまりに急だったので実感がなかったが、ワープは街へ遊びに行くのも初めてなのだ。次第に楽しみになってきて、自然と頬が緩む。
弾んだ足取りで中庭を歩いていくワープだったが、次第にその元気は薄れていった。
周りの生徒の視線が、気になる。
この一週間ずっと感じていたことだが、セイルたちと離れた途端心細くてたまらない。視線だけならまだいいが、なにやら話し声も聞こえてくる。
「あの子がセイルさまたちにくっついてる、次期巫女?」
「まるで巫女らしくないのよ。失敗ばかりして、落ち着かないし。あんな子が次期巫女ってだけでセイルさまたちに親しくされるなんて、許せないわ」
ワープは頬が熱くなるのを感じ、人目を避けるように中庭を駆け抜けた。
「おい、あれが編入してきた祈りの巫女か?」
「そうだよ。あんな娘が祈りの巫女じゃ、騎士もやりきれないよな」
たまらなくなって、ワープは中庭を横に逸れ、人気のない場所へ向かう。ひとりで人のいないところへ行くのは禁じられていたが、そんなことを考える余裕はなかった。
ついた先は、時計塔。その下に膝を抱えて座り込む。一滴、二滴、涙が膝を濡らした。
悔しい。
あんなことを言われて。でも何も弁解できない自分が、悔しい。
確かに自分は何も出来ない世間知らずの小娘だ。騎士候補生と釣り合う巫女には見えないだろう。
(セイルや、アナや、ケットは……私が次期巫女だから。守る対象だから。無理に友人になってくれたのでしょうか)
信じたくない。初めての友だちとの友情が、そんなものだったなんて。
でも……。
ひとり泣き続けていると、誰かがこちらへやって来るのを感じた。あわてて立ち上がろうとしたのだが、体に力が入らない。
足音はワープの目の前で止まった。
「……お前」
聞いたことのある声。
黒い瞳が、こちらを見下ろしていた。
「あ……」
ライン・クロラット。彼もまた制服ではなく、黒いシャツとズボンを身に付けていた。まさに黒づくめである。
「す、すみません。すぐ退きますから」
思わぬ人物の登場に、ワープはなんとか立ち上がって、急いで去っていく。
すると、腕を掴まれて引き止められた。黒いグローブを着けた手に、力強く。
驚いて振り向くと、輝く黒の瞳がこちらを見つめていた。
「ワープ・セベリア」
「は、はい……?」
掴まれた腕とラインの顔を交互に見て、ワープは瞬きを繰り返す。
「何を泣いている」
率直な問いを投げかけられ、ワープは笑ってしまう。笑っているうちに悲しくなって、益々涙が溢れてくる。いくら拭っても、涙は止まってくれない。
「私、私は……」
一生懸命目をこする。ぼろぼろと泣き続けるワープを、ラインはじっと見つめる。
「私は、祈りの巫女に、なれるのでしょうか。巫女の騎士に、国民に恥じないような、立派な巫女に、なれるのでしょうか」
しゃくりあげながら弱々しく問う。
ラインはワープの腕を放した。
まだよく知りもしない相手に問うことではない。その上、仮にもラインは騎士候補生だ。巫女となる者が弱音を吐くのを、快く思うはずはない。
けれど……。
しばらく黙っていたラインだが、やがて口を開いた。
「お前が泣いているうちは、無理だ」
「泣いている、うちは……?」
「祈りの巫女は、泣いてはいけない。常に強く、自信に満ち、正しくなくてはならない」
堂々と言い切る。
ワープはラインを見つめた。黒い瞳と、紅色の瞳が交わされる。
「だから泣いているうちは、お前は巫女にはなれない」
「…………」
「……何があったのか知らないが」
ラインは不意に顔を背ける。
「あれこれ悩むのなら最善の努力をした後にするんだな。でないと筋が通らない」
「……ラインさま」
ワープは感謝をこめて頷いた。
確かに何もしないで自分の無力を嘆いていても、意味がない。全力で精進する。それが今の自分に出来ることなのだ。
「巫女というだけで誰もが敬ってくれるわけじゃない。お前自身がどうあるかだ」
その言葉は、胸の奥に染み入った。ワープはラインを見つめ、丁寧にお礼を述べる。
「ありがとうございます。私、頑張ります」
「勝手にしろ」
つっけんどんな返事に、ワープは少し微笑む。
胸にあった重いしこりが、すぅっと溶けたようだった。
ラインはもう何も言わず、未練なく歩き去っていく。その後ろ姿に頭を下げ、彼の姿が見えなくなると、ワープは胸に手を当てて深呼吸した。
(何事も、努力してから。頑張ろう。私は、次期祈りの巫女ですもの)