新生活3
午前中の授業が終わった時、ワープの魂は抜けていた。
授業の難易度は想像より遥かに高く、何もかもがちんぷんかんぷん。特に数学という科目は耳にするのも初めてで、理解するどころではなかった。
ワープがすっかり呆けていると、いつの間にかセイルがそばへ来ていた。
「その様子じゃ、順調じゃなさそうだな。次期巫女姫様?」
案の定からかわれ、ワープはうぐっと呻く。
「残念なやつだ」
「ひ、ひどい……」
どうせ残念ですよ、と膨れるワープ。セイルはけらけら笑いながら、冗談だって、と訂正した。
「まだ不慣れなのだから仕方あるまい。ワープには何事もこれからだ」
ケットがアナと共にやって来て、庇ってくれる。けれどいかんせん厳しい顔つきのため、庇われているというよりは叱られているように感じてしまう。
そんなワープの内心に気づいたのか、ケットはしばらく考えた後、不本意そうに
「がんばりねこさん、だ」
と付け加えた。
「頑張ってねって言いたいんだよ」
アナが嬉しそうに補足する。ワープは笑顔になった。ケットのこのねこさん言葉は可愛らしくて、彼の怖い顔に騙されることもない。とてもいいアイデアだ。
「さて昼飯だ。ワープ、食堂に行くぞ」
「食堂、ですか?」
三人が案内してくれたのは、教室棟の地下にある食堂だった。
学校内にあるとは思えないほど広く、料理は高級で美味しそうな物ばかり。バイキング方式で、生徒は何でも好きなものを好きなだけとっていいらしい。
いい匂いに包まれた食堂に入った途端、ワープの腹の虫が鳴った。
「ぶっ!!お前、腹だけははっきりしてんのな」
セイルが笑い飛ばす。ワープは頬を染め、それから
「……セイルのお腹も鳴っています」
「む」
思わぬ反撃に、セイルは口をつぐむ。確かに彼の腹はさっきから空腹を告げていた。
「おれはいいんだよ!!」
「少し無理があるよねぇ」
アナがくすくす笑う。
ワープもつられて笑ったが、なんだか落ち着かない。周りの生徒たち……特に女生徒の視線が気になって仕方ないのだ。それに、男女問わずこちらに距離を置いているように感じる。
「あのぅ……皆さんなぜこちらを見ていらっしゃるのでしょう」
たまらず尋ねると、三人とも口を揃えて気にするなと言い切った。
「ワープが可愛くて見てるだけだから」
アナは笑顔でそんなことを言う。
「それより食べようぜ。おれは腹が減った」
あれこれ悩んで料理を取れないワープを見かねて、結局三人が用意してくれたのは、お皿いっぱいに山盛り乗せられた料理だった。
目の前に置かれたその光景に、ワープは目をぱちくりさせる。
「さあ、食え!!」
胸を張るセイル。ワープははあ、と曖昧な返事をして、お皿を見つめた。
神殿で食べるものといえば少量のパンと野菜だけだったワープにとって、初めて見る料理ばかりである。
「これは何ですか?」
なにか黒い塊を指差して尋ねる。アナが向かいの椅子に座りながら答えた。
「ハンバーグ、っていうんだよ」
「はんばーぐ……」
ケットはワープの、セイルはアナの隣に座り、各々料理をテーブルに置いた。ワープはそれを見て、あわてて抗議する。
「あの、皆さん。なぜ私のお皿だけこんなに山盛りになっているのでしょう」
三人のお皿にはきれいにひとり分のパンとおかずが乗っている。
「いいだろ。お前ちまっこいから、栄養つけないとな」
セイルはハンバーグにナイフを入れながら答える。
「お前に足りない栄養を考えたら、自然とこうなったのだ」
さも当然、という顔をして、ケットも料理を口に運んでいく。
「……私、そんなに発育不良に見えますか」
ショックを隠しきれないワープに、アナが優しく言った。
「大丈夫。ちゃんと食べれば背も伸びるよ」
「…………」
ワープは涙目になりながら、もう何も言わずに食べ始めた。
大いに不服ではあったが、料理はどれも美味しかったし、友人と一緒の食事というのは心踊るものだった。
しかし山盛りにされた料理はいくら食べても減らない。必死に口に詰め込むワープを見かねてか、
「ああもう。悪かったよ、貸せ!!」
セイルが強引に皿を引ったくり、ワープの代わりに食べ始めた。
「次からは自分で選べよ。言っとくけど、うだうだ悩まずさっさとな!!」
「は、はい!!すみません」
しゅんとしょげてしまうワープ。食後の紅茶を飲んでいたアナが、咎めるようにセイルを見た。
「こら。こっちが調子に乗ってお皿に盛ったんだから、ワープを責めちゃかわいそうでしょ?」
「いいんだよ。だから代わりにおれが食べてやってんだ」
がつがつとワープの残した料理を食べていくセイル。アナは肩をすくめ、ワープに向き直った。
「授業が終わったら温室へ行こう。それが僕らの習慣なんだ」
「あ……そういえば、昨日も」
「うん。温室は僕の管轄だから」
にっこり笑うアナ。花が咲くように可憐な笑顔だ。一見すると少女と見間違えてしまう。
ワープは昨日のことを思いだし、尋ねる。
「セイルとケットはいつも戦うのですか?」
この問いに、セイルは吹き出し、ケットは顔を強ばらせた。
「その言い方だとなんかおかしいぞ」
くつくつと笑いながらセイルが指摘する。
「昨日は月に一度の手合わせをしていたんだ。戦いとは少し違うな」
「でも、ふたりとも真剣で戦っていました。私には本気で戦っているようにしか見えなくて……」
「おれたちは軽い手合わせにだって真剣を使うんだよ。日々修練だ。木刀なんか使っても意味ないからな」
「す、すごいのですね」
驚いて目を丸くするワープに気をよくしたのか、セイルはにやりと笑った。
「まあな。どうだ、騎士候補生の日常は」
「わ、私も頑張らなくてはなりませんね!!」
ひとり拳を握って気合いを入れるワープ。騎士候補生の想像以上の力量に、感嘆してばかりではいられない。自分も修練を積まなければ。
決意を固めるワープを見て、ケットは一声かけねばと思ったらしい。
「ワープ。君は別に俺たちと剣の稽古などしなくてよいのだぞ」
「ふぇっ!?何故ですか!?」
飛び上がって驚くワープ。
セイルとアナが驚いたのはこっちだ、という顔でこちらを見ていた。
「君は武人になるわけではあるまい?むしろ守られる立場の身分だ。剣の修行など必要ない」
少し呆れたように言われ、ワープはあ、と気づく。
言われてみれば自分は次期祈りの巫女だ。剣を取って戦うのは巫女の騎士の役割であり、決して巫女自身のすべきことではない。
恥ずかしくなり、ワープは椅子に深く座って縮こまった。
そんなワープに、セイルが明るく提案した。
「いいじゃねえか。護身くらいできた方がいい。仮にも狙われてるんだからな。そのうち剣技を教えてやるよ」
「本当ですか?」
途端に顔を輝かせるワープ。
セイルは歯を見せて笑い、どんと胸を叩いた。
「おう。任せとけ!!」
「ありがとうございます!!」
守られるだけの立場であることを気にしていたワープにとって、願ってもない申し出だった。
ケットはやれやれ、と苦笑しながら、
「まあ悪いことではないからな。そういうことなら俺がお相手しよう」
「じゃあ僕は美味しい紅茶の淹れ方を教えてあげるね」
ワープがそれぞれにもう一度お礼を言ったところで、昼食の時間はおしまいになった。どうやらワープが料理と格闘しているうちに、かなり時間が経っていたらしい。
気づけばワープの食べ残しは、セイルがあっという間に片付けてくれていた。
「あれ、もうお昼休み終わりかー」
「午後は実技科目の授業だけど、こっちの自信はどうだ?」
からかうように尋ねられ、是非とも「自信満々です!!」と胸を張りたいワープだが、生憎その正反対であったため、口を開きかけたまま何も言えなくなってしまう。
そんなワープを見て、三人はあぁ……と決まり悪そうに黙った。
「……うん。ま、やってみないとわからねえよな!!」
「その通りだ。ワープはただ全力で取り組めばいい」
「大丈夫だよ。応援してるからね」
友人の励ましに慰められ、ワープはこくんと頷く。
「はい……ありがとうございます」
「じゃあ教室に戻ろうか」
三人はワープを取り囲むようにして歩き出す。周りの生徒たちの視線がいまだに気になるワープは、気恥ずかしさを感じながらも守られる形で教室に向かった。
時計塔の鐘が、すべての授業の終わりを告げた。
途端にワープはどさりと机に突っ伏す。
午後の授業は実技科目。男子生徒は武道、女子生徒は作法という裁縫や料理の授業なのだが、結果は散々だった。
針を指に刺した回数は十を超え、たまりかねた作法担当の教師から見学を言い渡された。絆創膏だらけの指で料理をするわけにもいかず、火おこしの役を与えられたのだが、本人を含めた全員の心配通り、そこでも失敗した。
なかなか燃えない火種を必死で吹いていると、勢い余って調理場を灰まみれにしてしまった。慌てた拍子にかまどをひっくり返し、あわや火事一歩手前という事態。
そして2回目の見学を言い渡され、すっかりしょげ返って教室に戻ったわけである。
そんなこととは知らない三人は、教室に戻るとすぐワープに授業の結果を尋ねた。そこで涙に濡れたワープの顔を目にし、ぎょっと身を引く。
「ど、どうした?何かあったのか?」
気遣うように尋ねるセイルに、ワープは顔を覆って大号泣を始めた。
「うわっ。おい、大丈夫か?」
珍しくあたふたし始めるセイル。迷惑とわかっていても、ワープは涙を止めることが出来なかった。
「とにかく落ち着こう。ワープ、一旦温室へ行くぞ」
ケットのこの言葉により、三人は泣き続けるワープをなんとか温室まで運ぶのだった。
花々に囲まれたテーブルにつき、あたたかい紅茶を淹れてもらったワープは、なんとか落ち着いた。
「すみません……取り乱しました」
まだ鼻をぐしゅぐしゅいわせるワープに、ケットが心配そうに尋ねる。
「一体何があった」
「う……」
心配してくれている手前、いかに恥ずかしくとも言わなければならないだろう。
そこでワープは、午後の授業の内容を三人に語って聞かせた。
「…………」
気まずい沈黙。
やがてケットがティーカップを置き、沈黙を破った。
「……まあ、命に関わることでなくてよかった」
それを口火に、セイルがせきをきったように笑いだした。
「おまっお前!!本当に次期祈りの巫女か!?なんだそりゃ!!」
大爆笑するセイルとは逆に、ワープはまた涙目になる。
「う……私だって、一生懸命……」
今にも泣きそうになるワープに、
「大丈夫。ワープは何もかもこれからだよ。気にしないで」
アナが優しく慰めてくれる。彼に感謝の視線を送り、ワープは頷いた。
「祈りの巫女は代々神殿暮らしだ。世間一般の知識を知らなくても無理ないだろうな」
ケットが言う。これは彼なりに庇ってくれているのだろう。
「この学園に来たのはあくまで騎士候補生と絆を深めるためだ。授業のことはさほど気にすることない」
「……ありがとうございます」
他のふたりが口々にワープを慰めるのを見て、
「なんだよ、おれだけ悪者みたいに。ワープ、勘違いすんなよ。おれだってお前を励ます器量くらいあるんだからな」
「は、はいっ。わかっていますよ」
頬を膨らませるセイルに笑いかける。
「励ましてくださってありがとうございます。なんだか元気が出てきました」
それから夕食の時間を知らせる鐘が鳴るまで、四人は談笑を楽しんだ。
ワープは神殿での生活や師匠であるリフィルのことなどを訊かれるままに話し、三人は学園の設備や行事、街の様子などを教えてくれた。
それはお互いにとって興味深い内容であり、時間が経つのを忘れる程であった。
「もう夕食の時間だね。僕は温室の手入れをするから、先に食堂へ行っていて」
アナのこの言葉により、ワープはまたセイルとケットに挟まれるようにして食堂に向かうことになった。
暗くなりかけた中庭を歩きながら、ワープはふたりを見上げて尋ねる。
「アナはいつも温室の手入れをしているのですか?」
「ああ。もともとあの温室は花など植えられてなくてな。アナが入学した時、いちからつくったんだ」
「すごいのですねえ……あんなにきれいなお花を、あんなにたくさん」
感嘆の言葉を漏らすと、ふたりは嬉しそうに笑った。常に渋い顔のケットが自然に微笑んでいたのが印象的だった。
「温室は人があまり来るところではないからな。アナの力作を褒めてくれる者は少ないんだ。ありがとうワープ」
「えっ。いえいえそんな、私はただ……」
思ったことを言っただけなので、思わぬ感謝に恐縮するワープ。
「私も小さな植木鉢を持っていたのですが、うまく育たなくて。アナみたいにきれいに咲かせたかったのですけれど」
「今度アナに頼んで、温室にワープの領分を作ってもらうといい」
ケットはそこでセイルを睨んだ。
「セイルも以前植えたのだが、3日で枯らせた上にジャガイモだったんだ。アナがいつになく怒っていた」
「いいじゃねえか。ジャガイモの花だって花は花だ。その上根っこは食えるんだからすばらしい」
「枯らせたくせに何を言う」
頭上で交わされる言い争いに、ワープはたまりかねてそれを中断させる。
「あのっ、喧嘩はよくないです。仲良くしましょう、ね?」
ほわわんとした顔で諭され、ふたりは顔を見合わせる。
セイルがびしっとワープのおでこを弾いた。
「いたいっ」
「お前は料理を作れるようになってから物を言えっ」
「そ、そんなあ」
ワープは額を押さえて涙ぐむ。
落ち着きのない会話ではあったが、それでも楽しみながら、三人は中庭を横切っていった。