新生活2
ずんずんと足音荒く歩いていくナイゼルを、ワープは心許ない思いで追っていく。
自分は今怒っていると、彼の背中が言っている。
(ど、ど、どうしましょう。私は謝った方がいいのでしょうか。いや、私が謝ってどうなるのかはわかりませんが)
ワープがひとり悩み続け、もう少しで頭が爆発しそうになったとき、
「君はあくまで次期祈りの巫女でなく、普通の編入生として扱います。そういう依頼ですからね」
ナイゼルが怒りを抑えるようにして言う。
「さすがに騎士候補生と同じように成績をつけたりはしません。ですが授業は彼らと同じものを受けてもらいます。せいぜい頑張りなさい」
「はっ、はい!!」
裏返った声で返事をするワープを振り返り、ナイゼルは呆れたように
「君は私を化け物かなにかと思っているんですか?」
と尋ねる。ワープはあわてて首を振り、激しく否定した。
「ち、違いますっ!!とんでもない」
魔神さまみたいです、と考えていた内心は黙っておく。
ナイゼルは訝しげにワープを見る。
「君はどこか頼りない。騎士候補生と共に過ごすなら、苦労しますよ」
きっぱりと言われ、ワープはうっと息をつめる。
「あいつらはこの上なく厄介だ。こちらがどんなに気を使っても意味がない。全くこちらの身になろうとしない」
ぶつぶつと文句めいたことを呟きながら足早に歩いていくナイゼル。ワープは一生懸命その後を追う。
「ここが教室棟です」
そう言ってナイゼルが立ち止まった先には、白いお城のような建物が建っていた。壁も屋根も雪のように真っ白で、窓だけがピカピカと日の光に輝いている。
「うわあ……」
美しさに目を奪われるワープ。それを見て、ナイゼルは呆れたように肩をすくめた。
「さっさと行きますよ。学校見学は休み時間になさい」
「す、すみません……」
この気難しい教師の前だと、まるで幼い子どもに戻ってしまったような気になる。ワープは恥ずかしさに頬を火照らせ、おとなしく校舎の中に入った。
騎士候補生のクラスは、数多くある教室の中でたった一室。最上階の一番奥に存在する。
他の教室とは違う豪奢な扉が、その特別さを表していた。まるで王室の入り口のようなそれを見て、ワープは息を飲む。
「では入りますよ」
なんの躊躇もなく扉を開くナイゼル。ワープはぎょっとして待ってくださいと言いかけたが、遅かった。なんの心の準備もしていないワープは、緊張で倒れそうになる。
ひとりで気絶寸前になっているワープのことなど気にも止めず、ナイゼルは教室の中に入っていく。そのあまりの無慈悲さに絶望しながら、ワープものろのろと後を追った。
教室の中はしんと静まっていた。生徒は十数人程。誰もがワープを見つめている。
「あ……う……」
かちこちに固まってしまうワープだが、自分に目を向ける生徒たちの中に見覚えのある姿を見つけ、少しだけ緊張を解いた。すなわち、昨日の三人……友人となってくれた三人がこちらに励ますような顔を向けてくれていたのである。セイルは口元をにっと引き上げ、ケットはゆっくりと頷きかけ、アナは優しい微笑みを浮かべていた。
そこでワープは深呼吸をし、ナイゼルが自分を紹介してくれるのを待った。
その時ちらりと教室を見渡したのだが、あの黒髪のラインの姿は見当たらなかった。
「君たちも知っている通り、リフィルさまの依頼で次期祈りの巫女であるワープ・セベリア嬢をこの騎士候補生クラスに編入させることになった。いずれ巫女の騎士となるやもしれぬ君たちと絆を深めるためです。この機会に各自更なる精進をしてください」
きびきびした口調で言うと、ナイゼルはワープを教壇の中央に立たせた。
「一言挨拶なさい」
「え」
その簡単な命令が、ワープにとっては空を飛べと言われるより難しいものなのだ。困り果てたワープは制服の胸の辺りを握りしめながら、ぎこちなくお辞儀する。
「よろしく、お願い、します」
機械のような礼と挨拶に、元々静かだった教室は更に静まり返る。凍りついた空気の中、小鳥の鳴き声だけが呑気に響いていた。
おそるおそる顔を上げたワープが見たのは、ぽかんとした顔でこちらを見つめる騎士候補生たちと、その中で必死に笑いを堪えているセイル、頭を抱えるケット、ひとり表情を変えず微笑み続けるアナだった。
途端に恥ずかしくてたまらなくなり、ワープは顔がかっと熱くなるのを感じた。そのまま俯き、ナイゼルが
「では席につきなさい」
と言ってくれるまで動けなかった。
窓際の一番後ろの席に座り、ふうと一息つく。これが自分の机なのだと思うと嬉しくて、ワープはさっきまでの不安を一時忘れにこにこする。
ふと隣の席を見ると、そこはぽつんと無人だった。
(きっとラインさまの席なのですね)
じっと主人を待つ健気なその机を見て、ワープは何とも言えない気持ちになる。
その時、重々しい鐘の音が聞こえた。
「では授業までしばし待ちなさい」
そう言ってナイゼルは教室を出ていく。
どうやら待機時間になったらしい。周りの生徒たちは教科書を用意したり、談笑をし始める。なんの準備もないワープが慌てて辺りを見回していると、すっと真新しい教科書が差し出される。
「ほら。校長がお前にって」
セイルがこちらを見下ろして笑っていた。
ワープは教科書を受け取ると、立ち上がってお礼を言う。
「あ、ありがとうございます!!」
するとケットやアナもやって来て、ワープの机の周りを取り巻いた。他の騎士候補生たちは遠目にこちらを伺いながらも、なぜだか近寄ろうとはしなかった。
「お前、本当に気弱だな。小鹿みたいだぜ。なんださっきの挨拶は」
セイルが半ば呆れ、半ば面白そうに言う。う、と固まるワープ。そこに、ケットまでもが
「確かに次期巫女とは思えないうろたえぶりだったな」
と付け加える。
「まあまあ。そこがワープの可愛いところでしょ?」
アナがやんわりと庇ってくれるが、ワープはすっかり落ち込んでしまった。
「う……すみません。私昔から人前に出るのが苦手でして」
「そんなんで祈りの巫女が務まるのか?」
セイルが大袈裟にため息をついてみせるが、この心配はもっともだった。祈りの巫女ともなれば国民の前で演説をすることなど当たり前だし、その上堂々とした態度でないとすぐに国民の反感を買う。果たしてこの弱々しい少女に務まるのか、不安を覚えるのも無理はない。
「そんな厳しいこと言わないの。ワープはワープなりに成長していくんだからいいじゃない」
「確かに時間はあるからな。我々もまだまだ未熟だ。ワープのことを言えた身ではないな」
アナとケットが口々にワープを庇うのを見て、セイルは口を尖らせる。
「はいはいわかったよ。それよりワープ。お前はひとりで出歩けないんだから、基本はおれたちと一緒にいろよ。いいな?」
「ふぁいっ!!あ、ええと、ありがとうございます」
嬉しい命令に、ワープはにっこりした。友人と一緒に行動する、それは昔からの憧れなのだ。
「ま、おれさえいれば神落としに襲われるなんてことはないから、安心しろよ」
「はいっ。ありがとうございます」
「ワープ、セイルの虚栄など信じずに常に油断するなよ」
「大丈夫。ワープを守るために僕らはいるんだから」
襲われるだの油断するなだの、だいぶ物騒な内容ではあったが、それでもワープは友人との会話というものを楽しんでいた。あたたかく楽しい雰囲気に包まれ、ワープはこの先の新生活に少なからず希望を持てたのだった。