新生活
丸窓から朝日が射し込んでいる。
いい天気だ。
ワープはベッドから起き上がり、ぐっと伸びをした。慣れない自室の香りが鼻孔をくすぐる。
(今日から、授業です)
窓の奥に見える時計塔の針は、まだまだ時間に余裕があることを示していた。巫女修行で得た朝型の生活は、どうやらここでも役に立ちそうである。
そこでワープはベッドから降り、ワードローブを開いた。巫女衣装の隣にかかる制服。それを手に取り、ワープは大きく深呼吸した。
(頑張らなくてはなりません)
いよいよ新生活なのだ。自分と巫女の騎士の未来を決める、大事な生活が始まるのだ。
ワープは寝間着を脱ぎ、制服に着替える。胸のリボンを結んだとき、なんとも言えない緊張と嬉しさが体中を駆け巡った。
ワープは鏡の前に立つと、髪に櫛を通し、ふたつに結った。それをリフィルがくれた赤い髪どめでとめる。
「……よしっ」
身支度が済むと、ワープは深呼吸した。
そして静かに跪くと、指を組み合わせてお祈りの言葉を口にする。
「この世界をお守りくださる女神さま。私は今日から新たな地で生活します。まだまだ未熟な身でありますが、どうか見守ってください」
ワープは立ち上がり、扉に手をかける。
「行ってきます!!」
寮を出たワープを待っていたのは、ふりふりドレスを着こなしたルルだった。
「おはようございます」
丁寧にお辞儀され、ワープも同じように返す。
「お、おはようございます」
ルルはかなり早い時間から起きていたらしい。きれいな巻き毛の毛先一本に至るまで隙がなく、人形のように可愛らしい。
「ワープさんを教室に案内するにあたって、紹介したい人物がいます」
淡々と事務的に言うルル。
「紹介したい人物、ですか」
「ご案内致します」
くるりと振り向いてとてとて歩く姿も、少し見慣れたかもしれない。ワープは微笑んで、ルルの後を追った。
ルルが案内してくれたのは、「職員室」と札のかかった一室だった。
軽くノックをしながら、ルルは
「ナイゼル先生」
と声をかける。
すると中から、
「あーくそっ。早いな」
なにやら悪態が聞こえた。それからガサガサと騒がしい音がして、それが止むと
「はいはい。お入り」
ひどく不機嫌な声がふたりを招いた。
ワープはうろたえながらも、ルルに促されて扉を開く。
そこは大きな白い部屋だったが、ずらりと並べられた机とそれを埋め尽くす書類の山によって、窮屈な印象を与えられた。
「おはようございます。ナイゼル先生、フィリア先生」
ルルが丁寧に挨拶をする。
そこに居たのは、不機嫌そうな顔をした目付きの悪い男性と、対照的に楽しそうに笑顔を浮かべた女性だった。
男性の方は黒髪に黒い瞳をしているが、ラインのように真っ黒ではなく、明るい茶色も混じっている。眼鏡をかけたその目の下には、心配になるくらい濃い隈ができていた。
まだ若い先生でしょうにどうなさったのでしょう、とワープがはらはらしていると、ナイゼルと呼ばれたその教諭は厳しい声で
「君がワープ・セベリアですか?」
と尋ねる。
「はっはいぃ!!」
恐怖に震えるワープ。ナイゼルは仏頂面を崩さないまま続ける。
「私が担任のナイゼル・クルーレです。よろしく」
「は、はい……よろしくお願いいたします……」
あまりの威圧感に命の危険さえ覚え、ワープは目を回す。
そんなワープに、フィリアと呼ばれた女教師が声をかける。
「残念ね、ナイゼル先生のクラスなんて。怖くってたまらないでしょう?」
長い赤毛を三つ編みでひとつに結い、きれいな緑の瞳を持った人だった。その瞳は穏やかだったが、奥には茶目っ気が称えられていた。
「フィリア先生、私は別に脅しているわけではないのですが」
「あらそう。でもかわいい女生徒を怖い目で睨まないで頂戴ね」
ナイゼルはため息をつき、頭でも痛むのかこめかみを揉む。それから引き出しを探り、小瓶を取り出した。錠剤入りのそれには、
『胃薬』
と二文字記されていた。
ナイゼルがどこか調子悪そうな理由をなんとなく知れたワープは、何にも言えずに立ち尽くす。それに引き換えルルの方は、淡々と用事を伝える。
「ナイゼル先生、ワープさんを教室まで案内してあげてください」
「それでこんな早くから来たんですか。呼んでくれれば私が迎えに行ったのに」
「ナイゼル先生は時間をあまり守らないのでこちらから伺ったのです」
当然です、と言わんばかりのルルに、ナイゼルは頬をひきつらせる。
「そうですか。ですがね、それは私の落ち度ではなく、このフィリアの支度が遅いせいで私まで遅刻をする羽目になるわけで」
「あら失礼ね。あたしはただ教室に行こうとするときに限って必要な物が消えちゃうだけよ。ナイゼル先生には探し物を手伝わせてるだけじゃない」
ぷくっとふくれるフィリア。ナイゼルは顔中を強ばらせ、わなわなと震える。
「君という人は……本っ当に……」
フィリアはおかしそうに笑って、ナイゼルの背中をぽんぽんと叩く。
「そんなに怒ってちゃ体に毒よぉ。気楽にしなさいな」
「誰のせいだと……」
ナイゼルは怒りに震えながら胃薬の小瓶をひっくり返し、錠剤を口に含む。それを水で流し込むと、ふぅーっと長い息をついた。
「……承知した。ワープ、教室に案内するからついてきなさい」
絞り出すように言うと、ナイゼルはよろよろと職員室から出ていく。
「あらら。いつもああなんだから。ワープちゃん、早く行ってあげて」
にこにことフィリアに言われ、ワープはあわててナイゼルを追う。
「失礼しましたっ」
ワープが出ていってしまうと、少したしなめるようにルルが言う。
「フィリア先生は、ナイゼル先生を無下に扱いすぎているのではないですか?」
幼い少女の姿にそう言われるも、フィリアは笑顔を浮かべたまま答えた。
「ナイゼル先生をからかうのは楽しいの。彼、とってもいい人だから大丈夫」