プロローグ
長らく探し続けた場所。
その寂れた土壁の建物の前に立ち、エルミタージュはため息をついた。
目的を達すると同時に、もうそれを追うことができなくなる…嬉しさと寂しさの入り交じったため息は、目の前の扉に吸い込まれていく。
そこは廃墟同然の屋敷だった。壁は所々崩れ、天井もない。鉄の扉はゆがんでいて、とても人の居そうな場所ではない。だが、ここには確かに人がいるはずだった。エルミタージュが長らく探してきた人物が。
本来熱くなりにくい性質のエルミタージュは、目当てのものを目前にしても興奮することなく、穏やかに隣にいる人物に声をかけた。
「ようやくだと思うと、やはり嬉しいですが、同時に疲れも感じますね。これも歳でしょうか」
彼特有の呑気な口調に、相手は眉を上げる。
「そんなことを言っている場合ではないわ。さっさと入りましょう」
ぴしりと言い放たれ、エルミタージュはやれやれと苦笑する。それから、かなりの年齢であることをうかがわせる深い皺の刻まれた顔を、少し真剣な表情にした。顔の周りにさらりと広がる長い白髪が、月に照らされて銀色に輝く。
その彼の横で腕を組み、じっと扉を見つめるのは、美しい女性であった。見事な金髪を背中までたらし、黒いドレスとブーツに身を包んでいる。きっちりと化粧された顔は白く、紅を塗った唇と同じ色の瞳からは意志の強さがうかがえる。
リフィルという名のこの女性を、エルミタージュは基本的に好いているのだが、時たま怒りっぽく、焦りやすいのは彼女の欠点であるだろう。もっと気を長く持ってほしいものだ、と密かに思う。
なかなか動かないエルミタージュにしびれを切らしたのか、リフィルが鉄の扉に手をかける。
「驚かさないように。慎重にですよ」
「わかっているわよ」
何度か押したり引いたりしてみても、扉は開かない。ゆがんだせいで壁にくい込んでしまったらしい。
リフィルは苛立たしげに扉を揺さぶり、とうとうヒールの高いブーツで蹴飛ばした。重々しい鐘のような音と共に扉は向こう側に倒れ、地響きが起こる。
「慎重にと言ったでしょう」
リフィルと一緒に居ては苦笑が絶えない。それでも細かいことは気にする性分ではないので、エルミタージュは屋敷内に足を踏み入れる。
土壁の欠片やクモの巣だらけだ。おまけに砂まみれのため、お気に入りの白いローブがあっという間に汚れてしまった。
「本当にひどい有り様ね。人が居るとは思えないけど」
「静かになさい」
屋敷内を探索していくふたりの足跡が長らく続いていく。それがピタリと止まったとき、エルミタージュとリフィルの目の前には、小さな人影があった。
「……ようやく見つけました」
壁にぐったりと身を預け、ぼろ布にしか見えない粗末な服を身に纏った少年。まだ10年も生きていないように見える。体は傷だらけで、あまりにか細かった。
その少年はエルミタージュの方へ目を向けた。
深い黒の瞳。
その瞳は鋭利なナイフのように老人を突き刺した。エルミタージュは優しく少年と目を会わせる。
「君を探していたんだ」
「……誰」
敵意に満ちた声。けれどもそれは、年相応の少年らしいものだった。
エルミタージュは屈むと、少年の乱れた髪を撫で付ける。瞳と同じ、闇のような色の髪は、艶もなく乾いていた。嫌がるように顔をしかめた少年だが、手を払いのける気力もないらしく、されるがままになる。
「……殺す気なの?」
無表情で問いかける少年に笑いかけ、エルミタージュはその小さな体を抱き上げた。少年の目が大きく見開かれる。
「私は君を、私の学園に招待したいのです。この国を守っていく、ひとりの若者として」
エルミタージュはリフィルに問う。
「貴女も文句はないでしょう?」
「……今さらないわよ」
リフィルは少年をのぞきこむと、その瞳を見つめた。
鋭く、深く、そして果てしない力を感じさせる黒の瞳。それを認めると、リフィルは軽くうなずいた。
「あなたなら、〈あの子〉を任せられると。あたしに言わせて見せなさい」
暗かった屋敷内には、吹き抜けた天井から月の光が差し込んだ。それは少年を照らし出し、その瞳をまるで夜空のようにきらめかせた。