月桂樹の葉の音 ~選ばれなかった人~
この物語は、本編『ママじゃない~攻略対象の母に転生したので、破滅エンドを潰します~』同日公開の「第61話 月桂樹の葉の音」に登場する恋愛小説です。
【恋蜜】の世界で描かれる、テオドアとマーガレットのもう一つの物語をお楽しみください。
私の母は選ばれなかった。
美しく、聡明な公爵令嬢で、多くの求婚者がいた。それでも、振り向いて欲しい人には振り向いてもらえなかった。母の初恋は叶わなかった。
父は元々、母の婚約者候補の一人だった。
侯爵子息であった父は、同じ侯爵子息であった母の想い人にライバル意識を抱いていた。
それは、王立学園へ入学した時からだ。
父の家は地方貴族で実利はないが由緒正しい家柄だった。一方、母の想い人は王都隣接領で納税額はトップクラスの中立派の重鎮の家。同じ侯爵子息でも対象的だったそうだ。
常に首席を目指し、誰よりも努力を重ねる父に対し、母の想い人は違った。
成績は常に上位。けれど、貼り出された順位表には興味を示さない。
「今回も上位だったな。」
学友にそう声を掛けられても、
「そうなんだ。」
と笑うだけ。まるで競争そのものに関心がない。
父にはそれが理解できなかった。
なぜ努力しないのに上位にいるのか。
なぜ首席を目指さないのか。
なぜ誰より優秀なのに、勝負をしようとしないのか。
ある日、授業で異国文化について学んだ。
教師が紹介した海の向こうの国々。
聞いたこともない風習。
見たこともない建築。
異なる言語。
講義が終わると、彼は珍しく目を輝かせていた。
「面白かったな!」
「どこがだ?」
父が尋ねると、母の想い人は当然のように答えた。
「全部さ!」
「全部?」
「実際に見てみたいよ。」
その言葉に、父は眉をひそめた。
「見てどうする?」
彼は少し考えた。
「とにかく知りたいんだ。」
その答えは、父には理解できなかった。
知って何になる。
順位にもならない。
評価にもならない。
爵位にも繋がらない。
それなのに、アイツは本気で楽しそうだった。
ああいうのが風来坊な男だと思った。
その頃からだ――。
母が想い人を見るようになったのは。
授業中、図書館、休憩時間――。
彼女の視線は自然と彼へ向いていた。
もちろん、本人は気付いていない。
気付いていたのは父だけだった。
彼は翌年には留学した。
学園中が驚いた。
王都に隣接する豊かな領地。
将来を約束された侯爵家の嫡男。
誰もが羨む立場を持ちながら、彼は迷うことなく海の向こうへ渡った。
そして、母はその時から彼に手紙を書くようになる。
恋文ではない。
友人として近況や王立学園のことを綴る。
異国で慣れない土地にいる彼の支えになれればと願って、手紙を送り続けた。
父には、分かっていた。
彼女が彼に心を寄せていることを……。
異国に旅立った彼の帰れる場所になろうとしている。
父は、全部気付いていた。
そんな時、学園に残った父に母の婚約者としての話が上がる。
母の心には、遠い異国にいる想い人がいる。彼女に無理強いはしたくない。それは、父の母への愛だった。
ある日、母宛に想い人から届いた手紙に、
『帰国したら、一番に伝えたいことがある』
と記されていた。
その一文を母は何度も読み返した。
その手紙は短かった。それでも、母は眠る前になると引き出しから取り出しては読み返していたという。
夜会で着る予定だったドレスのデザインの話、学園を卒業した後の話、最近王都で人気だという菓子店。彼が帰国したら話したいことや案内したい場所はいくつもあった。
手紙を書きながら、そんな未来を思い描く。
馬鹿みたいだと分かっている。
友人としてしか見られていないことも、恋文一つ送れなかったことも、自分が彼にとって特別な存在ではないことも……
それでも期待してしまった。
もしも、ほんの少しだけでも、彼が自分を見てくれていたなら――。
留学してからの手紙は全て覚えていた。
異国の街並みの話。見たことのない料理の話。海の向こうで出会った人々の話。
彼の手紙はいつも楽しそうだった。
まるで子供が宝物を見つけた時のように、生き生きとした文章だった。
母はそんな彼から届いた手紙を読むのが好きだった。
知らない世界を知ることが出来たからではない。
彼が以前と変わらず彼らしいことが嬉しかったのだ。
王都に残れば安泰だったはずなのに、それでも自分の知りたいものを追いかける。
そんな自由な生き方をする彼に憧れていた。
だからこそ、『帰国したら、一番に伝えたいことがある』という言葉に胸が高鳴った。
その言葉の意味を何度も考えた。
考えないようにしても、考えてしまった。
そして、期待してしまった。
自分でも愚かだと思いながら――母は期待した。
留学しても一途に彼を想い続けた日々が、ようやく報われるのだと思っていた。
◇
彼が帰国した日、母は朝から落ち着かなかったという。
何度も鏡を見ては髪を整え、侍女に笑われたそうだ。
「そんなに変かしら。」
「いいえ。とてもお綺麗です。」
そう言われても、なぜか不安だった。
久しぶりに会うのだ。
手紙では何度も言葉を交わした。けれど、顔を合わせるのは留学以来だった。
彼は変わっただろうか。異国で何を見て、何を学んだのだろうか。会ったら何を話そう……。
そんなことばかり考えていた。
そして、ようやく再会した彼は以前より少しだけ逞しく見えた。
懐かしさと嬉しさで胸がいっぱいになる。
だからこそ、その後に続いた言葉を、母はしばらく理解できなかったのだろう。
「実は報告したいことがあるんだ。」
そう言って彼は笑った。
手紙に書かれていた『一番に伝えたいこと』。
母は、それが自分の願いと同じものであると信じていた。
しかし、彼が伝えたかったことは違った。
留学先で知り合った女性と婚約したという報告だった。
その報せを受けて、母は父との婚約を受け入れたと父は言う。
その時のことを聞くと、父は決まって困ったように笑う。
「もちろん嬉しかったよ。」
父はそう言って笑った。
けれど、その笑顔は少しだけ寂しそうだった。
「でも、同じくらい怖かった。」
「怖かったの?」
幼い私が尋ねると、父は頷いた。
「彼女の瞳に映っていたのは、私じゃなかったからね。彼という名前の自由を見ていたんだ。」
「自由?」
「私は家のために生きることを疑ったことがなかった。」
父は窓の外を見た。
「だが、彼は違った。」
「面白そうだから見に行く。知りたいから学ぶ。」
そんな男だった。
「彼女は、そういう彼を眩しそうに見ていたよ。」
それでも父は、母を責めない。
むしろ、どれだけ母が一途だったかを嬉しそうに語る。
母が誰かを愛したこと。母がその恋を最後まで秘めていたこと。
母のすべてを愛していたからこそ、青年への想いさえ、母の一部なのだと父は言う。
待ち続けた父は、最後に母に受け入れられた。
彼への恋を失くしてしまえば、母の選択肢は変わっていたかもしれない。だからこそ、父は今でも母の初恋を穏やかに語るのだろう。
母が選ばれなかったから、父は報われた。
けれど父もまた、選ばれなかった人だった。
だから私は知っている。
恋は努力すれば叶うものじゃない。
身分も、美貌も、優しさも。誰かに選ばれる理由にはなるが、そこには保証はない。
◇
王立学園の図書館は静かだから好きだ。
ここは、私を公爵令嬢ではなく、私として受け入れてくれる。
私はいつもの席で本を読んでいた。
母の自筆が残った貸し出しカード。母が見た世界がここに残っている。
ページをめくった、その時だった。
ひらり。
何かが机の上に落ちた。
「……葉?」
拾い上げる。
それは乾燥した月桂樹の葉で作られた栞だった。
「それ、僕のです。」
顔を上げる。
そこには一人の少年が立っていた。
同じクラスの騎士爵家の次男。
王立学園では知らない者のいない秀才だった。
「あら、ごめんなさい。」
葉を差し出す。
彼はそれを受け取った。
とても大切そうに。
「好きなの?月桂樹。」
何気なく聞いた。
彼は少し考える。
「好きっていうか、これは思い出かな。」
そう言って苦笑した。
「昔、剣術大会で優勝した記念にもらったんだ。」
彼は月桂樹を見つめる。
乾いた葉を指先でなぞる。
それは、幼い頃の記憶だった。
――幼い頃、僕は神童と呼ばれていた。
騎士爵家に生まれた次男。
それでも誰もが将来を期待していた。
剣術大会の決勝戦。同年代の子供達を相手に圧倒的な強さを見せ、優勝を決めた時だった。
「将来が楽しみだ。」
「十五歳になったら王立騎士団へ来てくれ。」
「団長を越えるかもしれませんよ。」
大人達は口々にそう言った。
歳の離れた兄も誇らしげで父も嬉しそうに笑っていた。
僕もそんな未来を信じていた。
自分は騎士になるのだと。
王国を守る剣になるのだと。
優勝者として名前を呼ばれる。
観客席から拍手が響く。
その時だった。
ひとりの少女が僕の前へやって来た。
淡い金色の髪。少し大人びた微笑み。
幼少期の彼女だ。
「優勝おめでとうございます。」
そう言って差し出されたのは、月桂樹の葉冠だった。
「これは?」
「優勝者へのお祝いです。」
少女は少し照れくさそうに笑った。
「勝者には月桂冠でしょう?」
まだ幼い声だった。
けれど、その笑顔は不思議と印象に残った。
「ありがとう。」
僕が受け取ると、少女は嬉しそうに頷いた。
「この国を守ってくださいね。」
あの日――。
誰もが彼の未来を疑わなかった。
王立騎士団。
近衛騎士。
王国最強の剣。
そのどれもが手の届く未来に思えた。
だからこそ――。
数年後、周囲の友人達の体つきが変わり始める中、僕だけが取り残されていた。
誰よりも近くにあったはずの未来が、少しずつ遠ざかっていった。
期待の眼差しが少しずつ消えていく――。
僕は理解した。
神様は自分を選ばなかったのだと。
けれど、月桂樹だけは捨てられなかった。
それは勝利の記念ではない。
人生で一番未来を期待されていた日の記憶だったから。
そして、あの少女が祝福してくれた日の記憶だったから。
――――月桂樹の葉から指を離した。
色褪せた葉は、今も変わらずそこにあった。
「優勝?すごいわ。」
「子供の頃の話だよ。」
彼は栞代わりに本へ挟む。
その動作は慣れていた。
ずっと持ち歩いているのだろう。
「大事なのね。」
彼は少し驚いた顔をした。
「……そうかもね。」
そして観念したように肩を竦める。
窓の外で風が吹き、新緑が揺れる。
◇
それからだった。
二人が図書館で顔を合わせることが増えたのは。
歴史書の棚、窓際の閲覧席、植物学のコーナー。
まるで示し合わせたように同じ場所で出会う。
「また会ったわね。」
「君こそ。」
そんな何気ない会話を一言、二言と交わすようになった。
彼は本を読むのが好きだった。
私は母が読んだ本を探すのが好きだった。
目的は違うのに、いつしか不思議と話は尽きなかった。
時には、課題について語り合い。
時には、王都で評判の菓子店について話し。
時には、何も話さず同じ机で本を読んだ。
とても静かで穏やかな時間だった。
私はその時間が好きだった。
◇
春が終わり、初夏の風が吹き始めた頃だった。
最近、彼女は図書館へ来る時間が不規則になっていた。
以前なら毎日のように顔を合わせていたのに、最近は数日会えないこともある。
久しぶりに姿を見つけた時には、思わず顔がほころんだ。
「最近、忙しそうだね?」
声を掛けると、彼女は深いため息を吐いた。
「忙しいわ。」
「課題なら手伝おうか?」
どこか疲れた顔をしている。
珍しいと思った。
彼女は勉強を苦にする人ではない。
「違うわ。王太子妃教育が忙しいの。」
「え?」
思考が止まった。
「君、王妃になるの?」
気付けば口にしていた。
彼女は目を丸くした後、吹き出した。
「うふふ、違うわよ。」
「……。」
「王太子妃候補として名前が挙がっている令嬢は全員受けるものなのよ。この学園の生徒でも何人か受けているわよ。」
そう説明されても安心できなかった。
彼女は公爵令嬢。
美しく。
教養もあり。
家格も申し分もない。
王家が望めば――彼女は王妃になる。
そして、自分は騎士にもなれなかった騎士爵家の次男。ゆくゆくは平民だ。
「そう……。」
それだけ返すのが精一杯だった。
「……どうしたの?」
「……別に。」
「変な顔している。」
「生まれつきだ。」
「あなたの顔はその辺の女生徒よりも整ってるわよ。」
「嬉しくない。」
彼女はクスクスと笑う。
その顔を見て、少しだけ安心した。
王太子妃候補だろうと、公爵令嬢だろうと。
今ここにいるのは、いつもの彼女だった。
その日の帰り道――。
いつもの癖で、月桂樹の葉を指先でなぞる。
王立騎士団には選ばれなかった。
それはもう受け入れている。
神様を恨んだこともある。
けれど、今は選ばれなかった人生も悪くないと思っていた。
それなのに――。
王太子妃教育。
その言葉が頭から離れなかった。
◇
季節は冬へ移り変わろうとしていた。
図書館の窓から見える木々は葉を落とし、冷たい木枯らしが吹いている。
その日、私は図書館へ向かう足を急がせていた。
彼が体調を崩して数日休んでいたから。
読みかけの歴史書もそのまま本棚にある。
窓際のいつもの席も空いている。
それだけで図書館が少し広く見える。
(変ね……。)
私は、本を開いては閉じる。
文字が頭に入らない。
気付けば図書館の入口へ視線を向けている。
何度も、何度も繰り返した。
そして、三日後――。
「やあ。」
聞き慣れた声がした。
顔を上げる。
そこには彼がいた。
「体調は大丈夫なの?」
「大丈夫。急に寒くなったからね、軽い風邪だよ。」
彼は笑った。
「もしかして、心配してくれた?」
からかうような声だった。
私は思わず顔を逸らす。
「べ、別に。心配なんかしてないわ。」
「そう?」
「同じ課題をやっている人がいなくなると困るだけよ。」
「それは残念だ。」
彼は肩を竦めた。
その仕草を見て胸が少しだけ軽くなる。
その瞬間に私は理解した。
図書館が広く感じた理由を。
本が読めなかった理由を。
来ないと分かっているのに入口ばかり見ていた理由を。
私は彼に会いたかったのだ。
誰よりも……。
◇
ある日のことだった。
図書館の窓を叩く雨音を聞きながら、私は本を閉じた。
「後悔していないの?」
気付けば尋ねていた。
「何を?」
「騎士になれなかったこと。」
彼は少し驚いた顔をした。
けれど、すぐに苦笑する。
「後悔はいっぱいしたよ。」
意外な答えだった。
彼は何でも受け入れている人だと思っていた。
「すごく悔しかった。」
窓の外へ視線を向ける。
「兄の姿を見たくなくなった時期もあったし、王立騎士団の話を聞くのも嫌だった。」
静かな声だった。
怒りでも悲しみでもない。
ただ、昔の傷を語るような声。
「でもさ……。」
彼は笑った。
「それは兄が悪いわけじゃない。」
「……。」
「もちろん、神様が悪いわけでもない。」
私は言葉を失った。
そんな風に考えたことがなかった。
「じゃあ、どうしたの?」
彼は少し考える。
「諦めた……とは違うかな。」
月桂樹の葉を指先で回した。
「選ばれなかったなら、選ばれなかった人生を生きるしかないと思ったんだ。」
その言葉が胸に刺さる。
母も選ばれなかった。
父も選ばれなかった。
そして私も、いつか誰かに選ばれないかもしれない。
恋は努力でどうにもならない。
それを知っている。
「私は怖いわ。」
気付けば口にしていた。
「怖い?」
「誰かを好きになっても、選ばれなかったらと思うと。」
彼は目を瞬いた。
そして少しだけ優しく笑う。
「それでも好きになるんじゃないかな?」
「どうして?」
「選ばれないかもしれないから、好きにならないなんて勿体ないよ。」
彼は首を横に振った。
「人生は有限だよ。」
「……。」
「知りたいから学ぶ、行きたいから行く。
……好きになる理由なんて、それで十分じゃないかな。」
その言葉に、私は息を呑んだ。
選ばれなかった人の言葉とは思えなかった。
諦めでもなく、悲観でもなく、ただ前を向いていた。
窓の外では雨が降り続いている。
それなのに不思議と、目の前だけは明るく見えた。
その時、私は初めて気付いた。
自分が彼と話す時間を、誰よりも大切に思っていることに。
「その月桂樹、本当に大切なのね……。」
彼は本から顔を上げる。
「うん。」
珍しく迷いのない返事だった。
「優勝の記念だから?」
「違うよ。昔、ある人にもらったんだ。」
彼は月桂樹を見つめる。
「好きな人?」
私が聞くと、彼は苦笑した。
「そんな大層なものじゃないよ。」
そう言いながらも、その表情はどこか優しかった。
「憧れていた人かな。」
私は、何故か少しだけ胸が痛んだ。
「でも、これは勝利の記念じゃない。」
「違うの?」
彼は月桂樹を見つめた。
「僕が神様から選ばれなかった印だから。」
意味が分からなかった。
「選ばれなかった?」
「これでも剣の才能はあって、幼少期は一番だった。」
彼は笑う。
「でも、みんな成長するにつれて体つきが変わるのに、僕は小柄なまま。」
その言葉で理解する。
彼の家は騎士の家系だ。
兄は近衛騎士。誰もが認める王太子の近衛兵だった。
「王立騎士団に入りたかったの?」
「そりゃね。僕が貴族でいる道はそこしかないから……。」
あっさり認めた。
「……。」
「兄みたいな体格があれば、違ったかもしれない。」
悔しそうではなかった。
ただ事実を話しているだけだった。
「だから思ったんだ。」
彼は月桂樹を指で撫でる。
「僕には騎士の道はないんだなって。」
私は思わず俯いた。
選ばれない――。
その言葉は妙に胸に刺さった。
母も選ばれなかった。
父も選ばれなかった。
そして、きっと私も――。
「でも……、選ばれなかったから見える景色もある。」
彼は続ける。
「え?」
「この学園で色々学べるし、図書館では本が読み放題だ。」
彼は笑った。
その言葉に私は目を瞬く。
「それに……君とも話せた。」
私の胸が小さく跳ねた。
けれど、彼は気付いていない。
窓の外では、葉が風に揺れる。
かすかな葉擦れの音が聞こえた気がした。
◇
「君の論文を読ませてもらった。率直に言って素晴らしい。」
「ありがとうございます。」
「君を婿養子に迎えようと思う。」
「……は?私はいずれ平民の身です。」
「異論は認めん。娘が嫌いか?」
「……美しい女性だと思います。仕草も綺麗で、知的で会話の一つ一つに教養を感じますし、貴族令嬢の鑑……」
彼女の父親が笑う。
「学力優秀。」
「……。」
「剣術優秀。」
「……。」
「娘一筋。」
「ち……違います!ただ、素晴らしい女性だなって……。」
「よし、合格だ!」
彼女の父親は誰かを思い出しているのか、優しい眼差しになった。
「私も婿に入った身でね、彼女とは釣り合わない理由ばかり並べていた。」
彼女の父は苦笑した。
「家格が違う。」
「才能が違う。」
「自分では幸せに出来ない。」
「今思えば、全部言い訳だ……選ぶのは本人なのにな。」
その声はまるで懺悔のようにも聞こえた。
「君は私のような愚かな男になるなよ。」
そう言うと、公爵はふと彼の持つ本へ目を向けた。
本の間から覗く月桂樹の栞。
「そういえば娘は昔、剣術大会の優勝者に月桂樹を贈っていたな。」
公爵は懐かしそうに笑う。
「本人は覚えていないだろうが。」
「そうですか……。」
彼はそれ以上何も言わなかった。
◇
王立学園を卒業した翌年、二人は結婚した。
かつて自分を小柄だと言っていた彼は、いつの間にか近衛騎士の兄より背が高くなっていた。中性的な顔も見目麗しさだけを残して、男らしい顔つきに変わった。
彼の容姿にどこかで安心していた彼女は、この変貌に戸惑っていた。
(なぜ私の心臓はこんなにうるさいのかしら。)
「夫人、お目覚めでしょうか?」
「あなた!?」
彼は、彼女より遅く起きたことは一度もない。彼女が目を覚ますと、朝食が用意されており、清拭も済まされている。
「今日は冷えるので上着をどうぞ。」
いつものように、彼女の世話を焼く。
当たり前のように、彼女の長い髪を梳く。
王立学園に通っていた時は彼女の侍女がカールを巻いていたが、彼にその技術はない。
彼女は、彼が梳かした髪を誰かに触れられたくなくて、いつも髪を下ろすようになった。
「今日も奥様のお部屋へ。」
「朝食もご自身で運ばれているそうよ。」
「あんなに愛されるなんて羨ましいわ。」
次期公爵夫妻の溺愛は公爵家の者だけではなく、社交界でも有名になっていた。
その話を知らないのは、当人達だけ。
月桂樹の葉は今も本の間に挟まれている。
「あなた、その栞まだ持っていたのね。」
「捨てられなかったんだ。」
「そんなに大切?」
「そうだね。」
「どうして?」
「君にもらったから。」
「え?」
「覚えてない?」
「……。」
「これは僕が君を見つけた理由だから。」
そう言って彼は笑った。
その時、私はようやく知った。
見つけられたのは、私の方だったのだと。
風が吹くたびに微かな葉擦れの音は、もう二人には届かない。
選ばれなかった者達の物語は、もう終わったのだから……。
あとがき
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
タイトルの「月桂樹の葉の音」は、月桂樹の葉の花言葉「私は死ぬまで変わりません」と、葉擦れ(はずれ)を掛けています。
この物語には「選ばれなかった」と思っていた人達がたくさん登場します。
子供の頃、シンデレラを読んでいて思いました。王子に選ばれるのは一人。でも、その陰には選ばれなかった人達がたくさんいる。
この物語は、そんな「選ばれなかった人達」のために書いた物語です。
タイトルを決めた時から、最後の一文だけは決まっていました。
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