6話【回路】―― 回路図としての倭 (卑弥呼の構想と、阿知寝・与太彦の出会い)
第一章 6話:血栓の切断
邪馬台国の朝議が、これほどまでに凍りついたことはなかった。
広間の中央、泥の落ちた官服を端然と纏った阿知寝が、巨大な木簡を広げている。そこには、彼が日田の山奥で培った「数理」によって導き出された、倭国の真実の姿――すなわち「汚れた配線図」が描かれていた。
「宰相・磐根殿。あんたは『均衡』と言ったな。だが、俺の計算によれば、それは単なる『電力の横流し』だ」
阿知寝の声が、静まり返った広間に響く。
彼は木簡に刻まれた数字を、算木で指し示した。
「過去三年、半島から入った鉄材の総重量。それに対し、国内の鍛冶工房へ配分された記録。……合わねえんだよ。三割もの鉄が、記録上から『消滅』している。どこへ行った? 蒸発したわけじゃあるまい」
「……戯言を。物流にはロスが付きものよ。潮風で錆び、運搬中に失われる。それが現場の理だ」
磐根は鼻で笑ったが、その額には微かに脂汗が浮いていた。
「三割のロス? どんな無能が運べばそんな数字になる。計算を舐めるなよ」
阿知寝は一歩、磐根に歩み寄った。
「消えた三割の鉄は、沿岸の特定豪族の蔵に入り、そこで『私兵の武器』に変換されている。そしてその見返りとして、あんたの元には呉の絹や南海の香が流れ込む……。これが、あんたが守ってきた『均衡』の正体だ。国というシステムを維持するためのエネルギーを、あんたがバイパス(私物化)して、特定のノードだけを異常加熱させてるんだよ」
「証拠はあるのか、小僧!」
磐根の怒声が響く。しかし、阿知寝は動じない。
「証拠? 数字が証拠だ。入り口(港)と出口(工房)の数が合わない。それ以上の証拠がこの世にあるか? 帳簿を隠しても、物理的なモノの流れは嘘を吐かねえんだよ」
阿知寝は、卑弥呼が座す帳に向き直った。
「女王様。この『血栓』を放置すれば、遠からずこの回路は焼き切れます。今すぐ、既存の利権から独立した、純粋な『演算と執行の機関』が必要です」
沈黙。
誰もが息を止め、女王の言葉を待った。
管領・阿知は、息子のあまりにも苛烈な、しかし一点の曇りもない正論に、静かに目を閉じた。それは古い時代の終わりを告げる祈りのようでもあった。
「……阿知寝の申す通り。理に合わぬ均衡は、国を滅ぼす毒でしかない」
帳の向こうから、卑弥呼の冷徹な、しかし確信に満ちた宣告が下った。
「宰相・磐根。そなたの役目は終わった。これより、国のすべての物流、税、資源の配分を管理する新部局――『数理院』を設置する。長には大計使・阿知寝を据えよ」
「……なっ! 女王様、正気ですか! このような若造に……!」
「黙れ。数字に逆らう者は、倭国には不要だ」
卑弥呼の一喝に、磐根は力なく膝をついた。それは、数世紀にわたって列島を支配してきた「人情と癒着」という名の古いOSが、完全にシャットダウンされた瞬間だった。
阿知寝は、地面に転がった磐根を一顧だにせず、新しい官職の証である木札を握りしめた。
「さて……。バグの掃除は終わった。ここからは建設の時間だ」
彼は与太彦に視線を送り、ニヤリと笑った。
「与太彦、行くぞ。次は『蛇口(対馬)』を握りに行く。潮流の計算、間に合わせるぞ」
「……へいへい。もう泥濘よりマシなら、どこへでも付き合いますよ、大計使様!」
こうして、倭国再起動の第一段階は完了した。
だが、これはまだ序章に過ぎない。
阿知寝の視線の先には、荒れ狂う玄界灘と、その向こうに広がる大陸の巨大な演算体系が待ち構えていた。
【第一章:完】




