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終わらぬ転落  作者: ありり
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冷めた食事

玄関の床は、ようやく水気を失っていた。


佐川は両膝を伸ばし、深く一礼する。


佐川はリビングへ向かい、妻を探す。


キッチンに立つ妻の背中が見えた。


赤いワンピースの上に、清潔なエプロン。

包丁を持つ手元は迷いがない。


佐川は慌てて歩み寄り、深く頭を下げる。


佐川「奥様、食事のご準備をお手伝い――」


妻が振り返る。


視線が、佐川のエプロンに落ちる。


妻「止まりなさい」


冷たい声。


佐川は足を止める。


妻「そのエプロン」


佐川「……はい」


妻「玄関の雑巾掛けをしていたのでしょう?」


佐川「……はい」


奥様の眉がわずかに動く。


妻「その汚れた姿で、台所に近づくつもり?」


佐川は息を呑む。


佐川「……申し訳ございません」


妻「来ないで」


一言。


妻「食事の準備は、私がやります。」


佐川「……承知いたしました」


奥様は包丁を置き、ゆっくりと告げる。


妻「お前は、ダイニングの雑巾掛けを続けなさい」


佐川「……はい」


妻「私たちの足元を、きちんと磨くの」


佐川「……かしこまりました」


妻はさらに淡々と続ける。


妻「あなたの食事は、あとで取り分けておくわ」


佐川「……ありがとうございます、奥様」


妻「部屋で食べなさい」


佐川「……はい」


妻「ここで同席する資格はお前にはないわ」


佐川は深く頭を下げる。


佐川「承知いたしました」


――ダイニング。


テーブルの下に膝をつき、雑巾を握る。


やがて、料理が並び、夫が席につく。


妻が穏やかに微笑む。


妻「お待たせしました」


夫「いい匂いだ」


二人は向かい合い、自然に会話を始める。


妻「今日のソースは少し変えてみました。お口に合うと良いのですが」


夫「そうか。楽しみだ」


笑い声。


そのすぐ足元で、佐川は床を擦っている。


妻「……もっと隅まで」


奥様が視線も向けずに冷酷に言う。


佐川「……はい、奥様」


雑巾を絞る音。


俺が箸を置き、ふと視線を落とす。


夫「まだやっているのか」


妻「命じましたから。だめだったでしょうか?」


妻は静かに答える。


妻「目の前でやらせたほうが、少しはまともにやるでしょ?」


夫「……そうだな」


二人の会話は続く。


佐川の背中は丸まり、指先は赤くなっている。


そのとき。


妻が、わざとらしく箸を滑らせた。


小さなおかずが、床に落ちる。


妻「……あら」


視線が佐川に向く。


妻「佐川、拾いなさい」


佐川は一瞬動きを止める。


佐川「……はい、奥様」


膝を滑らせ、落ちた料理を指先で拾う。


妻「食べられないわね」


奥様が淡々と言う。


妻「処分なさい」


佐川「……承知いたしました」


佐川は立ち上がり、処分する。


戻ると、また膝をつく。


夫が口を開く。


夫「床が汚れたな」


妻はが静かに言う。


妻「拭きなさい」


佐川「……はい」


再び雑巾で擦る。


テーブルの下。


夫婦の足元。


妻「あなた」


妻が柔らかく夫に言う。


妻「味はどう?」


夫「悪くない、いやとても美味い」


妻「良かった」


微笑み合う二人。


その間で、佐川は無言で床を磨く。


妻が最後に言う。


妻「終わったら、部屋に戻りさっさと食べなさい。冷めているだろうけど。お前には充分よ」


佐川「……はい、奥様」


妻「食べ終えたらまた雑巾掛けの続きよ」


夫婦の笑い声が続く食卓。


その足元で、佐川の雑巾が静かに動き続けていた。

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