女王の誕生日④
朝。
スイートルームの大きな窓から、やわらかな光が差し込む。
テーマパークはまだ静かだ。
ベッドの上で、妻が左手を持ち上げる。
新しい指輪が、朝日に反射する。
夫も同じように左手を上げる。
夫「似合っている。」
夫が言う。
妻「あなたも。」
妻は微笑む。
夫が低く続ける。
夫「外すな。」
妻「え?」
夫「つけていてほしい。」
一瞬、妻の目が揺れる。
妻「……はい。」
素直な返事。
妻「ずっと?」
夫「ずっとだ。」
妻は頷く。
妻「分かりました。」
朝食はルームサービス。
窓辺のテーブルで、コーヒーを飲みながら二人は並ぶ。
妻がスマホを開く。
妻「見て。」
昨日の写真。
アトラクション前での笑顔。
夜の花火。
部屋で寄り添う二人。
妻「最近、写真が増えたわね。」
夫「そうか。」
妻「あなたが撮るからよ。」
夫は淡々と答える。
夫「残しておきたいだけだ。」
妻は小さく笑う。
妻「こんな誕生日、夢みたい。」
夫「また来よう。」
妻「本当に?」
夫「ああ。」
チェックアウトの時間が近づく。
荷物をまとめながら、妻が振り返る。
妻「昨日に戻りたい。」
夫「また作ればいい。」
ホテルを出る。
車が滑らかに走り出す。
途中、昼食を取り、夕飯の買い出しをする。
スーパーの袋が後部座席に積まれる。
夕方、自宅へ到着。
エントランスは静かだ。
部屋に入る。
妻「……いませんね」
佐川の気配はない。
妻はバッグを置き、ソファに腰を下ろす。
夫「当然か。」
夫は短く言う。
夜。
二人で食卓を囲む。
静かな夕飯。
食器を片付け終えた頃――
ピンポーン。
インターホン。
妻がモニターを見る。
佐川。
妻「……戻ったのね。」
ドアを開ける。
佐川は深く頭を下げる。
佐川「奥様......」
妻「何しに帰ってきたの。」
冷たい声。
佐川「引き続き……雇用をお許しいただきたく……」
佐川の声はかすれている。
妻「泊まった場所は?」
佐川「……昨日は、近くのビジネスホテルに。」
妻「お金は?」
佐川「ほとんど残っておりません。」
妻は静かに笑う。
妻「そう。」
夫は後ろで腕を組んでいる。
夫「戻る覚悟はあるのか。」
佐川「ございます。」
夫「昨日より低くなれるか。」
佐川「……はい。」
妻はじっと見下ろす。
妻「今日はね。」
間を置く。
妻「気分がいいの。」
佐川の目がわずかに上がる。
妻「だから」
妻「雇ってあげる。」
一瞬、佐川の表情が緩む。
佐川「……ありがとうございます……!」
妻「勘違いしないで。」
妻の声が鋭くなる。
妻「許したわけではない。」
佐川「はい。」
妻「あなたは借金の一部。」
佐川「……承知しております。」
妻「役に立つ限り、置いてあげるだけ。」
佐川は深く頭を下げる。
佐川「感謝いたします。」
妻は指先で新しい指輪を撫でる。
妻「見える?」
佐川は目を伏せたまま答える。
佐川「はい。」
妻「二つ目よ。」
佐川「……お似合いでございます。」
妻「お前には一生縁のないものね。」
静かな一言。
佐川の肩が震える。
夫が低く言う。
夫「仕事を与えろ。」
妻は即座に言う。
妻「浴室。」
佐川が顔を上げる。
佐川「今から、でございますか。」
妻「当然でしょう。」
佐川「……はい。」
妻「隅まで磨きなさい。」
佐川「はい。」
妻「鏡一枚でも曇っていたらやり直し。」
佐川「……はい。」
佐川は靴を脱ぎ、奥へ向かう。
妻は夫に小さく言う。
妻「戻ると思いました?」
夫「行き場がない。」
妻「哀れね。」
夫「必要な駒だ。」
浴室から水音が聞こえる。
ブラシの音。
床をこする音。
妻はソファに腰掛ける。
夫「安心したか?」
夫が聞く。
妻「ええ。」
夫「なぜだ。」
妻「選ぶのは私だから。」
浴室から、かすかなすすり泣きが混じる。
妻は聞こえないふりをする。
妻「ほら。」
夫に左手を差し出す。
妻「外していないわ。」
夫はその手を握る。
夫「当然だ。」
浴室のドアが開く。
佐川「終わりました。」
佐川は疲れた顔で立っている。
妻は立ち上がる。
浴室を覗き込む。
指で鏡をなぞる。
妻「……まあ、いいわ」
佐川の肩から力が抜ける。
佐川「ありがとうございます。」
妻「勘違いしないで。」
振り返る。
妻「今日は“気分がいい”だけ。」
佐川「……はい。」
妻「明日もそうとは限らない。」
佐川は深く頭を下げる。
佐川「全て、承知しております。」
妻は冷たく微笑む。
妻「なら働きなさい。」
浴室の明かりが再び灯る。
水音が響く。
リビングでは、指輪の光が静かに輝いていた。




