夫婦の未来⑦ 〜夫の胸の内〜
夜。
腕の中で、妻の呼吸が少しずつ落ち着いていくのを感じながら、俺は天井を見ていた。
――少しでも食べろ。
あの一言に、どれだけの感情が含まれていたか、彼女は気づいていないだろう。
無理をするな、と言いながら、無理をしているのは分かっている。
完璧であろうとする。
揺れていない顔を作る。
だが俺は知っている。
俯いた瞬間を。
スプーンを持つ手のわずかな震えを。
自分は合理的な人間だと自覚している。
だが、彼女の体調や表情の変化に関してだけは、理屈が働かない。
食べないことが心配になる。
眠れないことが気になる。
泣くことが許せない。
――猫カフェ。
あれは衝動だった。
慰める言葉は得意ではない。
「大丈夫だ」と言うより、具体的な約束を差し出す方が楽だった。
予定。
行動。
外へ出る理由。
彼女が笑う理由を、ひとつ作りたかった。
本当は、猫が好きかどうかなどどうでもいい。
彼女が膝に猫を乗せて笑うなら、それでいい。
腕の中の温もりが動く。
「朝まで一緒にいて欲しい」
あの言葉。
俺は少しだけ驚いた。
強い女だ。
自分から弱さを見せることは少ない。
だからこそ、その願いは重かった。
――俺は必要とされている。
その事実が、胸の奥を静かに満たす。
彼女は自分を縛ろうとしているのではない。
ただ、確かめたいのだ。
自分が離れないかどうかを。
何度でも言うしかない。
離れない。
子どもができるかどうか。
年齢。
未来の可能性。
そんなものより、目の前で眠ろうとしている彼女が全てだ。
もし子どもができなくても。
もし年齢を重ねても。
それで彼女を手放す未来など、想像がつかない。
むしろ――
彼女がいない生活の方が、空虚だ。
合理で考えても同じ結論に辿り着く。
利益より、拡張より、体裁より。
彼女が隣にいることの方が価値がある。
子どもができるかどうかも、どうでもいい。
大事なのは。
この腕の中にいる人が、安心して眠れること。
俺は彼女の背をゆっくり撫で続ける。
呼吸が完全に寝息へと変わる。
小さく息を吐く。
――離れない。
言葉にしなくても、胸の中で繰り返す。
彼女が何度不安になっても、何度聞いても。
答えは同じだ。
彼女は俺の人生を狭めない。
むしろ、俺の世界を広げてくれる。
共に生きていくんだ。これからも二人並んで。
朝になっても、腕は解かない。
彼女が目を覚ましたとき、そこに自分がいること。
それが、今夜の役目だ。




