収束
午前10時。
sector-4への侵入は阻止された。
だが、戦いはまだ終わっていない。
白石 葵は、別室でノートPCを開いていた。
画面には、膨大なメールログが表示されている。
「玲央さん、これを見てください」
玲央が隣に来る。
白石が指差したのは、黒川のメールアカウントだった。
「監査開始の3日前。
外部のフリーメールアドレスへ、添付ファイル付きのメールが送信されています」
玲央が、そのメールを開く。
件名:「予定通り」
添付ファイル:監査スケジュール、ネットワーク構成図。
「……これは」
白石が、さらに履歴を遡る。
「過去半年間で、同じアドレスへ17通のメールが送られています。
内容は、社内の技術資料、顧客リスト、開発ロードマップ…」
玲央の目が鋭くなる。
「受信者は?」
白石が、ドメインを検索する。
「海外の大手コンサルティング企業……ですが、
このアドレス自体はフリーメールです。
おそらく、個人が企業名を騙っている」
玲央が、アクセスログと照合する。
「このメールが送られた直後、
黒川のPCから、sector-4のデータベースへ不正なアクセスがある」
白石が頷く。
「しかも、そのアクセスは全て『正規の権限』で行われています。
役員権限を使えば、ログは残るが、異常とは判定されない」
玲央が腕を組む。
「つまり」
「黒川さんは、自分の権限を使って、
社内の機密情報を外部へ流していた」
二人は、顔を見合わせた。
白石が、静かに言った。
「これは、産業スパイです」
午前11時。
結衣と白石は、黒川を別室に呼び出した。
小さな会議室。
窓がブラインドに仕切られているその部屋には、
テーブルと椅子だけが置かれている。
黒川が、苛立った様子で入ってくる。
「何の用だ?
忙しいんだが」
結衣は、表情を変えなかった。
「それほどお時間は取らせませんので。」
黒川は、渋々椅子に座った。
白石が、ノートPCを開く。
「黒川さん、こちらに見覚えは?」
画面には、フリーメールへの送信履歴が表示されている。
黒川の顔が、わずかに強張った。
「……何の話だ?」
「3日前、あなたは監査スケジュールとネットワーク構成図を、
外部のアドレスへ送信しています」
「それは…」
「しかも、過去半年間で17通。
技術資料、顧客リスト、開発ロードマップ。
関係部署に確認したところ全て、社外秘の情報です」
黒川が目を逸らす。
「……誤送信だ」
白石が、静かに言った。
「17回も、同じアドレスへ『誤送信』ですか?」
「そうだ。ミスだ」
結衣が、別のログを開く。
「では、こちらの方は?」
画面には、sector-4のデータベースへのアクセス記録が表示されている。
「あなたは、メール送信の直後、
必ずsector-4へアクセスしています。
しかも、不必要に顧客データや技術仕様を閲覧している」
黒川が、椅子の背もたれに身を預ける。
「こちらとて役員なんだから、当社情報を「知る権利」ぐらいあるだろ?
何を見ても不思議じゃない」
白石が、冷静に答えた。
「会社の現状を知るのは普通ですが、役員とはいえ少々逸脱しているかと…
断言はしませんが、「不正競争防止法違反」に当たる可能性は極めて高い事案と考えます。
営業秘密の不正取得および第三者への開示は、最悪の場合、刑事罰の対象になります。」
黒川の顔色が変わった。
「……何を言っている」
結衣が、前に身を乗り出す。
「黒川さん、証拠は揃っています。
メールログ、アクセス記録、タイムスタンプ。
全てが、あなたの行為を示している」
白石が続ける。
「さらに、今回の攻撃。
攻撃者は、監査のタイミングを正確に把握していました。
そして、あなたが送った『ネットワーク構成図』を元に、
sector-4への侵入経路を特定していた」
黒川が、言葉を失う。
結衣が、静か畳み掛ける。
「あなたは、攻撃者と繋がっていませんか。
場合によっては警察と一緒に会社の捜査を…」
「……もう、終わりか」
俯いて呟く黒川に結衣は、何も言わなかった。
黒川が、顔を上げる。
「分かってるんだ。
俺がやったことが、どれほど愚かだったか」
白石が、ノートPCを閉じる。
「なぜ、こんなことを?」
黒川が、自嘲するように笑った。
「カネだよ。そして――次のポストだ」
「次のポスト?」
「海外の企業から、オファーがあった。
役員待遇、年俸は今の3倍…いや、それ以上
ただ、条件があった」
結衣が問う。
「この会社の技術情報を渡すこと?」
黒川が頷く。
「最初は、軽い気持ちだった。
どうせ、誰も気づかないだろうと思った。
だが…」
「要求がエスカレートした」
「ああ。最後には、監査のスケジュールまで求められた。
『その隙に、sector-4のデータを取る』と言われた。
最初は断ったけど、『何かがあった時のバックアップ』だと言われた。」
白石が、冷静に確認する。
「つまり、今回の攻撃は、あなたが手引きしたものですね?」
黒川が、力なく頷いた。
「俺は――ただ、情報を流しただけだ。
攻撃そのものは、向こうがやった」
結衣は少し語気を強めた。
「それでも、共犯です」
白石が、静かに言った。
「ありがとうございました。この一件については御社の
法務部及び、コンプライアンス事業室に報告させて頂きます。
また本件は不正競争防止法違反、および不正アクセス幇助の疑いがありますので
警察に提出することになります。ご承知ください。」
黒川は力無く頷き、「申し訳…ございませんでした。」と小さく呟いた。
結衣は、静かに補足した。
「この国の技術は、他国から見れば喉から手が出るほど価値があります。
それを流せば、巡り巡って自分たちの生活を壊すことになる。
……そうやって後悔した会社を、私は何度も見てきました。」
少し間を置いて、付け加える。
「それに、流した先の相手は、あなたの将来なんて気にしていません。
十中八九、約束は守られない。つまり「使い捨て」です。」
午後1時。
警察が到着し、黒川は任意同行を求められ
捜査官と一緒に黒川が歩いていく。
天野と田所は、その光景を遠くから見ていた。
音のない戦場。
だが、その代償は――あまりにも重かった。
玲央が、天野の隣に立つ。
「天野さん」
「はい」
「あなたの気づきがなければ、sector-4は陥落していました。
顧客データ、技術情報、全てが流出していたでしょう」
天野は、何も答えられなかった。
玲央は続ける。
「AIは優秀です。
しかし、AIには『疑う』ことができない。
私たち人間が、自分の目で見て、違和感を感じて、
判断する――それが、システムを守る最後の砦なんです」
天野は、頷いた。
「……まだ、実感がないんです」
「入社して半年だっけ、
あなたは、やるべきことをやっただけ。それでいい。」
玲央は、そう言うと、結衣達がいる会議室へ戻っていった。
⸻
午後6時。
会社の「事件」は瞬く間に広がり、報道陣が詰めかけ記者会見している中
SOC室には、まだやるべきことが山積みだった。
証拠保全。
影響範囲の洗い出し。
監督官庁への報告資料作成。
上司・役員への説明用の資料作成。
田所はスマホで会見中継を見ながら、天野に声をかける。
「ありゃー…うちら大人気になってしまったか。
…休憩取るか?」
「もう少しで、キリがつきます。」
「そか。……無理すんなよ」
天野は、再び画面に向かった。
ログが流れ続けている。
「low trust」
「low trust」
その一つ一つが、もう以前とは違って見える。
天野は、マウスを握りしめた。
この戦いは、まだ終わっていない。
だが――確かに、何かを守れた。
それだけは、信じていいのだと思った。




