発覚
監査開始から6時間が経過していた。
時刻は午前6時。
SOCの窓の外は、まだ薄暗い。
天野は画面を見つめたまま、コーヒーを口に運ぶ。
冷めきった液体が、喉を通る。
Red-Σ の動きは、予想以上に静かだった。
ポートスキャン、認証試行、古いプロトコルの探索――
どれも、教科書通りの「攻撃者の初動」だ。
Blue-01は、その全てを「low trust」として処理している。
田所は休憩室で仮眠を取っている。
「どうせ何も起きない」
そう言い残して、向かったのは2時間前だった。
天野は一人、モニタの前に残った。
――些細なことでも報告を。
結衣の言葉が、頭の中で繰り返される。
だが、報告すべき「些細なこと」が、まだ見つからない。
いや――本当にそうだろうか?
天野は、昨夜見つけた「1秒のズレ」のログを、再び開いた。
タイムスタンプの非連続。
パッチが止まったままのサーバ。
それらは、まだそこにある。
そして今――。
画面の端に、新しいログが流れた。
「外部ホストからのアクセス試行」
天野は目を細める。
IPアドレスを確認する。
Red-Σ の管理下にあるホストではない。
「……Red-Σじゃない?」
心臓が、早鐘を打ち始める。
Blue-01 の判定は、「low trust」。
しかし――。
天野は、そのアクセス元を追った。
経路を遡る。
ログを比較する。
そして、気づいた。
このアクセスは、昨夜の「1秒のズレ」があったサーバと、同じ経路を通っている。
偶然――だろうか?
天野の指が、キーボードを叩く。
関連するログを全て抽出する。
そこには、規則的なパターンがあった。
5分おきに、同じ経路。
同じサーバ。
同じポート。
だが、そのたびに送信元が微妙に変わっている。
まるで――誰かが、足跡を消しながら歩いているようだ。
天野は立ち上がり、休憩室へ向かった。
「田所さん」
天野は、簡易ベッドで眠る田所を起こした。
「ん……どうした」
田所が目を開ける。
「これ、見てください」
天野は、自分の端末を見せた。
田所は画面を見て、眉をひそめた。
「……Red-Σのパターンじゃないな」
「はい。しかも、昨夜の1秒のズレと同じ経路です」
田所は起き上がり、SOCへ戻った。
二人は、並んでログを解析し始めた。
「5分おき……送信元が毎回変わってる」
田所が唸る。
「これは――」
「報告すべきですよね?」
天野が言うと、田所は腕を組んだ。
「……待て」
「え?」
「もし誤検知だったら、どうする?
監査中に騒いだ、評価が下がる、と言われるぞ」
天野は言葉に詰まった。
田所の言うことも分かる。
現場の苦悩、減点主義、責任回避――。
だが。
「田所さん、でも……」
「証拠がもう少し欲しい。もう少し様子を見よう」
様子を見ている間に、攻撃が進むかもしれない。
田所は上司であり、現場のベテランだ。
だが、その判断は――本当に正しいのか?
天野は、画面を見つめた。
――些細なことでも報告を。
結衣の言葉が蘇る。
天野は、決断した。
「田所さん……僕、SI社に連絡します」
田所が顔を上げる。
「天野!」
「責任は、僕が取ります」
天野は、メッセージアプリ内のSI社のグループを開き、ログを添付した。
そして、送信ボタンを押した。
⸻
午前6時47分。
SI社のオフィスで、玲央がアラートを受け取った。
「……天野くんから?」
彼は画面を開き、添付されたログを確認する。
眉がわずかに動いた。
「結衣、これ」
結衣が隣に来る。
「……Red-Σのパターンじゃない」
「ああ。しかも、経路が不自然だ。まるで」
「意図的に、Blue-01のしきい値を下回るように調整されている」
二人は顔を見合わせた。
結衣が、すぐにSOC室へ電話をかける。
「天野さん、よく気づきました。
今からそちらへ向かいます。
それまで、このログを監視し続けてください」
電話を切ると、結衣は白石に指示を出した。
「ホワイトチームを待機させて。
インシデント対応の可能性がある」
白石が頷く。
「了解しました。法務と広報にも連絡してからそっちに向かいます。」
結衣と玲央は、すぐに車へ向かった。
⸻
午前7時15分。
SOCに、結衣と玲央が到着した。
天野は立ち上がり、彼らを迎える。
田所も、複雑な表情で隣に立っていた。
「お疲れ様です。これが、気になったログです」
玲央が画面を覗き込む。
「……なるほど。これは巧妙だ」
結衣が、Red-Σの管理画面を開く。
「Red-Σの動きと、このアクセスを時系列で並べてみましょう」
四人は、ログを並べた。
そして――気づいた。
Red-Σが探索を始めると、必ずその直後に「外部からのアクセス」が混ざり込んでいる。
まるで、Red-Σの影に隠れるように。
「これは……」
天野が息を呑む。
「攻撃者が、監査を利用している」
結衣が頷いた。
「おそらく、事前にこの企業の監査スケジュールを把握していた。
そして、Red-Σの動きに紛れて侵入しようとしている」
玲央が、さらにログを掘り下げる。
「問題は、どこまで入られているか、だ」
彼の指が、ある一点を指す。
「このサーバ。昨夜、パッチが止まっていたやつだ」
天野が画面を切り替える。
「はい。ここです」
玲央が、そのサーバのアクセスログを開く。
そして――凍りついた。
「……やられてる」
画面には、管理者権限での不正ログインの痕跡があった。
しかも、それは12時間前――監査開始の直前に行われていた。
結衣が即座に判断を下す。
「Red-Σを停止します。
今は、攻撃の隠れ蓑になっている」
玲央が頷く。
「代わりに、Red-Σをログ比較ツールとして使おう。
正常な探索パターンと、実際のアクセスログを照合すれば、
攻撃者の足跡が浮き上がる」
天野は、二人のやり取りを見ながら、自分の役割を探した。
「僕は、何をすればいいですか?」
結衣が振り返る。
「このサーバから、どこへアクセスが広がっているか追ってください。
攻撃者は、必ず横移動しているはずです」
天野は頷き、ログの解析を始めた。
⸻
午前8時。
会議室では、緊急ミーティングが開かれていた。
役員の黒川が、苛立った声を上げる。
「監査中に、本物の攻撃?
それは、そちらの管理不足ではないのか?」
結衣は、冷静に答えた。
「攻撃者は、監査のタイミングを狙って侵入しています。
これは、御社のセキュリティ体制そのものへの攻撃です」
黒川が腕を組む。
「それで、どうするつもりだ?
業務を止めるのか?」
「外部通信の一部を遮断する必要があります」
黒川の顔色が、一瞬変わった。
「それは…困る」
その言い方には、業務への懸念以上の、
何か別の焦りが混じっていた。
結衣は、資料を開いた。
「攻撃者が狙っているのは、「sector-4」と言われているところです。
ここには、基幹システムと顧客データが集中しているかと…」
黒川は焦ったように語った。
「だからといって、全てを止めるわけにはいかない。
工場などとの通信が途絶えれば、生産ラインが止まる」
玲央が静かに口を開いた。
「攻撃者は、監査のタイミングを正確に把握していました」
結衣が続ける。
「監査スケジュールは、社内の限られた人間しか知らないはずです」
黒川が、わずかに目を逸らした。
「…わかったわかった…そんなことより、早く遮断してくれ」
結衣は、その様子を静かに観察していた。
その時、天野が会議室に駆け込んできた。
「すみません!
攻撃者の経路、特定できました」
玲央が画面を受け取る。
「……これは」
天野が息を整えながら説明する。
「攻撃者は、古いVPN経路を使っています。
これ、5年前に廃止されたはずの経路です」
玲央が画面を拡大する。
「なるほど。設定ファイルには残っていたが、
誰も使っていないから気づかれなかった」
結衣が黒川を見る。
「この経路だけを遮断すれば、業務への影響は最小限です」
黒川が渋い顔をする。
「……本当に、それで止まるのか?」
「保証はできません。
しかし、今動かなければ、sector-4が陥落します」
黒川は、しばらく沈黙した。
そして――。
「分かった。やれ」
結衣が頷く。
「天野さん、この経路を今すぐ遮断してください」
天野は、SOC室へ走った。
⸻
午前8時32分。
天野は、ネットワーク設定画面を開いた。
別のメンバーは確認用として連続疎通確認をしていた。
手が震える。
この操作を間違えれば、全てのシステムが止まるかもしれない。
不安がよぎった時天野は、結衣の言葉を思い出した。
「初動がすべて」
指が、流れるようにキーボードを叩く。
古いVPN経路のルールを削除。
指差し確認をし、田所のチェックを行った後、適用ボタンを押す。
画面が、一瞬フリーズした。
「天野さん、遮断を確認しました」
天野はそれを聞き、田所と玲央に報告した。
玲央が、Red-Σのログ比較結果を確認する。
「……止まった。横移動が停止している」
会議室にいた結衣はそれを聞き、深く息を吐いた。
「sector-4は守られました」
会議室に、静かな安堵が広がった。
だが――。
玲央が、厳しい表情で言った。
「これで終わりではありません。
攻撃者は、すでに一部のデータにアクセスしている。
ここから先は、証拠保全とインシデント対応になります。」
白石が立ち上がる。
「私が、法務と監督官庁への報告を準備します」
他の役員が協力を示している中、黒川だけは顔を伏せたまま。
「……こんなことになるとは」
役員の一人が呟く中、結衣が、静かに言った。
「これが、現代「戦争」の一つです。
厄介なのは、何も前触れもなく一気に攻撃が掛かることです。」
⸻
会議が終わり、SOC室前にある自販機前に立つ田所と天野。
田所は複雑な表情だった。
「……やってくれたよ、天野」
天野は、謝罪の言葉を探したが、田所が手を上げた。
「謝るな。お前の判断は正しかった。
俺が、決断できなかっただけ。」
田所は、コーヒーを啜る。
「ただな――これから先、缶詰になるぞ。
解決まで、家には帰れないと思え。
フォローはできるだけするが……覚悟しとけよ」
天野は、頷いた。
その言葉通り、天野がSOCを出られたのは、
出社してから4日後のことだった。
⸻
午前9時。
48時間の攻防戦は、まだ半分も終わっていない。
だが、最初の危機は去った。
天野は、コーヒーを一口飲んだ。
今度は、温かかった。
そして、思った。
自分は、何かを守れたのだろうか?
それとも、ただ運が良かっただけなのか?
答えは、まだ分からない。
ただ一つ、確かなことがある。
この戦場に、音はない。
だが、確かに――戦いは、続いている。




