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佐竹栄一(76)の場合

地方の小さなスーパーマーケット

ちょっと覗いてみませんか?

序章


私の名前は木村卓也

年齢は五十二歳

千葉ではそこそこ名の通ったスーパーマーケット

「ひよこストア」の店長を任されている。

学生時代までは、ごく平凡な名前だと思っていたのに

例のジャニーズの彼のお陰で、度々迷惑を被っていた。

病院の呼び出し、役所での手続き、子供の学校、etc.・・・

名前を呼ばれる度に、一斉に注目を浴び

その後の落胆と同情が入り混じった眼差しは

地味に中年男の繊細なハートを痛めつける。

せめてマッチョな体になって、男らしさをアピールしようと

若い頃はジムに通ったりプロテインを飲んだりしてみたが、

バーベルで腰を痛め、ランニングマシーンで膝を痛め

更に肉やプロテインが体に合わず下痢。

結局五㌔も体重が減り、余計に貧相になっただけだった。


「木村店長」と私を呼ぶ職場のパートさん達も

陰では「しょぼたく」とか「ハゲたく」

と言っているのも知っている。

思えば20代後半から、

朝起きるたびに枕に抜け毛が目立ち始め

秋の台風のように着実にツムジが育っていった。

20代最後のクリスマスに

「サンタさん俺に髪の毛をください」

とお願いしたら

翌朝ごっそりと枕に髪の毛がプレゼントされていて流石に焦った。

それでも髪の量など全く気にしない女性と見合いで出会う事ができ、

めでたく結婚。

※皮肉なのかどうなのか仲人は妻の知り合いのパーマ屋

ふたりの娘にも恵まれた。

妻は出産を機に学校の栄養士を辞め、

それ以来ずっと専業主婦をしている。

ちなみに名前は静。

これも別に狙った訳でもなく偶然である。

妻はキムタクのほうのシズカとは正反対で

ころころとしたツチノコのような体形。

顏はほとんど亀井のほうのシズカ。

よって俺は選挙の時は何となく自民の候補者に投票してしまう。

娘は大学2年と高校3年。

決して楽な経済状況には無いので、

今日も必死で店長業にハゲんでいるのだ。



エピソード 1

佐竹栄一(76)の場合

9時30分。ひよこストア開店である。

カレンダーで作ったメモ帳の裏に書かれた妻の指令書に従い、

店内を巡る。

少し震えた字で書かれたメモには、

やっぱり定番の商品名があった。


仕事をしていた現役の時は

男がスーパーで買い物をするなど言語道断、

みっともないと思っていた。

しかし1年前の冬、我が家の状況は一変した。

妻の小夜子が買い物の最中、

レジの前で突然倒れたのだ。

脳の深い部分の血管が切れ、

ドクターヘリで病院に運ばれた時には

もう意識が無かった。

心肺停止状態の一歩手前だと医者の説明を受けた時には、

目の前が真っ暗になり、自分まで倒れそうになった。

隣県から駆け付けた息子と

「葬式の段取りをしなければならないか・・・」

と話し合ったほど病状は厳しかった。

そして妻は三日間眠り続け、

私は三日間一睡も出来なかった。

眠ってしまうと小夜子が向こう側に行ってしまいそうな気がしたのだ。

そして四日目の朝、

ずっと握っていた妻の手が微かに動き、

妻は私のもとに戻って来た。

左の手と足の機能はあちら側に取られたが、

命が助かったのだから本当に医学の進歩はありがたい。

医者や看護師さん達が神様のように

後光が射して見えた。

私は不覚にも息子の前で落涙してしまい、

恥ずかしかった。

意識が戻った小夜子の第一声は

「もうちょっとだったのに」

という思いがけない言葉だった。


私としては、

「お父さん ありがとう」とか

「助かって良かった」とか

テレビドラマでよく見るような

「ここは どこなの?」

「私どうしちゃったの?」

的なものかと勝手に想像していたので、

あまりに意外な言葉に衝撃を受けた。

「もうちょっと」とはどういう意味だったのだろう。

もしかして妻は死を望んでいたのだろうか。

ごくごく平凡だと思っていた私達の結婚生活が

妻にとっては辛いものだったのだろうか。

少しばかりの恐怖に似た思いもあり、

言葉の真意を確かめる気にもなれず数か月が過ぎ、

リハビリを卒業した妻が家に帰って来た時は、

ツバメが飛び交う季節になっていた。


小夜子とは上司の紹介で知り合った。

学生時代にはそれなりに女性との付き合いはあったが

都内大手製薬会社の営業として就職してからは、

自分の時間は取れず

仕事優先の私から何人かの女性達が去っていった。

昔のプロパーはそれこそ滅私奉公と呼ぶに相応しく、

口さがない輩には男芸者等ともいわれる位、

顧客の要請があれば飛んでいき、

時にはその家族の雑用まで

二つ返事でこなさなければならなかった。

小夜子と初めて会ったのは

当時の見合いの定番であった某有名ホテルのラウンジ。

山形出身の小夜子はその名の通り、

大人しく控えめで

当時持て囃されていたキャリアウーマンとは対極にいるような女性だった。

同じ東北出身だったのもお互いの距離を近いものにしたのかもしれない。

特に医者の派手目な奥様達を相手にしていた私には、

その古風な佇まいが好もしかった。

面白くもなかったろう私の話を

穏やかな笑顔で聞いてくれ、

この人とならこれからの人生を一緒に歩いていけそうな気がした。

その晩早速上司に話を進めて貰うべく連絡を取ると

既に先方からOKの返事が届いているという事だった。

それからはとんとん拍子に縁談は進み、

型どおりに私の故郷である福島の式場で

両家の親族を集めての結婚式となった。

両家の親はとても喜び、

私は少し親孝行ができたような気分になったものだ。

30歳を過ぎていたので子供はすぐにでも欲しかったが、

授かるまでに4年かかった。

当時私は気づかなかったが、

妻のほうには周りから相当プレッシャーがかかっていたようで

本当に申し訳なかったと思う。

それでも一粒種の息子が生まれた時、

私によく似た赤猿を抱きながら

眩しい笑顔を私に向けてくれた。

少し誇らしげなその顔は、

私が知っている女とはちょっと違って見え

今までで一番綺麗だった。


その後、お互いの両親が年老い、

それなりの病にかかり、介護が必要になった時も

「家庭の事は私の係」

だと愚痴一つ私にこぼすことなく、4人の親を見送った。

勿論、私も任せきりだった訳ではなく、

できる限りの事はしたつもりだった。

だが、自分がそう思っていただけで

妻には相当不満が溜まっていたのかもしれない。


65歳できっぱりと会社を辞めてから、

罪滅ぼしと言う訳でもないが

世間並みに夫婦で海外旅行をしてみないかと妻を誘ってみた事もあった。

が、

「私、飛行機は苦手だし海外よりも国内でのんびりしたほうがいい」

と言う妻の希望に従い

年に2,3度は少し豪華な宿を取り、

温泉巡りを楽しんだりもした。


私の年代の夫婦としては、まあまあ上手くいっている、

友達や兄弟には私の愚痴や不満をこぼしてはいただろうが

どこもこんなものだろうと思っていた。

だから余計に妻の

「もうちょっとだったのに」

は私の心に鋭い棘のように刺さり

その痛みは日に日に深くなってきていた。


退院してからの小夜子は今までと同じく、

穏やかでそして頑張り屋だった。

自主リハビリも前向きに取り組み、

家事もできるだけ自分でやろうとした。

が、片方の機能が失われた身体での作業は時間もかかり、

相当に疲れるようだった。

顏にこそ出さないが、五体満足な私にはわからない

辛く悲しい思いをしているのだろう。

私にできるのは、そんな妻をフォローすることくらいだ。

今まで家の事は全て任せっきりだった恩返しのような気持ちもあった。

初めのうちは時間もかかり、

妻のレベルには到底及ばずかなり疲れたが

一か月もするとコツを覚え、いい運動にもなるし、

何より妻の「ありがとう」を聞くのが嬉しい。


妻が家に戻って2か月が経った。

梅雨に入り、朝から静かな雨が庭の野草を濡らしている午後。

私達はふたりでぼんやりと、庭を眺めながら

小夜子の好きな濃いミルクティーを飲んでいた。

とても静かな時間に、油断してしまった私はつい

「なあ、もうちょっと って何だったの?」

とずっと胸にあった疑問を口にしてしまった。

この穏やかな空気を壊してしまいそうで、一瞬、

失敗した!聞くんじゃなかった!と思った。


小夜子は「えっ!なんで?」と大きな声を出して驚いたあと

ふふふ・と恥ずかしそうに笑うと「聞きたい?」と言った。

黙って頷いた私を見つめた後、

妻は窓の外に視線を移し、そしてゆっくりと話始めた。




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