第9話 『うってつけの人材』の理由
紫呉が真顔で「さて」と手を叩き、話を戻す。
「とりあえず説明はここまでで大丈夫だろ。で、早速これに宿ってるかどうか見てくれ」
「結局そこに戻ってくるんですね……。えっと、コンタクト外さないとダメですか?」
コンタクトレンズを外さないと、湊には気配しか感じることしかできないのだ。
今日は予備のコンタクトレンズをしっかり持ってきているので、外すこと自体は問題ないが、あまり自ら進んで霊を見たいとは思わない。
湊がおずおず確認すると、紫呉は思い出したように、
「ああ、そうだったな。じゃあとりあえず気配を感じるかだけ試してみてくれ」
そう答えて、腕と足を組んだ。
「そもそも、これって何なんですか?」
怪訝そうに眉をひそめた湊が、今度はレジカウンターの上に置かれたままの絵画を指差す。
これが霊と何らかの関わりがあるようには見えないのだが、紫呉は「この絵に宿ってるらしい」と言っていた。
「さっきの依頼人が持ってきたんだが、どうにもこの絵から声が聞こえるみたいでな」
「依頼人って田中さんですよね。でも声って?」
「何か女の声みたいなのが聞こえるって話だったな。それで気味悪がってここに持ってきたんだよ。原因を調査してくれって」
紫呉のよこした答えに、湊は嫌な予感が大きく膨らんでいくのを自覚せざるを得ない。
先ほどの説明から察するに、自分はこれから霊に関して色々と何かをさせられるようだ。その手始めが『霊の気配を探ること』なのだろう。
「あの、さっきから思ってたんですけど、やっぱりここってただの骨董屋じゃないですよね……?」
「お前、気づくのおせーな」
「いや、薄々おかしいとは思ってましたよ。紫呉さん、おれのこと『うってつけの人材』とか言ってましたけど、全然その理由教えてくれなかったですし」
湊が紫呉に胡散臭いものを見るような目を向ける。
そう、紫呉は湊に対して『うってつけの人材』とは言ったが、その理由はまだ話してくれていなかったのだ。
それを怪しまない方がおかしい。
「最初に言ったらバイト断られるかもしれねーだろ。お前、その前から断わる気満々だったじゃねーか」
「それはそうですけど。あ、もしかして『接客業』って人間に対してだけじゃなくて、霊も含まれてます!?」
「ホント、お前は鈍いな」
湊がようやく気づいたように声を上げると、紫呉は心底可笑しそうに腹を抱えた。
「普通は契約する時にちゃんと話しておくことじゃないんですか?」
もっと早くに言ってくれてもいいじゃないですか、と湊が不満そうに口を尖らせる。
「今話したろ」
「遅いですよ! もう三日も経ってます!」
「とにかくメインは骨董屋だが、たまにこうして霊絡みの依頼も入ってくるんだよ。だからお前は両方のバイトってことだ。まあ、霊に関する依頼は俺がここの店長になってからはまだ数件しかないけどな」
「あれ? でも紫呉さんって霊の声は聞こえないんですよね? 今まではどうやって依頼を解決してたんですか?」
悪霊は祓い屋に頼むから問題ないだろうが、他の善良な霊とやらはどうするのか。
そんな疑問を紫呉にぶつけると、紫呉は改めて腕を組み、天井に視線をやった。
「うーん、これまでは依頼人の話を聞いてやることくらいしかできなかったな。霊の姿は見えるが、口パクで何を喋ってんのかわかんねーし。依頼人にそう説明してもそれで満足してくれてたしな。多分、誰かに話したかっただけなんだろ。あと本当に悪霊が憑いてた時は、さっき話した祓い屋に頼んで祓ってもらったな」
「口パクなら読唇術とかで何を話してるのかわかったりはしないんですか?」
湊の方へと顔を戻した紫呉が、今度は眉を寄せ、大きな溜息をつく。
「ああ、あれな……。俺も前に同じこと考えて読唇術を勉強してみたりはしたんだよ。けど、霊って常にはっきり口を動かしてるわけじゃねーだろ」
「確かにそうですね」
これまでうっかり出会ってしまった霊たちのことを思い返し、湊は納得した。どちらかと言えば、あまり口を開けずボソボソ喋っている個体の方が多かった気がする。
「あと単純に俺には無理だったから諦めた。まあ、こればっかはしょうがねーからな」
どこか遠いところに視線を投げる紫呉に、湊は静かに相槌を打つことしかできなかった。
読唇術が無理だったのならば、きっと他に方法はなかったのだろう。霊と会話ができる湊を羨ましがり、必要としたのもよくわかる。
そこまで考えて、湊は先ほど田中に挨拶をした時のことを思い出した。
「だから、さっきの田中さんは『古賀くん《《も》》』って言ってたんですね……」
紫呉は自分のことを、『霊と会話ができるアルバイトの古賀湊』と紹介していたのだろう。
つまり田中は、紫呉と湊の二人に対して依頼を持ってきたのである。
そんなことに今になって気づいた。
何だか大変なところに来てしまった、と肩を落として嘆く湊の姿に、紫呉が苦笑を浮かべる。
「でもお前が来てくれたから、これで霊の願いを叶えてやれるようになった」
「おれにそんな大層なことできますかね……?」
「そこまで心配なら、今から目の前のやつで試してみればいいんじゃねーの」
そう言って、紫呉は改めてカウンターの上に乗った絵画を指差したのだった。