第51話 『生霊』と『悪霊』の違い
夜、車で紫呉の家に来たシュウの手には、細長い布袋に入った何かが握られていた。
「それ、何ですか?」
湊が指差しながら不思議そうに聞くと、シュウは「ああ」と一つ頷いて簡単に説明してくれる。
「これは緋桜っていう刀で、強い悪霊を祓う時に使ったりするんだ。念のために備えておく必要があるかもと思って」
「へぇ、これって刀なんですね」
膝を抱えるようにしゃがみ込んだ湊は、そのまま顔を寄せて、布袋に入ったままの緋桜を興味深そうにまじまじと見つめた。もちろん、刀身どころか鞘すら見えていない状態ではあるが。
しかし、その顔もすぐに曇ってしまう。
(念のために……か)
強い悪霊を祓う時に使う刀。それは神秘的でかっこいいと思うが、今回は緋桜の出番がないことを祈るばかりだ。
またシュウの話では、悪霊と生霊は少し違うが、生霊でも悪霊寄りのものとそうでないものがいるらしい。紫呉に憑いた生霊が悪霊寄りでなければいい、と湊はさらに切に願う。
ただ、シュウは生霊についても多少の知識があるようだし、やはりいてくれるだけで心強い。
ある程度じっくりと緋桜を眺めて、満足した湊が立ち上がった。シュウに無駄な心配をさせないよう、笑顔を作る。
「今、飲み物持ってきますね。アイスコーヒーでいいですか?」
「うん、ブラックでお願いできるかな」
「わかりました」
シュウの答えに頷いて、湊はすぐさまキッチンへと向かった。
※※※
客間から少し離れたリビングのテーブルには、二つのグラスが置かれていた。
ソファーに座った湊はその一つを手に取ると、正面のシュウをまっすぐに見据える。
「生霊にも、普通の霊と同じように願いがあったりするんですか?」
単刀直入に問うと、シュウは真剣な表情で素直に頷いてみせた。
「生霊は生きてる人間の思いが原因になってるから、普通の霊よりも強い願いを持ってることも多いはずだよ。ただ、絶対に願いを持ってるとは限らないと思う」
シュウの答えに、湊が首を傾げつつ続けた。
「願いを持っていない場合はどうしたらいいんですか?」
「そうなると悪霊寄りの可能性が高くなるから、祓って無理やり本人の身体に戻すことになると思うよ。でも、今のところはこの家から悪霊の気配は感じないね」
シュウが周囲を見回してそう言うと、湊も無言で頷く。
確かに、湊もこの家から霊の気配は感じていない。
尊は姿も気配も消しているからだとわかっているが、生霊もおそらくそうなのだろう。きっと、傍まで行っても先ほどのようにかすかな気配しか感じられないはずだ。
湊はさらに質問を重ねる。
「じゃあ悪霊じゃなく、願いを持った生霊だと仮定して、その願いを叶えられたら生霊は自分に身体に戻るってことですか?」
「多分そうだろうね。少なくとも僕がこれまでに見た生霊はそうだったよ。数件しか見てないから絶対とは言えないけど」
腕を組んだシュウの発した言葉に、湊が思わず前のめりになった。
「生霊を見たことがあるんですか!?」
「かなり前のことだけど、見たことはある。だからといって今回役に立てるかはわからないよ」
シュウは冷静にそう告げ、組んでいた腕をほどく。テーブルの上のグラスを手にして、中身を一口飲み込んだ。
静かにグラスがテーブルに戻されると、それを待っていたかのようにまた湊が口を開く。
「でも、見ることはできるんですよね?」
「気配は感じられないけど、姿を現せば見えるよ。まあ僕の場合は、対処しようにも姿を現してくれないとどうにもできないんだけどね」
前に会った生霊は姿が見えてたからどうにかなったんだよ、シュウは困ったように首を横に振って、小さく溜息をついた。
「それはおれも同じですけど、もし話ができて生霊の願いを叶えられたら、紫呉さんは助かるってことですか?」
「願いを持ってる生霊なら、助けられる可能性は高いと思うよ」
シュウの肯定にまた少しだけ表情が和らいだ湊だったが、それはすぐに曇ってしまう。
「でも、まず会話ができてないんですよね……」
「問題はそこだよね。……ちょっと紫呉の様子を見させてもらってもいいかな?」
「あ、はい。今は客間で寝てます」
湊の答えを受けたシュウが立ち上がり、客間へと向かう。湊もすぐさまその背中を追った。
※※※
「紫呉、相当辛そうだったね」
リビングのソファーに深く腰を下ろしたシュウが、深刻そうな顔で呟く。
湊も意気消沈しながら眉を寄せた。
「早く何とかしてあげたいんですけど、生霊と話ができないと願いがわからないし……」
それだけを紡ぎ、大きく息を吐き出す。
客間で眠ったままの紫呉の顔色は相変わらず悪く、さらに体調が悪化しているようにも見えた。
生霊の気配も改めて探ってみたが、やはりとてもかすかなものを感じられる程度で、当然姿も現していない。
シュウは悪霊の気配には湊よりも敏感だが、それでも気配を感じることができなかった。
つまり、今の段階では悪霊の可能性は低いと思われるが、実際に姿を現してみないことには詳しいことはわからないらしい。
紫呉の額にかいた汗を水で濡らしたタオルで拭ってやりながら、湊は生霊に話しかけてみたが、それにも反応は一切なかった。
そうして湊とシュウは何の収穫もないまま、後ろ髪を引かれつつリビングへと戻ってきたのである。
不安げにうつむく湊に、シュウが穏やかな声音で聞く。
「ペンダントに宿ってるっていう、尊さんは今どうしてるの?」
「やっぱり今は姿も気配も消してますね。常に消してるから、まだ紫呉さんにも気づかれてないみたいです」
気遣うような声に、湊は顔を上げるとそれだけを答えた。
「そうなんだ。紫呉と生霊はあんな状態だけど、これからどうしようか。湊くんの考えを尊重するよ」
「とりあえず、今日は病院には行かずに様子を見ようと思います。紫呉さんも行きたがらなかったですし。あとは、どうにかして生霊が姿を現してくれる方法を考えようかな、と」
生霊が相手なら病院に連れて行っても無駄だろうことは、湊にも理解できている。病院で症状を和らげることはできるかもしれないが、できない可能性も十分にある。
原因はわかっている。それなのに、何もできないことがもどかしい。湊は自分の無力さを呪い、肩を落としながら唇を噛んだ。
そんな湊の姿に、シュウが改めて声をかける。
「わかった。僕も何か方法がないか、家で考えてみるよ。今日は一旦帰るけど、また明日の朝来るから」
「はい、よろしくお願いします」
優しい声に、湊は少しだけ安堵しながら頭を下げた。
「湊くんも無理はしないようにね」
シュウが心配そうな表情で腰を上げる。そのまま湊の前に来てしゃがみ込むと、肩にそっと手を置いたのだった。




