第5話 もっといい場所
湊がゆっくり口を開き、ぽつりぽつりと話し出す。
「……実は、今日の午前中にバイトの面接があったんですけど、寝坊したせいで落ちちゃったんですよ。面接の時間に間に合わなかったんです」
「連絡は入れなかったのか?」
これまでよりも明らかに声のトーンが落ちた湊に、紫呉が疑問を投げかける。
それに対し、湊はうつむきがちに首をふるふると横に振った。
「起きてすぐに電話しましたけど、『もう面接は終わったから』ってそのまま落とされました」
確かに寝坊したおれが悪いんですけど、と湊はまたも大きな溜息を零す。苦笑すら浮かべられなかった。
さらに続ける。
「急いでバイトを探さなきゃいけないってわけじゃないんですけど、何だか自分の存在を『いらない』って否定されたような気がして。それで落ち込んじゃって、午後から気分転換しようと思って散歩に出てきたんですよ。あとは紫呉さんの知ってる通りです」
紫呉は長い足と腕を組んで、ただ黙って話を聞いてくれていた。
アルバイトの面接に落ちるのはよくあることだし、ここまで落ち込む必要もないのだろう。湊だってそれはわかっている。
けれど、どうしてもすぐに割り切ることができずに、ここまで引きずってしまっていた。
話し終えると、気持ちはいくらか晴れたような気がしたが、これで問題が解決するはずもない。
湊はこれまでで一番大きな溜息を漏らし、力なくうなだれた。
そこで足を組み替えた紫呉が、ようやく口を開く。
「なるほど。寝坊して落とされるのは仕方ねーことだ。お前が悪いとしか言いようがない」
「……そうですよね」
鋭く指摘されてしまい、さらに深くうつむいた湊は、か細い声を漏らすことしかできなかった。
「でもな、そういう時はこう考えるんだよ。『そこは自分とは縁のない場所だった。もっといい場所があるってことだ』ってな」
「もっといい場所、ですか?」
湊が顔を上げて、紫呉を見据える。
果たして自分にそんな場所があるんだろうか。
そう言いたげに首を捻る湊の姿に、紫呉は「待ってました」とばかりに前のめりになった。これまでの真剣な表情が台無しになるくらいの明るい笑顔で、親指をぐっと立ててみせる。
「ああ、そうだ。つまり俺がお前を雇ってやれば万事解決ってことだろ!」
「ちょ、ちょっと待ってください! 何でいきなりそうなるんですか! ここが『いい場所』なんですか!?」
紫呉があっさり放った言葉に、湊の瞳が大きく開かれた。思わず両手を顔の前で振りながら立ち上がると、座っていた椅子が勢いよく倒れる。
とんでもない提案を出してきた紫呉は、その椅子を直してやりながらさらに続けた。
「もちろん。それに、ちょうど求人広告出そうと思ってたからよ。しかも『霊が見えるやつ』って条件でさ」
「何ですかそれ。そんな条件じゃ怪しすぎて誰も来ませんよ……。そもそも見える人間なんてそうそういないと思います」
湊は心底呆れた表情で紫呉を見やる。それから「ありがとうございます」と一応小声で告げて、椅子に座り直した。
「まあそうだろうな。でもお前がここでバイトしてくれればうちは広告費が浮くし、お前だってバイトできるんだから助かるだろ? 何よりこの店にとってお前はうってつけの人材だ。もちろん最低時給は保障するぞ」
「うってつけ、ってどういうことですか……?」
「まあ、それは追々わかる。見ての通り、ここは店だ。とりあえずは接客業だと思っておけばいい」
「でもそんないきなり言われても……。ちゃんと面接とかしなくていいんですか? 履歴書だって今は持ってませんよ?」
一気に畳みかけてこようとする紫呉に、湊は訝しげな視線を向ける。
あまりにも急な展開で、これは湊でなくても困ってしまうだろう。
しかし、紫呉はレジカウンターに頬杖をつきながら、湊を自信満々の笑みで見つめていた。
「面接や履歴書なんて必要ねーよ。お前は信用できるやつだ。その目の色でわかる」
きっぱりと言い切られ、湊は思わず息を吞む。
笑顔を浮かべているくせに、あまりにもまっすぐ真剣に、射貫くような視線を投げてくるからかもしれない。
それに、この人は自分を必要としてくれている。
湊は少しずつ紫呉の出した提案に傾いていた。
「目の色でわかるとか意味不明ですけど……わかりました。これからよろしくお願いします」
せっかく雇ってくれると言っているし、さっきはコンタクトレンズを探してくれた恩もある。アルバイトができること自体は確かにありがたいので、湊は素直に引き受けることにして頭を下げた。
もちろん、半ば無理やりここに拉致されたのは一旦横に置いておく。
「よし、決まりな。その目であんまり外は歩きたくないんだろ? 今はコンタクトがないから霊も見えるんだろうしな。店長直々に家まで送ってやるからついてこい」
満足げに頷いた紫呉は、話をまとめて立ち上がる。ジャージのポケットから車のキーを取り出すと、湊を促して外へと出た。
外はとっくに日が沈んでいる。
紫呉の背中を追うようにしてついていくと、店の裏手に車庫があって、その中には青い軽自動車が置かれていた。
「ほら、乗れ」
「あ、はい」
紫呉に言われるまま、助手席に腰を下ろす。シートベルトをしっかりつけると、紫呉は静かにアクセルを踏んだ。
(めちゃくちゃ恩は売られたけど、一応コンタクトを探してくれた恩人だし、こうして気を遣って送ってもくれる。色々と面倒そうだけど案外優しい人なのかな……)
真剣にハンドルを握る紫呉の端正な顔をちらりと横目で見やって、湊はそんなことを思う。
当然、これからどんな仕事をするかも、自分のどこが『うってつけの人材』なのかもさっぱりわからないままではあったのだが。




