第47話 紫呉の祖父
リビングに入ってすぐのことである。
紫呉の身体がぐらりと大きく傾いたことに気づき、湊は目を見開いた。
「紫呉さん!?」
思わず声を上げてとっさに横から支えるが、紫呉はその場で膝から崩れ落ちてしまう。
「……悪い」
紫呉の口から紡がれたのは、とてもか細い、今にも消え入りそうな声だった。
「大丈夫ですか!」
湊がすぐさましゃがみ込んで、ぐったりした様子の紫呉の顔を覗き込む。その顔色は蒼白で、額には脂汗が浮かんでいた。
どう見ても倒れる寸前の状態である。
「今、救急車呼びますから!」
バッグからスマホを取り出そうとする湊の手を、紫呉がゆっくりと止めた。
「……いい」
紫呉は相変わらずの小さな声で拒否する。
その姿に、湊が声を荒げた。
「でも、こんなに具合悪そうじゃないですか!」
「……どうせ、原因はわかんねーんだから」
苦しそうに吐き出された紫呉の言葉に、湊は息を呑む。
実際、昨日入院した時も原因はわからなかった。そのことを指摘されてしまうと、湊にはどうすることもできない。
(病院が嫌なら、とりあえずはこの家で寝てもらうしかないな。それから次のことを考えよう)
湊は瞬時にそう判断して紫呉を部屋に運ぼうとするが、すぐにそれが不可能だと気づいた。
紫呉の部屋は二階にある。今の状態の紫呉を二階まで運ぶのは、湊一人の力ではまず無理だ。
それなら、一階にある他の部屋に寝かせるしかない。
「わかりました。紫呉さん、客間に行きますよ。少しだけ頑張ってください」
「……ああ」
湊は紫呉に肩を貸し、懸命に支える。足元がおぼつかない紫呉の様子をこまめに窺いながら、やっとのことで客間に運び込んだ。
客間には、昨日湊が泊まった時に出した寝具が置かれている。
押し入れから出す手間が省けてちょうどいい。そんなことを思いながら、湊は手早く布団を敷いた。
そこに紫呉を寝かせようとした時である。
紫呉の首から下げられたペンダント、そのペンダントトップに湊の指が不意に触れてしまった。
紫呉からはこれまで「触るな」と言われたことはないので、それは問題ないだろう。
しかし触れた瞬間、湊は何か不思議な力のようなものを感じた。
(今、指先に違和感が……)
反射的に触れた指を見やった時、湊の耳に声が聞こえてきて、はっとする。
今回ははっきりとした声だった。
※※※
布団に横になった紫呉は、あっという間に深い眠りに落ちたようだ。
それを確認した湊が改めて、先ほど聞こえてきた声の方に向き直る。コンタクトレンズを外した視線の先には、紫呉のペンダントがある。
「もしかして、病室や夢の中で声をかけてきたのもあなたですか?」
『……ああ。私は紫呉の祖父、尊だ』
尋ねると、声の主は素直に認めた。そして尊と名乗り、すぐさま姿を現す。
「紫呉さんのお祖父さん……ですか。まさかペンダントに宿ってたなんて、全然気づきませんでした」
紫呉がつけたペンダントの上にいる尊を見上げた湊が、申し訳なさそうに小さく頬を掻く。
そう、これまで尊は紫呉のペンダントに宿っていたらしい。
『……いや、紫呉にもわからんように気配や姿を消して、ずっと隠れていたからな。気にしなくていい』
そんな湊に向けて、尊はそっと目を細めた。
最初は本当に紫呉の祖父なのかと疑った湊だったが、その表情は確かに仏間で見た写真と同じである。
「でも、今までわざと気配を消してたのに、このタイミングで出てくるってことは何か理由があるんじゃないですか?」
紫呉が倒れたタイミングで姿を現したのは、きっと偶然ではないはず。そう思って湊が問えば、尊はしっかりと頷いてみせた。
『……そもそも私がペンダントに宿っていたのは、静かに紫呉を見守り、一度だけ助けるためだ』
「一度だけ、ですか?」
『……さすがに、何度も助けるという願いは持てないからな』
「そういうものなんですね。じゃあ、今すぐ紫呉さんを助けることはできますか?」
正座をしている湊が、尊を見上げながら、膝に乗せた両手を強く握り締める。
だが湊の懇願に、尊は静かに首を横に振った。
『……それはできん』
「どうしてですか!」
思わず声を荒げてしまった湊が、慌てて尊の下で寝ている紫呉を見やる。だが、紫呉はまだ目を覚ましていないようだ。
そのことにほっとしながら、湊は声をひそめ、続ける。
「何か理由があるんですか?」
『……紫呉が倒れた原因は、生霊が取り憑いたせいだ』
「生霊?」
生霊という名前はテレビなどで聞いたことがある。だが普通の霊や悪霊とは違うのだろうか、と湊が首を傾げた。
『……そうだ。生霊は生きている人間が飛ばしているものだ』
「尊さんにはその生霊を何とかすることはできないんですか?」
『……霊同士は互いに干渉できないから、私には無理だ。だからこうして湊くんに頼んでいる』
尊は残念そうに首を左右に振りながら、溜息をつく。
霊同士が干渉できないということは、尊にはもう打つ手がないのだろう。そこで湊を頼ったのもよくわかった。
「生霊って誰のものかはわからないんですか?」
『……さすがにそこまではわからん。だが、どうにかして紫呉を助けてやって欲しい』
「わかりました。今も紫呉さんに憑いてるんですよね。気配を探ってみます」
湊はそう言うなり、眠っている紫呉から霊の気配を探り始めた。
紫呉を助けたい一心で、懸命に集中する。
少しして、ようやくかすかな気配に辿り着いた。
しかしその気配はとても細い糸のようで、誰のものかまではわからない。かろうじてわかったのは、女性ではないか、ということくらいだ。
「……女性の生霊みたいですけど、それ以上はわかりませんでした」
わずかに息を切らしながら、尊に告げる。
『……そうか。最近女性には会わなかったか?』
「最近って言っていいかわかりませんけど、何週間か前に、紫呉さんの同級生の方が相談に来ましたよ。って、まさかその人が……?」
『……まだそうと決まったわけではないがな』
「でも可能性はあるんですよね? だったらこれから調べてみます! 尊さんの代わりにおれが頑張ります!」
前のめりになった湊に、尊は優しく微笑んで、ゆっくり頷く。
そして、
『……常に真実を見極め、すべてのものに誠実であれ。頼んだぞ』
そう言い残し、姿を消した。
「常に真実を見極め、すべてのものに誠実であれ……か、なかなか難しいな」
残された言葉を無意識に繰り返し、湊は視線を落とす。そこには静かに眠っている紫呉の姿があった。
(尊さんの願いは『紫呉さんを助ける』こと。でも自分ではどうにもできないから、こうやっておれに頼んできたんだ)
霊同士が干渉できないのだから、これ以上尊の力は借りられないだろう。だが、紫呉が倒れた原因がわかっただけでもありがたい。
(おれにどこまでできるかわからない。それでも何とかして紫呉さんを助ける……っ!)
自分が頑張らなくては、湊は強く決意して、しっかりと顔を上げたのだった。




