第46話 紫呉の帰宅
翌朝。
「──うぐっ!」
腹に大きな衝撃を受けた湊は、その苦しさで目を覚ました。
見れば、腹の上に座ったツムギが何かを訴えるように、大きな瞳をしっかりと湊に向けている。
おそらく、腹の上に勢いよく飛び乗ったのだろう。それくらいは容易に想像がつく。
「犯人はツムギか……。ああ、朝ご飯が欲しいのかな」
寝ぼけまなこの湊がそう呟くと、ツムギは肯定するかのように小さく鳴いた。
ツムギの餌やおやつの置き場所は知っている。
そこから餌を持ってきて専用の皿に入れてやると、ツムギはやはり腹が空いていたらしく、ガツガツと食べ始めた。
「ツムギ、美味しい?」
その様子を微笑ましく眺めつつ、湊も朝食の準備をする。
とはいっても、朝食は昨日コンビニで夕食と一緒に買ってきた食パンだ。
食パンをトースターで焼きながら、バターやジャムを冷蔵庫から引っ張り出す。これは昨日のうちに冷蔵庫の中をチェックしていたので、特に問題はない。
コーヒーもきちんと用意し終わってすることのなくなった湊が、食卓の椅子に座って何気なくトースターを見つめた。
「そういえば、誰かに声をかけられる夢を見たんだけど……」
小さく独り言ちて、首を捻る。
確かに夢の中で誰かに声をかけられた。そこまでは覚えているが、その相手は誰だったか。
なぜかはわからないが、とても重要な夢だったような気がする。けれど相手がわからず、内容もまったく思い出せない。
「一体何だったんだろ」
うーん、と唸るように零した時、ちょうどトースターが焼き上がりを知らせてきた。
温かいトーストを齧りながらも、さらに思い出そうと試みる。しかし、やはりそれは叶わなかった。
とりあえず、夢のことは一旦横に置いておくことにして、湊は時計を見やる。いつもより起きるのが遅かったので、時刻はすでに十時半を過ぎていた。
「あ、そろそろ準備しないと」
紫呉からは退院は午後になると、昨日のうちにメールが来ている。
それに間に合うように、ここを出なければ。
何時に出ればいいだろう、と時間を計算しつつ、湊は食べ終わった皿やマグカップを片づける。
ふとツムギの皿に視線を向けると、すでに食べ終わったツムギがその傍でのんびり毛づくろいをしていた。
※※※
紫呉は無事に退院し、迎えに行った湊と一緒にタクシーで家まで帰ってきた。
昨日と違い、今日は桜花がいない。迎えに行ったのは湊だけだ。
本当は桜花も行きたがっていたが、友人との約束があってどうしても外せなかったのである。
「おお、久々の我が家だな!」
タクシーから降りるなり、紫呉は歓喜の声を上げた。家に帰って来られたことが相当嬉しいらしい。
「久々って、昨日から一日しか経ってないじゃないですか」
湊は苦笑を漏らしながらも、いつも通りの紫呉の姿にほっとする。
「一日でも久しぶりな気がするんだよ」
「そういうものですかね?」
首を傾げた湊が玄関ドアを開けてやると、紫呉は「そういうもんなんだよ」と答え、さっさと入っていった。
「お、ツムギ。元気にしてたか? 湊にいじめられなかったか?」
紫呉がツムギに明るい声をかけている。どうやら玄関まで迎えに来ていたようだ。
続いて湊も中に入ると、紫呉は玄関でしゃがみ込んでツムギの頭を撫でていた。
紫呉の顔を見上げるツムギは、どことなく心配そうに見える。
「ちゃんと仲良くしてたんですから、人聞きの悪いこと言わないでくださいよ。でも、こういう時はさすがにツムギも紫呉さんの心配するんですね」
普段はあまり懐いてないのに、と湊がわざらしくそう付け足した。
すると紫呉は、珍しく足元に擦り寄ってきたツムギに向けて、大きな溜息をついてみせる。
「ったく、いつもこうやって心配してくれればいーのによ」
その声はとても不満そうなものだった。




