第44話 紫呉のいないつきしろ骨董店・1
紫呉から預かった家の鍵で玄関ドアを開けると、ツムギが嬉しそうに出迎えてくれた。
「ツムギ、ちゃんと良い子にしてた? 今日は紫呉さんがいないから、おれと一緒に過ごそうな」
湊が家に上がりながら、ツムギにそう声をかける。
ツムギは返事をするかのように小さな声で鳴きながら、足元に擦り寄ってきた。
まっすぐリビングに向かうと、やはり床はティッシュや猫用のおもちゃなどで散らかされている。
「まずは持ってきた荷物をどこかに置かないと……」
湊はスポーツバッグを持ったままで、辺りを見回した。
だがリビングのどこに置いても、ツムギに爪を立てられる未来しか見えない。
今もツムギは湊の足に一生懸命じゃれついている。その様子に小さく苦笑を漏らした。
「これは客間に置いた方がよさそうだな」
客間は基本的にツムギを入れないようにしているし、ツムギもわかっているのかあまり入ろうとはしない。
寝る場所はあとで考えることにして、まずは荷物を置きに客間へと向かうことにした。
ツムギは相変わらず一緒についてくるが、やはり客間に入る気配はない。
「うん、ここなら荷物は大丈夫そうかな」
満足したように一つ頷いた湊は、次に仏間に向かうことにした。
※※※
仏間で仏壇に手を合わせたあと、湊は横の壁にかけられた紫呉の祖父と祖母の遺影を見上げる。
二人とも優しそうな表情で、湊の頬も自然と緩んだ。
きっと、紫呉は祖父母にとても可愛がられていたのだろう。そうでなければ、若くしてつきしろ骨董店を継ごうなどとは思わないはずである。
「さて、これからどうしようかな」
仏間からリビングに戻ってきた湊が、困ったようにまた部屋を見回した。
まだ夕方にもなっていないので、夕食には早すぎる。かといって、他にすることも特にない。
リビングの片づけは、おそらく手をつけたらキリがないだろうから、今日はやめておく。
紫呉はこの家を「自由に使ってくれ」と言ってくれたが、家の中を探検しようにもさすがに限度というものがあるだろう。
特に紫呉の部屋は、プライバシー的に一番入ってはいけない場所だ。もちろん、色々な意味で一番気になる場所でもあるが。
「紫呉さん、ちゃんとおとなしく寝てるかなぁ……」
湊はふと呟く。
やはり紫呉のことが心配で、何となく落ち着かない気持ちを持て余す。
スマホでゲームでもしようかと思ったが、いまいちそういう気分にもなれなかったので、何とはなしに店の方へと向かうことにした。
※※※
店の中には静寂だけがあった。
窓から太陽の光は差し込んでいるが、営業中につけている明かりが今はないので、わずかに薄暗い。
主のいない店内は、いつもとまるで雰囲気が違っていた。
出入口のドアには、昨日閉店した時のまま、『本日休業』の札がかけられている。
「こうやって見ると何だか寂しいな……」
何気なくレジカウンターのところまでやってきた湊が、いつもの椅子に腰を下ろそうとした時だった。
ドアの方に人影が見えて、とっさに視線がそちらへと向けられる。
見えたのは五十代半ばくらいの女性だ。
どうやら、ドアにかかっている札を見て困っている様子である。
湊はすぐさまドアに駆け寄ると、内側から鍵を開けた。
「すみません。今日はお休みなんですけど、何かご入用のものでもありましたか?」
ドアを開けて申し訳なさそうに告げると、女性はまたも困ったように頬に手を当てる。
「娘からここの店長さんの話を聞いていて、ちょっと相談したいことがあったんですけど」
「相談、ってもしかして霊のお話ですか?」
だいたい『相談』と言われる場合は、霊関係のことが多い。
今回も霊関係ではないか、と直感した湊がそう問うと、女性は素直に頷いた。
「そうなんですけど、話だけでも聞いてもらえないでしょうか?」
その表情は深刻そうである。
今は紫呉がいないから断った方がいいかもしれない。湊はしばし逡巡するが、何となく断りにくい空気だ。
それに、もし紫呉が今の湊の立場だったら、目の前で困っている女性を追い返すことはしないのではないかとも思った。
湊はゆっくりと口を開く。
「今、店長は留守にしてるんで、バイトのおれでよければ聞きますけど」
「ありがとうございます」
湊の紡いだ言葉に、女性の顔がわずかに明るくなった。その表情は誰かに似ているような気もしたが、すぐに気のせいだと思い直す。この女性とは初対面だ。
話すだけでも少しは気が紛れるかもしれない。そう考えた湊が、女性に向けて微笑む。
実際、湊がここに来るまでは紫呉が霊関係の話を聞いていたが、それで満足する客がほとんどだったらしい。今はそれと同じことをするだけである。
「中にどうぞ。すぐに明かりをつけますから」
ドアに『本日休業』の札をかけたまま、湊は女性を店に招き入れたのだった。




