第43話 聞こえた声
「じゃあおれ達はそろそろ帰ります。あまり長居するわけにもいかないし」
「おう、気をつけて帰れよ」
湊が立ち上がると、紫呉はそう答えて片手をひらひらと振った。
「はい。桜花ちゃん、行こう」
「……うん」
湊に促された桜花は、ここでまた心配になったらしく、紫呉を見つめながら名残惜しそうに腰を上げる。
「そんな顔すんな。俺はもう元気なんだから。見ればわかんだろ?」
紫呉が励ますように明るく笑うと、桜花はようやく納得した様子で黙って頷いた。
「それじゃあ、また明日来ますね」
湊がそう告げて、紫呉に背中を向けた時である。
どこからか声が聞こえたような気がして、湊は思わず目を見開き、すぐさま振り返った。
紫呉が不思議そうな表情で、湊を見据える。
「湊、どうした?」
「今、誰か喋りました?」
湊の問いに、紫呉と桜花は揃って首を左右に振った。
「いや、誰も喋ってねーぞ。空耳じゃねーのか?」
「私も喋ってないよ」
紫呉に続いて、桜花もしっかりと頷く。どうやら嘘はついていないようだ。
「……ですよね」
湊は首を傾げながらも、そう答えるしかない。
少々納得がいかない気もするが、とりあえずは気のせいだと思い直すことにした。もしかしたら、思った以上に紫呉のことを心配しすぎたのかもしれない。
そこで、紫呉が意地の悪い笑みを浮かべた。
「ちょうどここ病院だし、これから耳の検査でもしてもらえ。あとついでに頭も」
「それはさすがに失礼だと思いますよ……!」
あまりにも失礼すぎる紫呉に、湊は頬を膨らませて抗議する。
「まあそれは冗談として、きっとお前も疲れてんだろ。休みなのに、わざわざここまで来てくれたんだし。心配かけて悪いな」
途端に優しくなった紫呉の声音に、
「そこまで疲れてないと思うんですけどね」
湊はまた首を捻りつつ、そう返した。
(よくわかんないけど、まあ仕方ないか……)
結局、声の正体は不明なまま、改めて紫呉に背を向けると、桜花がそれに続く。
「紫呉くん、ちゃんと休んでね」
「そうですよ。病院で暴れないでくださいね。周りの迷惑になりますから」
湊が先ほどの仕返しとばかりに釘を刺すと、紫呉の表情が途端に険しくなった。
「お前……っ。帰ったら覚えとけよ」
「はいはい。お大事にしてくださいね」
紫呉の唸るような脅しを華麗にスルーして、湊は桜花を先に行かせる。
桜花が病室を出ると、湊もその後について外に出た。ドアを静かに、しっかりと閉める。
湊はそのままの状態で一度、ドアを見上げた。しかし目の前には、自分と紫呉を隔てるドアがあるだけである。
(おれだけに聞こえたってことは、まさか霊……?)
やはり、そんなことを考えてしまう。
紫呉と桜花には聞こえなかった声。
自分だけに聞こえたということは、霊の可能性が高いが、言葉までははっきりと聞き取れなかったせいで、詳しくはわからないままである。
病院には様々な霊がいるから、たまたまその中の誰かの声を拾っただけかもしれないし、紫呉の言う通り、空耳だったのかもしれない。
(やっぱり空耳かなぁ)
だがそう思い込もうとしても、湊はその声が何となく気になって仕方がなかった。
(でも、もう聞こえないし、どうにもできないよな……)
後ろ髪を引かれながらも、病院を後にする。
桜花とは病院前で別れた。
紫呉の家に行くのなら桜花と同じ方向なのだが、湊には一旦自宅に戻る必要がある。
(さて、家に帰るか。準備とはいっても大したものはいらないだろうけど)
気を取り直して、湊は空を見上げた。澄んだ青空がどこまでも広がっている。
大きく深呼吸をしてから顔を戻すと、紫呉の家に泊まる準備をするため、桜花とは反対の方向に向かって歩き出したのだった。




