第42話 紫呉の容態
病院の前に着くと、すでに桜花が待っていた。
それから連れ立って、紫呉の入院している病室へとまっすぐに向かう。土曜日のせいか、それともたまたまなのか、病棟にはあまり人の姿はない。
紫呉の病室は三階の個室だった。
「ここだよね」
「うん」
湊と桜花が緊張した面持ちで、病室のドアの前に立つ。
互いに顔を見合わせて頷くと、湊が思い切ってノックした。それから静かにドアを開ける。
「……失礼します」
恐る恐る声をかけながら、病室の中へと足を踏み入れる。
もし紫呉が眠っていたら、起こすのは申し訳ない。
そう思ったのだが、
「よお!」
二人を迎えたのは、紫呉の明るい声だった。
「……紫呉さん」
湊は力が抜けたように、それだけを紡ぐ。思わずしゃがみ込みそうになるのを懸命に堪えた。
思っていた以上に元気な紫呉の姿に、湊が胸を撫で下ろす。だが、桜花はまだ不安げに、室内をきょろきょろと見回した。
「紫呉くん、個室ってそんなに具合悪いの? 伯母さんはもう来た?」
「いや具合はもういいんだけど、今は大部屋が空いてないらしくてな。母さんはさっき帰ったとこだ」
そんな桜花に紫呉が笑みをみせると、ようやく桜花も少しだけ安心したように小さな息を吐く。
湊はその様子を眺めながら、傍にあった丸椅子を二つ持ってきた。一つを桜花に勧めて、自身ももう一つに腰を下ろす。
「それにしても、倒れたってどういうことですか?」
率直に、けれど怪訝な顔で湊が問う。
すると紫呉はベッドに横になったままで、小さく頬を掻いた。
「いや、その辺りは俺にもよくわかんねーんだけど、いきなりめまい起こしてさ」
「やっぱり熱中症ですか? 今の時期はまだ危険ですし」
「今日は早朝で涼しい方だったけどな。それに医者の話ではどうやら違うらしいし、原因もわからんてさ」
お手上げだ、と紫呉は天井を見上げながら、肩を竦める。
「じゃあ何なんですかね? 珍しく早朝にランニングなんてしたからですかね。ルーティンが崩れたから、とか?」
いつもは夕方とか夜に走ってますよね、と湊が首を捻る。桜花も一緒になって小さく首を横に倒した。
普段は店の開店時間が十一時と遅いため、紫呉が起きるのもゆっくりだ。だいたい八時か九時くらいに起きているらしい。
そのせいで、自然とランニングの時間も夕方や夜になっていることを、湊だけでなく桜花もよく知っていた。
そのことを指摘すると、
「それがわかったら苦労しねーよ」
紫呉は珍しくふてくされたように、口を尖らせる。原因がわからないことが大いに不満なのだろう。
「で、今はもう大丈夫なんですか? もともと体調が悪かったとかではないんですよね?」
紫呉のことだから、わざと明るく振舞っているのではないか。ほんの少しではあるが、その可能性を疑った湊が、心配そうに紫呉の顔を覗き込んだ。
「ああ、朝の体調は万全だったし、今ももう大丈夫だ。倒れた時に腕とか足に擦り傷なんかはできてるけどな」
それはまだちょっと痛い、と紫呉は冗談めかして朗らかに笑う。
紫呉の言う通り、今は顔色も良く、普段とほとんど変わらない。どうやら嘘はついていないようで、湊は改めてほっとした。
隣で椅子に座っている桜花も、いつものように口数が少なくなったが、それも多少は安心したからだろう。
「それならいいんですけど」
「明日には退院できるし、きっと大したことないんだろ」
「そうなんですね。じゃあ明日迎えに来ますよ。あ、そうだ。ツムギは今夜どうするんですか?」
今は紫呉の家でツムギが留守番中のはず。湊がそれを思い出して口にすると、
「そういやそうだったな。湊、今晩だけツムギのこと頼んでいいか? 家に泊まってくれてもいいし、鍵渡しとくから自由に使ってくれ」
紫呉は言いながら、ロッカーを指差した。そこに家の鍵が入っているらしい。
「わかりました。ちょうど夏休みだし、今日は紫呉さんの家に泊まってツムギの面倒見ますね」
ちょっとした旅行気分にもなれますし、と湊はあえて笑顔で快諾する。
「ああ、頼んだ」
湊の返事に、紫呉は満足そうな笑みを浮かべたのだった。




