第4話 人さらい
つきしろ骨董店とは、紫呉が営んでいる店らしい。
それが今、湊のいる場所である。
窓からは、先ほどまでよりも傾いた夕日のオレンジが差し込んでいた。
年季の入った木製の椅子に小さくなって座っている湊が、やや遠慮がちにぐるりと周りを見回す。
双眸に映るのは、たくさんの古そうな食器や時計、絵画、そして古書などだ。それらがところ狭しと並べられている。
大きな家具などがないのは、店自体があまり広くなくて置けないからかもしれない。それでもきちんと整頓されているからか、ここはとても小さな美術館のようにも感じられた。
「……で、おれは何でここにいるんですかね?」
一通り見回し終えた湊が呆れた表情で、自身の真向かいにいる紫呉に怪訝な目を向ける。
だが、湊とお揃いの椅子に腰を下ろしていた紫呉は、
「俺が連れてきてやったからだろーが」
そう答えるなり、偉そうにふんぞり返った。
その様子に、湊があからさまに肩を落とす。
最初から薄々気づいてはいたが、紫呉はどうにも口が悪いだけでなく、態度も大きいらしい。
「それって人さらいの間違いじゃないんですか?」
「ちゃんとお前の同意は得てんだから人さらいじゃねーよ」
堂々と開き直る紫呉を前に、湊は視線をどこか遠くに放り投げながら、大きく嘆息した。
「あれは同意じゃなくて、脅迫って言うんですよ……。おれは一度断りましたよね?」
湊の『霊が見える能力』がバレたあと、紫呉は「ちょっと俺んとこ来い。すぐ近所だから」と、湊をまるでナンパでもするかのように誘った。
それを一度は丁重にお断りした湊だったが、半ば無理やりにここまで連れて来られてしまったのである。
断った途端、「じゃあ、お前のオッドアイのことを今ここで叫んでもいいか?」と、紫呉に脅されたのだ。
直前に「誰にも言わない」などと言ったにも関わらず、である。
それを指摘してやれば、
「んな記憶ねーな」
紫呉はまたもしらばっくれて、頭の後ろで両手を組んだ。その顔は湊を見ていない。
大人げない姿に、湊はさらに溜息をつくことしかできなかった。
「そもそも、紫呉さんは自分でもちゃんと霊が見えてたのに、おれを試してたってことですよね?」
ようやく紫呉が湊の方へと顔を戻し、朗らかに笑う。
「ああ、あれな。お前は『霊が見える』やつだって確信したから、俺が霊に近づいたらどういう反応するかと思ってさ。オッドアイも霊と関係あるんだろうと睨んでたからよ」
「確かにオッドアイっていうか左目は霊と関係あるみたいですけど、どうしてわざわざそういうことをするんですか……」
まんまと紫呉の策略にはまってしまった自分を恨みながらも、湊はさらに問う。
オッドアイとコンタクトレンズ、そして霊との関係についてもすでに紫呉にバレていた。もちろん霊と簡単な会話ができることもだ。
これらも紫呉に脅され、話さざるを得なかったのである。
「いや、俺の周りには仲間がほとんどいねーからさ。何か嬉しくなってよ。しかも会話までできるやつなんて初めてだしな」
「霊が見える仲間なんて別に欲しくないです。会話ができる能力だって好きで手に入れたものじゃないんですから」
「そうか?」
俺はどっちも欲しいけどな、そう言って紫呉は首を捻った。
湊にとっては、仲間どころかこの能力すらも今すぐゴミ箱に叩きつけたいものである。
これまで実害がなかったとはいえ、霊が見えてしまうというだけで「自分は他人とはどこか違う」と、その能力を疎ましく思っていたのだから当然だろう。
仲間や能力が欲しいなどと言える紫呉とは、基本的な考え方そのものがまったく違うのだ。
(何だかめんどくさそうな人に捕まったなぁ。ホント今日はついてないというか……)
湊はやれやれと肩を竦め、首を左右に振る。
さらに溜息をつきそうになってから、ふとこれまでの紫呉の行動を思い返した。
(でも、見て見ぬふりもできたのにわざわざ声をかけて、コンタクトも探してくれた。ってことは、もしかして意外と良い人なのかな……?)
これ以上の不幸を背負いたくない湊は、少しでもいい方向に考えを切り替えようとする。何となく負の感情を認めてはいけないような気がしたのだ。
口が悪く、態度も大きな紫呉は確かに関わるととても面倒そうだが、コンタクトレンズを探してくれたのは事実である。
きっと良い人なんだ。自分の中で必死にそう言い聞かせることにして、湊は改めて口を開いた。
「あの、さっきはコンタクトを探してくれてありがとうございました」
再度お礼を述べて、しっかりと頭を下げる。
霊の話はもういいだろう、とコンタクトレンズの話題に変えた湊だったが、紫呉はそれに対して満面の笑みを浮かべた。
「おう、俺がコンタクトを見つけてやったんだからな! それとも、お前はこの俺にお礼もしないでさっさと帰るつもりだったのか?」
明らかに恩着せがましい紫呉の言動に、湊の両肩がこれでもかというくらいがっくりと落ちる。またも一気に天国から地獄まで叩き落された。
(あ、これ良い人じゃなくて悪い人のパターンだった……)
数秒してどうにか顔を上げた湊は、またも遠い目で窓の外を見やる。視線の先は少し前までよりも暗くなってきていた。
「……お礼がここに来ることだなんて、誰も考えませんよ。外でも一応『ありがとうございました』って何度か言ったじゃないですか」
紫呉にもわかるくらい大げさに嘆息してから、ふてくされたようにそう反論する。
「あんなもんお礼のうちに入んねーよ」
「ええー……」
だが、すぐに紫呉から返ってきたよくわからない理論に困り果ててしまう。
「で、お前は何であんなとこにいたわけ? さっきひばりが丘から散歩に来たって言ってたよな?」
紫呉は横にあったレジカウンターに肘をつきながら、もう片方の手で外を指差した。
確かに、わざわざひばりが丘からここ──白石まで散歩に来る人間はあまりいないかもしれない。だからそれを疑問に思うのは当然のことだろう。
湊もつられるようにまた窓の外に目を向けて、口を開こうとした。
「えっと……」
けれどそのまま言い淀み、うつむいてしまう。
午前中にあった嫌なことを、またはっきりと思い出してしまったのだ。
何だか胃の辺りにモヤモヤしたものが込み上げてくるような気がして、湊は無意識に着ていたTシャツの胸元を掴む。
その様子に何かを感じ取ったのか、紫呉はこれまでとは打って変わって真剣な表情を浮かべた。
「話してすっきりすることもあるだろ」
ほら話せ、と自身の顔の前まで手を上げて、促すようにひらひらと振ってくる。
「……そうですね」
とうとう観念した湊は息を限界まで吐き切ってから、静かに頷いた。両手を膝に下ろしてぐっと握り締める。
もうここに来ることはないだろうし、紫呉の言った通り、素直に吐き出してしまった方が楽なのかもしれない。
そう思い、湊は意を決したように唇を動かし始めたのだった。