第36話 店を継いだ理由とペンダント
沙也が帰ったあと。
紫呉は万年筆を専用の依頼ボックスにしまうと、一息ついたようにどっかりと椅子に腰を下ろした。
その姿に、湊がふと声をかける。
「そういえば、どうして紫呉さんは骨董屋をやってるんですか?」
なぜ、わざわざ教員を辞めてまでこの店をやっているのか、ずっと疑問だった。
おそらくではあるが、教員の方が収入的には多そうだし、安定もしているだろう。
だから、教員よりも骨董屋を選んだ理由が、まだ大学生になったばかりの湊にはいまいち理解できなかったのだ。
それとも紫呉のことだから、教員を『辞めた』のではく、実は『辞めさせられた』のではないか。とても失礼な話ではあるが、そんなことをほんのわずかにだが思ったこともある。
紫呉は一瞬だけきょとんとした表情をみせたが、次にはすぐに答えを返してよこした。
「ああ、これは言ったことなかったか。この店はじいちゃんがやってたもんだ」
「紫呉さんのお祖父さんですか?」
それは初耳だ、と今度は湊が目を見開く。
紫呉は顔を前へと戻して、頬杖をついた。窓の外をまっすぐに見つめながら、さらに言葉を紡ぐ。
「そうだ。去年の一月に亡くなったから、俺がそのあと三月いっぱいで教員辞めて跡を継いだんだ。それが約束でもあったからな」
「跡を継ぐって約束ですか?」
「そう。いつかは教員辞めて跡を継ぐつもりだったけど、思った以上にその時期が早かったんだよな」
紫呉は前を向いたままで苦笑した。
「そうだったんですか」
紫呉の答えに、湊は思わずうつむいてしまう。
どうやら、紫呉は自分から教員を『辞めた』らしい。
だが、湊はそれよりも「この話はしてはいけなかったかもしれない」と後悔した。
きっと、亡くなった人のことを思い出すと辛くなるだろう。知らなかったとはいえ、紫呉に祖父のことを少なからず思い出させてしまった。
何だかとても申し訳ない気持ちになって、湊はさらに深く首を垂れる。
紫呉はその姿をちらりと見やってから、珍しく優しい笑みのこもった声で続けた。
「そんな辛気臭い顔すんな。人間、いつかは必ず死ぬ。それが早いか遅いかってだけだ」
「……はい」
「それに、俺の中ではずっとじいちゃんの言葉が生きてるからな」
「言葉、ですか?」
紫呉の言葉に、湊が弾かれたように顔を上げる。首を傾げつつも、声の方へと顔を向けると、そこには紫呉の穏やかな横顔があった。
「『常に真実を見極め、すべてのものに誠実であれ』。これ、じいちゃんの口癖みたいなもん」
紫呉は頬杖をついたままそう言って、目を細める。
「素敵な言葉ですね」
湊もつられるように、ふわりと柔らかい笑みを浮かべた。
その様子を見た紫呉は頬杖をやめて、次には胸元に手を持っていく。優しく持ち上げたのは、いつも身につけている青い宝石のついたペンダントだった。
「だろ? あとは、このペンダントもじいちゃんからもらったものだな」
「もしかして、形見だからいつも身につけてるんですか?」
「いや、これは俺が高校生の時に一目惚れして、じいちゃんから譲ってもらったものだ。もとは悪霊が取り憑いてたらしいんだけど、それを祓ったんだとさ」
紫呉があっさりと放った予想外の言葉に、湊の瞳が見開かれる。次には反射的に眉をひそめた。
「え、悪霊が憑いてたって大丈夫なんですか?」
「ちゃんと当時の祓い屋に祓ってもらってるからな。あ、シュウじゃねーぞ。湊だって今まで悪霊が見えたりはしてねーだろ?」
「確かにそうですね」
納得したように、湊が頷く。
これまで紫呉の身に危険が迫ったこともなさそうだし、きっと今は本当に悪霊は憑いていないのだろう。
湊はそう考えて、とりあえずはほっとした。
ただ自分だったら、そんないわくつきの代物は持ちたくないと思う。
「俺はこれを見た瞬間、すごく感動したんだよな。サファイアらしいけど、すっげー綺麗な色してるだろ? 何か、前の持ち主が悪霊を怖がって手放したんだとよ」
もったいねーよな、と紫呉はペンダントを持ち上げて、破顔する。それに呼応するかのように、ペンダントトップのサファイアが窓から差し込む陽光を反射しながら揺れた。
「紫呉さんは本当に青が好きなんですね」
湊も一緒になって目を細めて頷くと、
「青が好きだからこのペンダントに惹かれたのか、ペンダントをもらってから青が好きになったのかはもうわかんねーけどな」
そう答えた紫呉は、「ま、どっちでもいいけど」と胸元にまたペンダントを戻したのだった。
※※※
「それにしても、これって結局何だったんですかね? 霊が宿ったりはしてないみたいですけど」
湊が万年筆を入れた依頼ボックスを眺めながら、首を捻る。
「まあ霊が宿ってるにしろ、何もないにしろ、一度『怖い』って思うと、普通の人間には恐怖の対象でしかないってことだ」
「確かに、おれも前は『霊は嫌なもの、怖いもの』だって勝手に決めつけて、ちゃんと話をしようとも思わなかったです」
「だろ? 人間ってのは自分とは異質なものを怖がる。そういうもんなんだよ」
そう言って、いつものように紫呉は腕を組んだ。
紫呉の口から出てきた真面目な言葉に、湊はわずかにうつむく。
「おれもここに来る前はそうでした。話ができて、力にもなれるのにずっと怖がってました。でも霊だって元は人間なんだから、そんなことないんですよね」
言い切ってからしっかり顔を上げると、不意に紫呉と目が合った。
その表情は湊の言葉に満足しているのか、穏やかなものである。
「それがわかっていればいいさ。さて、そろそろ時間だから行くぞ」
湊の肩を数回軽く叩いてから立ち上がった紫呉は、普段の調子でそう言うと、親指で外を示したのだった。




