第35話 紫呉の同級生と万年筆
八月。日曜日の午前中である。
基本的につきしろ骨董店の開店時間は十一時だが、今日の湊は十時からの勤務だった。
開店前なので『本日休業』の札は前日からかけたままになっているが、ドアの鍵は開けていた。
ちなみに、この店では営業時間外にはこの札をかけることになっていて、『休憩中』の札は営業中に一時的に店を閉める時に使っている。
紫呉の話によると、今日は紫呉の高校時代の同級生が相談に来ることになっているそうだ。また今回の簡単な内容についても説明を受けているが、やはり霊絡みらしい。
つまり、ここでも湊の能力が必要になるということだ。もちろん湊としては「少しでも役に立てればいい」と思っているので、特に問題はない。
そのような事情のため、湊の勤務時間も少し変更になっているのである。
十時を少し過ぎた頃だった。
「……あの、すみません」
ドアの方から遠慮がちな声が聞こえて、湊はそちらを振り返った。
見れば、若い女性がドアの隙間から顔を覗かせている。
紫呉もほぼ同時に気づいたようで、笑顔を浮かべると、すぐさまドアの方へと向かっていった。
「『そのまま入ってきていい』って俺が言ったんだから、堂々と入ってくればいいのによ」
そう言いながら紫呉が連れてきた女性を見て、湊は思わず「あっ」と声を上げる。
それもそのはず。今目の前にいるのは、湊がこの店の前でよく見かけている女性だったのだから。
※※※
女性の背中近くまである緩くウェーブのかかったブラウンの髪の毛は、今日は一つにまとめられていた。服装も普段よく見ていたパンツスタイルではなく、清楚なワンピースだ。
女性は『上田沙也』と名乗り、湊に頭を下げる。
湊は沙也が紫呉の同級生だったことに驚きながらも、自身も自己紹介をした。
「月城くん、これに霊が憑いてるかどうかってわかる? 何となく怖い気配がするような気がして」
レジカウンターの前で椅子に座った沙也が、バッグの中から細長いケースを丁寧に取り出す。それを開けると、一本の万年筆が綺麗に収まっていた。
「へえ、これは高そうだな。ちょっと見せてもらってもいいか?」
紫呉はすぐさま興味深そうに身を乗り出す。やはり職業柄、こういったものに惹かれるのだろうか。
「そのために持ってきたんだから、いいに決まってるじゃない。はい、どうぞ」
沙也は可笑しそうに笑うと、すぐに快く頷いた。そして、ケースから出した万年筆を紫呉に手渡す。
紫呉の手に渡った万年筆に、湊も視線を落とした。
深い青をベースに金粉を散らした軸は、ラピスラズリを模しているようである。しっかりアルファベットで名入れもされていた。
「うん、これはいい万年筆だな。霊に関しては湊の方が気配に敏感だから、もし憑いてるならわかるはずだ」
「そうなんだ。湊くん、よろしくお願いします」
紫呉の答えを受けた沙也が目を細めながら、湊に向けてぺこりと小さく頭を下げる。
「あ、はい。頑張ります」
湊が素直にそう答えると、沙也はさらに笑みを深めた。
先ほどから笑顔を絶やさない沙也の姿は、何だかとても楽しそうに見える。久々に同級生に会えたことが嬉しい、といった感じに見受けられた。
「じゃあ湊、ちょっと頼むわ」
当然のように、紫呉がレジカウンターの上、湊の前に万年筆を持ってくる。
沙也は期待に満ちた目を湊に向けていた。
「わかりました。少しだけ待っててください」
湊は大きく深呼吸をしてから、目の前に置かれた万年筆に集中する。
その間に、紫呉は沙也に『宿る』と『取り憑く』の違いを簡単にレクチャーしているようだった。
確かにその辺はざっくりとでも説明しておくべきだろう。
湊はしばらく霊の気配を探っていたが、途中で「うーん」と唸りながら顔を上げた。
「どうした?」
腕を組んだ紫呉が、真剣な表情で湊の顔を覗き込んでくる。
「この万年筆からは霊の気配は感じないです」
湊は感じ取ったままを素直に話した。
そう、目の前にある万年筆からは、まったく霊の気配を感じなかったのである。今はコンタクトレンズをつけているので、もちろん霊が見えているということもない。
「そうか。気配がないってことは、これは霊的に問題のないモノってことになるな。上田、どうする?」
湊の返事に、紫呉が今度は沙也の方に顔を向ける。
沙也はやや考える素振りをみせてから、
「問題ないんだったらそれでいいんだけど……。でもやっぱりまだ不安だから、少しの間ここで預かってもらってもいい?」
そう答えた。
「それは別に構わねーけど」
「ありがとう。でももし悪霊とかが憑いてたら、きちんと祓ったりしてもらえる?」
「さっきも説明したけど、ちゃんと悪霊専門の祓い屋がいるから大丈夫だ」
紫呉が「任せろ」と親指を立てると、沙也はほっとしたように息を吐いて、また柔らかい笑みを浮かべる。
「祓ったあとは月城くんの方で好きに処分してもらっていいから。あ、もちろん祓い屋さんへの依頼料とかはあとで払うし」
「ん、わかった。じゃあとりあえずはここで預かって、少し様子見しておくかな」
素直に引き受けることにした紫呉が、改めて万年筆に視線を落とす。
霊が憑いている、または宿っているかもしれないものを持っていたくない。その気持ちは湊にもよくわかる。紫呉も理解しているからこそ、預かることにしたのだろう。
「うん、よろしくね。あ、相談料っていくらだっけ?」
「ああ、別にいーよ。ただ霊の気配探っただけだし、同級生のよしみで今回はタダにしといてやる。次からはちゃんと金取るけどな」
紫呉がいつもの口調でそう答えると、
「ふふ、ありがとね。それじゃあ、もし何かあったら連絡してくれる?」
沙也は小さく笑みを零して、席を立った。
そうして紫呉の元には、万年筆が一本、残されたのだった。




