第34話 雨の日のつきしろ骨董店
ある雨の日の夕方。
「今日はもう閉店にするぞ」
紫呉のその一言で、つきしろ骨董店はいつもより早めに閉店することになった。
天気が悪く、「もう客は来ないだろう」と紫呉が判断した日は、このように早く閉店することもあるらしい。
「あとは鍵をかければ終わりだな」
紫呉に指示された通り、湊が内側からドアの鍵をかけようとした時だった。
ピンク色の傘をさした若い女性がこちらを見ていることに気づいて、湊は顔を上げる。
(最近、時々見かける人だ。確か前にも外で会って会釈をしたんだよな)
ふとそんなことを振り返った。
湊はおそらくこの近くに住んでいるか、職場がこの辺りにある人なのだろうと思っている。
(紫呉さんやシュウさんと同じくらいの歳かな?)
失礼だと思ってじっくり顔を見たことはないが、年齢は紫呉と同じくらいだろう。
緩くウェーブのかかったブラウンの髪の毛は、背中近くまである。パンツスタイルの、すらりとした綺麗な女性だった。
いつものように、ドアのガラス越しに会釈をする。
するとそれに気づいた女性も湊に軽く頭を下げて、そのまますぐに去っていった。
会えば会釈をするが、話したことは一度もない。客としてここに来たこともなく、湊は特に気にしていなかった。
そのまま鍵をかけ終えた湊が踵を返す。
「紫呉さん、閉店作業終わりましたよ」
レジカウンターのところにいる紫呉に声をかけた。
「んー」
しかし返ってきたのは、何とも気のない返事である。
閉店して集中力が途切れたのだろうか、先ほどまでとはまったく違う紫呉の様子に、湊が首を傾げた。
「紫呉さん、体調でも悪いんですか?」
「まあ、ある意味では最悪だな」
湊の心配そうな声に、紫呉は低く唸る。
常に元気な紫呉がこんなことを言うとは、相当具合が悪いのではないか。
湊は慌てて鍵をレジカウンターに置くと、椅子に座っている紫呉の前に膝をついた。
「じゃあすぐ家に帰って寝た方がいいですよ! 動けますか?」
「いや、体調は悪くねーんだけど、気分はすこぶる悪い」
だが、紫呉はさらに声を低め、続けて大げさなほどに嘆息する。
「どういうことですか……?」
まだ理解の追いつかない湊が、またも不思議そうに首を捻った。
そこで、紫呉はレジカウンターに肘をついて、ようやく説明を始める。心底うんざりしている声音と表情だった。
「雨の日は『何でお前はそんなに機嫌が悪いの』ってレベルで髪がうねるんだよ。これ見ろ! だから雨は嫌いなんだ」
「……え、髪の毛、ですか……?」
予想の斜め上を行った返事に、思わず湊が聞き返す。
視線を紫呉の髪に向けると、確かにいつもより心なしか癖が強くなっているように見えなくもない。湊にはそこまで酷いとは思えないが、おそらく本人にとっては大問題なのだろう。
「そうだ。だから今の俺は気分が最悪だ。湊、お前のそのストレートの髪よこせ!」
突然、紫呉が大声を上げる。まるで吠えているかのような声だ。
大人げない紫呉の姿に、湊は呆れた顔で肩を竦めてみせた。
「何わけわかんないこと言ってるんですか……」
「いいから今すぐよこせ!」
紫呉が鬼気迫った表情で、湊の頭を両手で掴んだ。
「ちょ、まさかホントにおれの髪でかつらでも作るつもりですか!?」
「ああ、そうだ!」
紫呉は真剣な眼差しを湊に向ける。これは本気の目だ。
「まるで子供じゃないですか! あ、痛っ! 痛いから手、離してください!」
頭をがっしりと掴まれている湊の悲鳴が店内に響き渡る。
こうして今日もある意味、とても平和に終わったのだった。




