第27話 家族で美味しい温泉まんじゅうを
さらに数日が経って、湊は紫呉とシュウの三人でまた加奈の実家を訪れていた。
今日の湊はすでにコンタクトレンズを外している。これから霊を見るのだから、いつ外しても同じだろうとの判断からだ。
すでに日は落ち切っていた。
今回、三人を出迎えてくれたのは母親と加奈本人である。
加奈は急いでイギリスでの仕事を片づけると、そのまま無理やり休みをもぎ取って一時帰国したそうだ。それでも一泊しかできず、明日にはまたイギリスに帰らなければならないらしい。
初めて直接会った加奈は、爽やかなショートカットのとても似合う、はつらつとした女性だった。
リビングに通された湊たち三人は、改めて加奈に自己紹介をして、ソファーに腰を下ろす。
「今日はこれを持ってきました。改めて兼造さんに確認したところ、この温泉まんじゅうが食べたかったそうなので」
紫呉はそう言うと、持ってきていた紙袋から『わかさいも本舗のおいしいまんじゅう』を出して、テーブルに置いた。
続けて、シュウが打ち上げ花火の切り抜きをその隣に並べる。
それを真剣に見つめつつも、加奈と母親はやや不安げな様子だ。
おそらく、「本当に霊なんて現れるのだろうか」などと思っているのだろう。見えない人間からすれば、それは当然の反応とも言える。
「兼造さんは、家族揃って美味しい温泉まんじゅうを食べたかった。それを叶えてあげられれば、きっと成仏できると思います」
ここは洞爺湖温泉ではないですけど、紫呉はそう付け加えながら、温泉まんじゅうの包みを丁寧に開けて中の箱を取り出した。
シュウがさらに言葉を重ねる。
「兼造さんが成仏すれば、切り抜きからおかしな気配はしなくなるはずです。これまで夜にしか姿を現さなかったのは、夕食後の団らんの時に食べたかったからかもしれません」
二人の話に、加奈と母親はただただ目を丸くするだけだった。
そこで、湊がはっとして顔を上げる。
「兼造さん!」
目の前に姿を現したのは、やはり兼造だ。
「え、お父さんがいるんですか?」
突然の湊の声に、加奈と母親が一緒になって辺りを見回す。だが、普通の人間に見えるはずもなく、すぐに二人は首を傾げてしまう。
「今、切り抜きの上にいます」
湊が心を落ち着かせて静かに言うと、その場にいる全員が視線を切り抜きの方へと向けた。
現在、兼造の姿が見えているのは、湊と紫呉だけである。シュウはわずかな気配を感じているだけで、見えてはいない。
湊はおもむろに温泉まんじゅうの箱を開けると、中身を一つ取り出した。パッケージに包まれたそれを両手で包むようにして、兼造の方に差し出す。
「場所が温泉じゃなくて申し訳ないですけど、これはちゃんと洞爺湖のものです」
そして、兼造の顔を見上げて微笑んだ。
兼造は少し逡巡しているようだったが、無言でそっと温泉まんじゅうの方へと手を伸ばす。そのままゆっくり持ち上げた。
すると、湊と紫呉以外の三人が一斉に息を呑む。
三人には、温泉まんじゅうが重力に逆らって宙に浮いているようにしか見えていないはずだ。
「みなさんも食べてください」
紫呉がその場の全員を促しながら、温泉まんじゅうを手渡していく。皆に渡ると、率先するようにパッケージを開けて一口頬張った。
湊も同じように食べる。少食のシュウも、今回は何も言わずに少しだけ口にした。
そんな三人の様子に、加奈と母親は怪訝そうに一度顔を見合わせてから、一緒になって温泉まんじゅうを口へと運ぶ。
「……美味しい」
加奈の口から小さな声が漏れた。
「本当に美味しいわ。お父さんはみんなでこれが食べたかったのね」
母親の瞳はわずかに潤んでいる。
「兼造さんは霊なので食べられないですが、それでもすごく嬉しそうにしてます」
「……あ、兼造さん」
紫呉が端的に今の状況を説明すると、今度は湊が声を上げた。
『……みんな、ありがとうな』
一言だけ発した兼造の表情はとても穏やかで、満足げだった。
それだけを告げると、兼造はゆっくりと切り抜きから抜け出ていく。そのまま天井付近まで昇ると、一瞬で霧が晴れるかのように姿を消した。
湊と紫呉は天井に顔を向けて、その姿を見送る。
加奈と母親、シュウもつられるように見上げた。だが、三人には兼造の姿は見えていないだろう。
兼造の手にあった温泉まんじゅうが、重力に従ってテーブルの上に落ちる。
かすかな音を立てたそれに、加奈と母親が揃って目を落とした。それから、またすぐに天井へと顔を戻す。
「さっき、お父さんがいた……」
そして加奈と母親は、とても信じられないといった様子で同時に呟くと、静かに涙を流したのだった。




