第24話 温泉とまんじゅう
夕食後、三人は客間に戻ってきた。すでに夜の八時近くになっている。
先ほどと同じく揃って座ると、封筒から切り抜きだけを出してテーブルの真ん中に置いた。
「そろそろか?」
紫呉がそわそわした様子で、切り抜きを覗き込む。
今回も霊の願いを聞けることを期待しているのだろう。何とも紫呉らしい。
「昨日はこのくらいの時間には気配を感じたから、もうそろそろだと思うよ」
子供のようなその姿に苦笑を漏らしながら、シュウは腕時間を確認した。
(こないだみたいに、ちゃんと話ができるといいんだけど)
少々不安に思いつつ、コンタクトレンズを外した湊が背筋を伸ばした時である。
ふと何かの気配を感じて、すぐさまその出所に視線を向けた。
双眸に映ったのは、やはり切り抜きである。
感じた気配は徐々に大きくなっていき、少ししてそれは人間と同じ形を成した。
現れたのは、五十代後半くらいの男性である。切り抜きに宿っていることや、年齢から見ても、手紙を書いたという加奈の父親──兼造で間違いなさそうだ。
「お、とうとう出てきやがったな」
ようやく霊の姿を認めた紫呉が、嬉しそうに目を細めた。
「僕には気配しかわからないけど、紫呉に見えてるってことはちゃんといるみたいだね。湊くん、話せる?」
「やってみます」
「よし湊、頼んだ」
シュウと紫呉の声を受け、湊はしっかりと頷いてみせる。
紫呉は見えるだけだし、シュウもわずかな気配を感じることしかできない。
ここは自分がきちんと話をしないと、そう思いながら、切り抜きの上にいる男性の霊に穏やかに声をかけた。
「こんばんは。少しだけお話してもいいですか?」
『……』
しかし、兼造からは返事がない。
そっと下から表情を窺うが、どことなく気難しそうな雰囲気を感じた。もともとがそういう人物だったのかもしれない。
それでも湊は頑張って、諦めずに話しかける。
「困ってることとか、願いごととかってないですか? 何でもいいんですけど、話したいこととか」
テーブルに両手をついて、真剣な表情で兼造を見上げていると、小さく兼造の唇が動いた。
『……おんせん』
「それがどうかしたんですか? 詳しく聞かせてください」
『……おんせん』
どこか遠くに目を向けている兼造は、それだけしか答えない。
これ以上は無理かもしれないと判断して、湊は一旦、紫呉たちの方に顔を向けた。
「うーん、何度聞いても『おんせん』としか言ってくれないんですよね」
「『おんせん』って、風呂の『温泉』のことか?」
湊の通訳を聞くなり、紫呉はそう言って首を捻る。
「ちょっと確認してみます」
湊はそう答えると、改めて兼造に話しかけた。
「兼造さん、『おんせん』ってお風呂の『温泉』ですか?」
『……』
兼造は黙ったままで静かに頷く。やはり『温泉』で間違いなさそうだ。名前も否定しないところを見ると、兼造で合っているらしい。
だが、兼造はそれからすぐに姿を消してしまった。
「お風呂の温泉で合ってるみたいです」
また紫呉とシュウに通訳すると、シュウは顎に手を当てる。
「温泉と何か関係があるのかもしれないね」
「とりあえず温泉に強いこだわりがあるみたいなのはわかったけど、温泉ったってどこかもわかんねーだろ」
「もっと聞こうにも、姿を消しちゃいましたからね」
紫呉の言葉に、湊は残念そうに大きな息を吐き出し、兼造の宿っている切り抜きに目をやった。
(これって、水面と打ち上げ花火の写真だよな。どこかで見たことがあるような気もするんだけど……)
思わず腕を組んで唸る。見たような記憶はあるが、それがいつ、どこなのかが思い出せないのだ。
それでもどうにか思い出せないものかと、湊が宙を睨んでいる時だった。
シュウがおもむろに口を開く。
「じゃあ、依頼人に電話して心当たりがないか聞いてみようか。直接会うことはできないけど、少し電話するくらいならできると思うよ」
何かあったら連絡するとは言ってあるから、との言葉に、湊はほっとした。
これで何かがわかるかもしれない。はっきりとはわからなくても、ヒントのようなものが掴めればいい。そう思った。
「おお、じゃあそうすっか」
「今はイギリスにいるらしいから、あっちはお昼近くじゃないかな」
「ああ、時差は確か九時間だっけか。なら今から電話しても大丈夫そうだな」
紫呉が笑みを零すと、シュウはすぐさまスマホを取り出したのだった。
※※※
加奈にかけた電話はすぐに繋がった。スピーカーにして全員に聞こえるようにする。
シュウが切り抜きに兼造が宿っていることを報告し、『温泉』について何か知らないかと聞くと、加奈は少し沈黙した。
『温泉に行くって話はしてました。でも、どこに行くかはまだ考えてたみたいで、場所は聞いてなかったんですよね。切り抜きもどこのものかわからないですし』
ややあって返ってきた残念そうな言葉に、湊たちはがっくりと肩を落とすしかなかった。
「些細なことでもいいんで、他に何か思い出せることはないですか?」
さらにシュウに問われ、加奈は電話の向こうでまたも黙る。懸命に記憶の糸を手繰り寄せているのだろう。
一分ほど待って、「あっ」と加奈が何かに気づいたように声を上げた。
『今度日本に帰ってきた時には、一緒に近場の温泉に行って、美味しい温泉まんじゅうを食べよう、って約束はしてました』
「温泉まんじゅう、ですか?」
スピーカーから聞こえてきた声に、全員が首を傾げる。
だが、それを見ていない加奈はさらに続けた。
『はい。母なら何か知ってるかもしれません』
この一言によって、三人は加奈の実家に行くことになったのだった。




