第23話 打ち上げ花火の切り抜き
三人の話はまだ続いていた。
シュウの説明でこれまでに明らかになったのは、次の通りである。
手紙の差出人は山下兼造。依頼者である加奈の父親で、数ヶ月前に病気で他界していた。
自宅で病気療養中だったのだが、急変してそのまま亡くなったらしい。
加奈は葬儀の際に一時帰国していたが、その時に実家で父親が書いたというこの手紙を母親から受け取ったそうだ。
しかし手紙を受け取ったあと、少しして異変に気づいた。
どうにもこの手紙から何かの気配を感じるのだ。
それを気味悪がって、悪霊が取り憑いているのではないかと、シュウのところに持ち込んだという。
そこまで聞いて、紫呉はすでに温くなってしまった茶を啜る。
湯吞みを静かにテーブルに戻して、口を開いた。
「とりあえず、便せんの方に問題がないことはわかった。問題があるのはこっちだな」
これまで目の前に置いていた手紙を横にずらして、今度は小さな紙切れに視線を移す。
「そう。さっきも言ったけど、同封されていたこの紙切れ、雑誌の切り抜きの方が問題でね」
「こっちに普通の霊が『宿ってる』可能性があるってことだろ?」
シュウの答えを受けて、紫呉が今度は小さな紙切れ──切り抜きの方を指でつまんだ。
「僕は悪霊専門だから、悪霊しか見えない。でも、今回は今のところ悪霊の姿はおろか、気配も感じられない。普通の霊の気配がかすかに感じられる程度なんだよ」
「ああ、お前は悪霊の気配には敏感だけど、普通の霊にはそこまでじゃないんだったか」
紫呉がつまんだ切り抜きをまじまじと眺めながら、思い出したようにそう言うと、シュウは素直に頷いた。
「悪霊の気配は感じないし、僕に見えないってことは、多分願いを持っただけの普通の霊だってことだと思う。だからここに持ってきたんだ」
「なるほど。そこで湊の出番ってことだな」
「えっ!?」
これまで黙って二人の話を聞いていた湊が目を見開き、両肩を跳ねさせる。まさかここで自分に話を振られるとは思っていなかったのだ。
「この切り抜きから霊の気配を探って欲しいんだとよ」
「かなり雑な言い方だけど、まあそういうことだね」
紫呉の台詞に、思わずシュウが苦笑する。
そこで、紫呉が持っていた切り抜きを「ほら」と湊の前に置いた。
だいたい五センチ四方のそれに視線を落とした湊は、まずは正直な第一印象を述べる。
「すごく綺麗な打ち上げ花火ですけど、手前に映ってるのって海ですかね? それとも湖……? さすがに沼ではないですよね」
湊の目に映っていたのは、打ち上げ花火の写真だった。言った通り、花火の手前には大きな水面が広がっている。
だが、この写真だけではその水面が何なのかまではわからない。
「俺もとりあえず打ち上げ花火だな、くらいにしかわかんねーわ」
「僕もそうなんだよね」
紫呉とシュウもそれぞれそんなことを言った。
それから湊にまっすぐな目を向けてきたのは紫呉である。
「まずは気配を探ってみてくれ」
「わかりました。少し集中してみます」
こうなることは、ここに呼ばれている時点で何となくわかっていた。だから、湊は素直に首を縦に振って、目の前の切り抜きに集中することにする。
瞼を伏せ、懸命に気配を探ってみた。
しばらくして目を開けると、紫呉がその顔を覗き込んでくる。
「どうだ?」
「うーん、ものすごくかすかに感じるかどうかってところですかね。今回は性別もわからないです。シュウさんも気配感じますか?」
今にも眼前に迫ってきそうな紫呉の顔に少々驚きつつも、湊は感じたままを話し、シュウに問いかけた。
だが、シュウはすぐさま顔を横に振る。
「今はわからないかな。普通の霊に対しては湊くんほど敏感じゃないから、霊が姿を現さないと気配を感じないんだよ」
「で、その霊とやらはいつ出てくんだよ?」
今度は紫呉がシュウに聞くと、シュウは顎に手を当てて少し考える素振りをみせた。
「僕がわずかな気配を感じられるのはいつも夜だから、夜にしか出ない霊なのかもしれない」
「それじゃあどうにもなんねーな。今はまだ夕方だぞ。俺には気配すらわかんねーし。夜になってからまた様子を見るか」
シュウのよこした答えに、紫呉は「お手上げだ」とでも言うように一つ溜息を落とす。
「夜まで待つんですか?」
便せんと切り抜きを封筒に戻している紫呉に湊が声をかけると、
「今はそれしかできねーからな。ほら、リビングに戻るぞ」
紫呉はそれだけを答え、封筒を手に立ち上がった。
※※※
霊が出るかもしれない夜を待つことにした三人は、ほぼ必然的に夕食も紫呉の家でとることになった。
「今日は石狩鍋にしたからな。たくさん食って大きくなれよ」
紫呉が満面の笑みで用意したのは、石狩鍋である。
鮭をメインに、白菜、じゃがいも、人参、ごぼう、春菊、豆腐などが味噌味で仕立てられている。
漂ってくるのは味噌とバターの合わさったとてもいい香りだ。
「紫呉さん、今って六月ですけど……?」
ちょっと季節外れじゃないですか、と湊が問えば、
「俺が食いたいんだから、そんなもんどうでもいいんだよ。それにみんなで食うならやっぱ鍋だろ」
紫呉はしれっとそう答えて、親指を立てた。相変わらずのマイペースぶりである。
「確かに、夏に鍋を食べちゃいけないって決まりはないですからね……」
まあ美味しそうだしいいか、と湊はすぐに考えを切り替えて、箸と椀を持った。
(これ食べて、紫呉さんくらい身長が伸びればいいんだけどなぁ。筋肉ももう少し欲しいし)
そんなことを思いながら、湊が石狩鍋を口に運ぶ。
前のスープカレーもそうだったが、やはり味はすごくいい。いまだに紫呉が作っているとは信じられないほどで、つい箸が伸びてしまう。これでもし太ったら紫呉のせいだ。
しかし湊とは対照的に、正面に座っているシュウはそれほど口をつけていなかった。
「お前は今日も全然食ってねーじゃねーか。俺のメシが食えないってのかよ」
湊の隣で紫呉がブツブツと不満そうに文句を零すが、シュウは特に気にする様子もなく、
「もともと僕は少食だし、夜はあまり食べないんだよ」
そう答えて、箸で小さく割った豆腐を口に入れる。
どうやらシュウはかなり食が細いらしい。どうりで身体も細いはずだ、と湊は納得した。
「紫呉さんはシュウさんに絡むのやめてください。食事の仕方なんて人それぞれなんですから」
まだ厳しい視線をシュウに向ける紫呉を懸命に宥めながら、湊はそっと溜息を落としたのだった。




