第2話 オッドアイがもたらす出会い・2
「何か困ってんのか?」
湊の瞳に映った年上らしい青年は、とても整った顔立ちをしていた。
二重瞼に切れ長の瞳。通った鼻筋。それらのパーツはどれもが綺麗で、なおかつこれ以上ないくらいの絶妙なバランスで配置されていた。
前髪の間からわずかに覗く健康的な肌色の額には、汗が薄く浮かんでいる。
湊よりもほんの少し長い、ダークブラウンの髪はやや癖があるようだが、肌の色との相性が良く見えた。色素が薄く、たまにハーフなどに間違われる湊には羨ましい色である。
見た目は端的に言って『イケメン』以外の何物でもなかった。芸能人かモデルが目の前に飛び出してきたのではないかと、つい疑ってしまうレベルである。
いや、実際にその可能性も否定はできないが、何となく違う気がした。きっと直感のようなものだろう。
そして、湊は別のことに気づく。
顔面偏差値もそうだが、青年の姿にはもう一つ印象的なものがあったのだ。
首から下げられたペンダント、そのペンダントトップである。
湊は宝石に詳しいわけではないので素材などはわからないが、やや大振りにも見えるそれは綺麗な深い青色だった。白いTシャツとのコントラストが美しいと、素直に思う。
(Tシャツやジャージには似合わないペンダントだけど、お守りとかかな……)
漠然とそんなことを考えてしまったが、今はどうでもいい情報である。
青年には、まだ左目を手で覆ったままの湊について特に気にする様子はなかった。そのことに湊は心から安堵する。
「……あ、その、コンタクトを落としちゃって」
正直に答えながらも、いつの間にか湊の視線は青年ではなく、地面に向けられていた。今はできるだけ他人と関わりたくなくて、ついうつむいてしまったのである。
「ああ、それはないと困るよな。ほらさっさと探すぞ」
頭上から降ってきていたはずの青年の声が、途端に近くなった。
反射的に声の方へと顔を向けた湊の瞳に、青年の姿が映る。その瞬間、思わず息を呑んだ。青年がしっかりと湊の隣にしゃがみ込んでいたから。
予想もしていなかった青年の行動に、湊は困惑した声を漏らす。
「いや、おれ一人でも……」
「一人よりも二人で探した方が早いだろ」
湊の心中を知る由もない青年は、すでに地面に手をついてコンタクトレンズを探していた。
「……そうですね」
さすがに青年の純粋な厚意を無下にするわけにもいかず、湊は渋々諦めて探すのを手伝ってもらうことにする。
(まあ、オッドアイがバレなければいいか……)
あとはさっさと見つけて、お礼を言って帰ればいい。一緒になって下を向き、そう考えていた時だった。
「俺、月城紫呉っていうんだけど、お前の名前は?」
地面に視線を落としたままの青年に突然名乗られ、湊は顔を上げることなくその場で目を見開く。
いきなり名乗られたことに少し戸惑うが、聞いてしまったからには自分も名乗らなくてはいけないような気がしてくるから奇妙なものだ。
謎の使命感が沸いてきて、湊も素直に名乗ろうと口を開く。
「……えっと、古賀湊です」
「ふーん、湊は何でこんなとこにいるんだ? この辺じゃ見ない顔だな」
名乗った途端に呼び捨てにされて、湊はこれまでうつむけていた顔を再び上げそうになった。
ずいぶんと馴れ馴れしい人だとは思うが、すぐに紫呉の距離感は普段からこんなものなのだろうと結論付けることにする。人によって距離感はさまざまだ。
それに驚きはしたが、なぜかあまり不快な気分にはなっていなかったのである。
「今日ちょっと嫌なことがあって、気分転換に少し遠くまで散歩しようと思ったんですよ」
「なるほど、それでコンタクトを落としたってか。まあそんな日もあるんじゃねーの。で、どこから来たんだ?」
コンタクトレンズを探す手は止めず、紫呉がさらに質問を重ねてくる。
「ひばりが丘ですけど」
「へえ。じゃあ地下鉄でここまで来たのか?」
「そうです」
紫呉に根掘り葉掘り聞かれているような気がしなくもないが、湊は自分でもよくわからないまま正直に答えていた。
(何だか不思議な人だな……)
そんなことを考えていると、不意に紫呉が声を上げる。
「ほら、あったぞ。これだろ?」
嬉しそうな声に、湊はちらりと視線だけを紫呉の手元に向けた。その手に乗っているのは、確かにコンタクトレンズである。
「やっと見つかったぁ……」
湊の手にようやくコンタクトレンズが戻ってきて、思わず安堵の溜息が零れた。
「見つかってよかったな」
「はい、ありがとうございます。……あ」
素直にお礼を述べた湊だが、その表情はすぐに曇ってしまう。
「どうした?」
「いえ、このコンタクト、ソフトレンズだったことを忘れてました……」
これじゃあつけられないですね、と湊はがっくり肩を落とした。一気に天国から地獄に叩き落とされたような気分である。
ハードレンズなら洗って使うこともできただろうが、ソフトレンズではさすがに無理だ。
せっかく見つけてもらったのに、つけられないのではどうしようもない。また、紫呉にも無駄な労力をかけさせてしまった。
(今日はとことんついてない……っ)
さらに気落ちした湊は、視界が滲みそうになるのを懸命に堪える。
このままだと涙が溢れてしまう。そんな顔を他人に見られたくない。だからその前にここを離れなくては。そう思った時だった。
紫呉が隣で静かに口を開く。
「なあ、そのコンタクトさ」
「え?」
とっさに反応した湊は左目を隠すことなく、紫呉の方へと顔を向けてしまった。
その顔を見て、紫呉は目を細める。
「ああ、やっぱりな」
「……?」
湊には紫呉の言葉の意味が理解できなかった。涙のこともすっかり忘れてしまう。
一緒にしゃがみ込んでいる紫呉は何やら自信ありげに、まっすぐ湊を見つめていた。
(この人、やっぱり顔はいいな。口は悪いみたいだけど……)
それを見返しながら、湊はぼんやりとそんなことを思う。数拍置いて、ようやく左目を隠していなかったことに気づいた。
「あ、あの、この青い目は、その、カラコンを入れてて……!」
「へえ。これ、茶色のカラコンだよな。お前は青いコンタクトの上にさらにコンタクトを入れるのか?」
紫呉の口調は、何かを確信して追及しているようだった。
それから逃れようと、湊は慌てて左目を手で隠そうとするが、その前に紫呉に腕を掴まれてしまう。
「あ、いや、カラコン入れてるのは右目で……!」
「必死に誤魔化そうとしてるみたいだけど、だんだんと支離滅裂になってきてるぞ。さっき会った時のお前は左目、青い方を隠したな。そして今もだ。つまりこれは左目のコンタクトってことなんだろ? で、青いのは裸眼だな?」
紫呉は掴んでいた腕を離し、今度は湊の手からコンタクトレンズを取り上げる。そのままつまんで、まじまじと眺めた。
「あっ、何するんですか! 返してくださいよ!」
「返してやってもいいけど、ちゃんと話すんだろうな? 俺は探してやった恩人だろ? 聞く権利くらいはあるよな?」
思わず声を上げて手を伸ばした湊を上手くかわしながら、紫呉はいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「うっ。えっと、それは……」
「それは?」
紫呉に聞き返され、さすがにもう言い逃れはできないと悟った湊が、またも大きくうなだれた。
確かに、コンタクトレンズを探してくれた恩人ではある。それに権利があるかはわからないが、おそらく話すまでこのままの状況が続くのだろう。
だったらいっそ話してしまった方がいい。
「……もういいです。ちゃんと話します。おれ、オッドアイなんですよ。だからあまり人に見られたくないな、って……」
湊がようやく絞り出すようにして言葉を紡ぐ。「きっと奇異の目で見られる」、そう覚悟した。
けれど、紫呉はまったく驚くことも馬鹿にすることもなく、
「オッドアイ、しかも青い目ってすっげー綺麗だよな!」
とても眩しい笑みを浮かべて、再度しっかりと湊の瞳を見つめたのである。
そうして、現在のやり取りになったというわけだ。