第14話 梅公園にて・昼
翌日は土曜日だった。
その昼頃のことである。
湊は紫呉と一緒に平岡公園にやってきていた。もちろん紫呉の車でだ。
いつもであればつきしろ骨董店の営業日なのだが、今日は店長の紫呉もアルバイトの湊も不在になるため、特別に『本日休業』の札をかけてきている。
基本的には月曜日が定休日だが、個人経営の店なので休みなどはかなり自由にできるらしい。今日のような日以外にも、天気が悪く客が来なさそうな日は早めに閉店することもあるそうだ。
その証拠に、先日田中が来店した時も営業中にあえて『休憩中』の札をかけて、他の客が来ないようにしていた。
札幌市清田区にある平岡公園は、梅公園や梅林公園と呼ばれ、地域の住民に親しまれている。テニスコートや野球場などもある非常に大きな公園だ。
その通称の通り、四月下旬からゴールデンウィークにかけて、たくさんの梅の花が咲き誇る。
しかし六月に入ったばかりの今日は、梅の時期はとっくに過ぎてしまっていた。
「梅ソフトクリーム食べたかったなぁ」
湊がすでに花の散ってしまった梅の木を眺めながら、残念そうに呟く。
わりと近くに住んでいるにも関わらず、湊はここに来るのは初めてである。
名物の梅ソフトクリームも楽しみにしていたのだが、残念ながらすでに販売が終了していた。
今日の湊は買ったばかりのベースボールキャップをかぶり、エリカの宿った小さな絵画を手にしている。
キャップについては、万が一コンタクトレンズを外さなければならなくなった場合に備えてのものだ。
いつもと同じように予備のコンタクトレンズは持っているが、外した時にはしばらくそのままの状態になるだろうし、その時に少しでも左目を隠せるようにとの考えである。
がっかりしている湊の言葉をしっかり拾った紫呉が、意地の悪い笑みを浮かべた。
「湊は食ったことねーのか? バニラにほんのり梅味がいいバランスでな……」
「それ以上言わないでください! 聞いたらもっと食べたくなるじゃないですか!」
湊は空いている方の手で耳を塞いで、顔を思い切り左右に振る。
紫呉の食レポを必死に遮ろうとする姿に、紫呉の笑みが今度は勝ち誇ったものに変わった。
完全に大人げない紫呉だが、ふと思い出したように空へと顔を向ける。その視線の先には晴天が広がっていた。
「あ、でも今日の占いでラッキーフードはソフトクリームって言ってたから、帰りにコンビニで買って帰るか」
「占い?」
湊が耳から手を離して、首を傾げる。
まさか、紫呉の口から『占い』などという単語が出てくるとは思っていなかったのだ。
「ああ、テレビで朝やってるだろ。天秤座のラッキーフードがソフトクリーム」
「え、紫呉さんってああいう占い信じてるんですか?」
紫呉が真顔でよこした意外な答えに、目を見開いた湊は思わず聞き返す。
すると、途端に紫呉はきょとんとした表情を浮かべた。
「当たり前だろ。ちなみに青がアンラッキーカラーの日はなるべく外に出ねぇ。家か店の中だけで過ごす」
「何でですか?」
「何で、ってこれ外さないといけねーだろ」
湊が怪訝そうに眉と声をひそめると、紫呉は「なぜそんなことを聞くのか」とでも言いたげな表情で、自身のペンダントを持ち上げる。ペンダントトップについている青い宝石が大きく揺れた。
「ああ、青いですもんね。ていうか、そこまで真剣に信じてるんですか……?」
湊が納得したように一つ頷きながらも、さらに眉を寄せる。
それから続けて問うと、
「何か悪いのか?」
紫呉は相変わらずの鋭い目つきで睨んできた。
別に馬鹿にしているわけではないが、テレビの占いをここまで信じる人はなかなか見ないな、と湊は思う。もしいても子供くらいではないだろうか。
ちなみに湊の場合は、良いことのみ信じて、悪いことはすぐに忘れるようにしている。それ以前に、そこまで真剣に信じてはいない。
湊は小さく咳払いをする。
「……いえ、別に。でも、そのペンダントってそんなに大事なものなんですね」
「まーな」
紫呉は腰に片手を当ててそう言うと、視線をペンダントに戻した。表情は穏やかなものに変化している。
愛おしいものを見るような目をペンダントに向けている紫呉に、湊はこれ以上深く聞いていいかわからず、話題をまたソフトクリームに戻すことにした。
「とにかく、梅ソフトクリームは来年の楽しみに取っておきます! コンビニのソフトクリームはおれも食べたいんで、寄るの忘れないでくださいね」
「はいはい、帰りにちゃんとお前の分も買ってやっから」
「やった、絶対ですよ!……ところで、やっぱり人はあまり多くないみたいですね」
嬉しそうに目を細めた湊が、今度は周辺をぐるりと見回す。
まったく人がいないわけではない。だが、土曜日にしては人が少ないように感じられた。
湊は梅公園に来るのは初めてだから、実際のところはどうなのか、それはさっぱりなのだが。
「梅まつりの時期はもっとすごい人なんだけどな」
駐車場もすげー混むし、と答えながら、紫呉も辺りに視線を巡らせる。
この人出はどうやら梅まつりの時ほどではないらしい。もう梅の時期を過ぎてしまっているので、「それもそうか」と湊は納得した。
「じゃあどうします? ここにいる人たちに聞き込みでもしてみますか?」
そう聞きながら紫呉の端正な顔を見上げると、まだ辺りを眺めていた紫呉はまた腰に手を当てて、小さく息を吐く。
「いや、いつも同じ人間がここに来てるわけじゃねーから、話を聞いてもあまり効果はないだろうな。毎日散歩に来てる人なんかはいそうだけど、それを探すのも一苦労だ」
「聞き込みではどうにもならないってことですか?」
「まったく無駄ってことはないだろうが、効率が悪いって話だな」
さてどうするか、と呟いて、紫呉は足元に視線を落とした。
ここに来る前、エリカのネックレスが落とし物として届いていないか、公園の管理事務所に電話で確認していたが、それは残念ながら空振りに終わっていた。
ならば自分たちで探すしかない、とここまで来たまではよかったのだが。
「でもこの公園、広すぎてどこを探したらいいのかわからないですよね……」
「梅林の方に来たって言ってたんだろ? けど、梅林だけでも相当広いからな」
湊が困ったように再度ぐるりと見回すと、紫呉も一緒になって遠くに目をやる。
そう、この公園は本当に広いのだ。梅林の部分だけでもどれだけあるのか、さっぱりわからない。もし広さを具体的な数字で聞いたとしても、きっとピンと来ないだろう。
「そうみたいですね。この広さでどうやって探します? 手分けするのも難しそうですし」
「エリカさんにもっと詳しく聞けねーのか?」
「あ、そうか。ちょっと聞いてみます」
そういえば今は手元にエリカの宿った絵がある、と思い出した湊の表情が明るくなった。
紫呉に少しだけ絵画を預けて、湊はその場で左目のコンタクトレンズを外す。
現れた青い瞳を隠すように、ベースボールキャップを深くかぶり直すと、紫呉から絵画を返してもらい話しかけた。
「エリカさん、ちょっといいですか?」
『……どうしたの?』
小さく声をかけると、エリカは絵画の中から返事をして、すぐに姿を現す。
今回は絵画から頭だけを出した状態だった。何だかさらし首のようで怖い気もするが、今はそれに構っている場合ではない。
「あの、この公園に来た時のことを何か覚えてたりはしませんか?」
『……大雑把に通ったルートくらいならわかるけど』
「ありがとうございます。紫呉さん、大雑把に通ったルートなら覚えてるらしいです」
またも紫呉に通訳をしてやると、
「そうだなぁ……」
紫呉はそう答えたきり、腕を組んで考え込んでしまう。
湊はエリカと一緒になって、それを黙って見守ることしかできなかった。
少しして、紫呉が口を開く。
「よし、作戦変更だ。一旦撤退するぞ」
「え、撤退ってどういうことですか?」
紫呉が発した突然の言葉に、湊の瞳が大きく開かれた。
その腕を、紫呉は強引に引っ張る。
「いいから、ほら帰るぞ」
湊は腕を引っ張られたまま、訳もわからずにその場を後にしたのだった。




