LX.蜘蛛 前編
キードゥル93年10月
「意外と、たいしたことないのね、人間って」
そう呟くように言って、白い髪をかき上げる。千草色の瞳は瞳孔が猫のようだった。
そして、頭から生えている二本の赤い角。
「あぁ、また来たのね、人間。……うーん、また雑魚ばっかり。あ、でも……」
少女の姿をした魔族は探査魔法をやめ、くもった空を見上げる。
「上物が一匹。まあまあなのが二匹」
「さぁ、私の糧となりなさい」
◇◆◇
クリスティーネは今、メリアティードの武官に囲まれて潜伏していた。後衛の陣を置く場所はもう少し奥にある。
だが、魔獣の群れが出てきたため、潜伏しているのだ。
クリスティーネは視界の端で、何かが光った気がして、そちらに視線を向ける。
(何かしら、あれ)
何だか、木に蜘蛛の糸のようなものが張ってある。よく周りを見渡せば、幾重にも重なっていた。
(皆様はあまり気にしていないようだし……メリアティード特有のものだったりするのかしら)
そんなことを考えているうちに魔獣の群れは去っていき、数匹だけが取り残される。
「この数匹だけならば問題あるまい。第五師団、行くぞ!」
『はっ!』
師団長と思わしき人に続き、十五名ほどが立ち上がって魔獣の群れに向かっていく。
武官たちは次々と魔獣を倒していった。
(すごく連携がとれてる。すごいなぁ)
魔獣を全て討伐し、クリスティーネたちはテントを張ったり、回復薬を置いたりしていた。
「あの、何かすることはありますか?」
武官たちが動いている中、クリスティーネは何もできずにいた。
クリスティーネは指揮をしているメリアティードの武官の補佐の人に声を掛ける。
「クリスティーネ様には周囲の警戒をお願いしたいです」
「分かりました」
「あの、私たちにも……。それと、私たちは前戦に出ますから、ご一緒させていただく師団をお教え願えませんか?」
コリスリウトとイディエッテがクリスティーネの元にやってくる。コリスリウトの言葉にイディエッテもコクコクと頷いた。
「あぁ、すみません。そちらまで手が回っておらず。アレクサンド殿とショミトール嬢はクリスティーネ様の護衛、及び周囲の警戒を。それから、行動する師団は……アレクサンド殿は第四師団、ショミトール嬢は第六師団での指示に従ってください。クリスティーネ様は第八師団です」
「分かり……」
『はっ!』
綺麗にクリスティーネ、コリスリウト、イディエッテの声が揃い、何だかスッキリとした爽快感を覚えた。
そのとき。
「うわぁああっ!!?」
背後で大声が聞こえ、クリスティーネたちの視線が声の方向に集中する。
声の主は何かに引っ張られていた。
(先程の糸!)
潜伏していたときに見た蜘蛛の糸のようなものが、武官の足に絡まって武官は浮いていた。
「何だッ!?」
「浮いているではないか!!」
「どういうことですの!?」
武官たちがざわめく。
(あの糸が見えていないの?)
そう思って口を開こうとしたとき、武官を吊るしている糸がピンと張り、武官がその糸に引っ張られて、森の奥へ飛ばされて行ってしまった。
「副師団長!!」
数人の武官が叫んだ。
「団長、副師団長を助けに行きましょう」
「そうです!助けに行かなければ」
「……いや、どんな敵がどのくらいいるか分からぬ以上、副師団長のために人手は出せぬ」
団長の苦渋の判断に、武官たちは「そんな……」と落ち込んでいる。
「クリスティーネ」
「お兄様」
クリスティーネの元にミカエルがやって来る。
「クリスティーネには見えたかい?あの武官の足に……多分、糸が絡まっていたと思うのだけど」
「お兄様にも見えたのですかっ?他の武官たちは見えていないようなのですけれど……」
「私にも見えましたよ」
ファーラレンスがやって来た。
「微かでしたがね。光に反射してたまに光っていました」
「私も同じだ」
「わたくしにははっきりと見えました。……それと、森の中にも幾重にも糸が重なっておりましたわ。見えましたか?」
「いや……たまに上空を気にしてはいたけれど、あまり見えなかったかな」
ミカエルは眉を下げてそう言った。
(どんな関連性が?わたくしにははっきり見えて、お兄様とファーラレンス様には微かに見えて、武官たちには見えない……どういうこと?)
クリスティーネは首を傾げる。
「他にも見えた者がいないか確認した方が良さそうですね」
ファーラレンスは「先程のことですが、副師団長の足に糸があったのを見えた者は?」と声をあげる。
だが、しんと場が静まるだけで挙手する者はいなかった。
(誰も見えなかったみたいね)
もう少しいれば、法則性も分かっただろうが、この人数では何とも言えないだろう。
「……ファーラレンス様、どういうことでしょう?」
一人の武官がおずおずと手を挙げ、ファーラレンスが説明する。
「……っく。副師団長……」
悔しそうな声が聞こえ、どんよりとした空気が漂う。
「皆のもの!」
そのとき、武官団長が大声を上げた。
「我らがすべきことは一つ!魔族を倒すことだ。そして、第四副師団長も助ける!良いなっ!?」
『はっ!!』
気持ちよく全員の声が揃う。
「出陣だ!第八師団のみ待機。それ以外は私に従え!」
『はっ!』
そうして、陣に残ったのはクリスティーネを含め十五名。
先程に比べると、かなり静かになったように思える。
「クリスティーネ様、ごきげんよう」
「あっ、貴女は、ファミリア様の……」
「はい。マデレイネ・ズィーアと申します」
第八師団唯一の女性だ。他の師団もそうだが、基本的には男性ばかりなのである。それに、治癒者が武官である必要はないのだ。治癒者志望の者は基本的に介添えで、医官科を取ることが多い。
マデレイネは既婚の証として髪を纏めているが、かなり若そうだ。今日のお茶会ではファミリアの後ろで護衛をしていたのを思い出す。
「えっと、治癒者の方でしょうか?」
「はい、そうです。光の魔力を持っています」
(わぁ、珍しい)
クリスティーネも人のことは言えないのだが、光や闇の魔力保持者はかなり珍しいのだ。
しかも、いたとしても中央部が取っていくことが多く、普通の領地で見られるのはもっと珍しい。
「第八師団もそうですけれど、女性武官がいるのは珍しいですから。こうして女性とお話できるのは嬉しいものです」
マデレイネはニコリと微笑む。
「今回、規模はどの程度だと考えられますか?」
「そうですね……。第一師団がやられたことを考えますと、大きいかもしれませんね。……ですが、どうせ油断でもしていたのでしょう。厳しい師団長と副師団長の元に、いつもふざけている連中が集められただけですから」
(それならばよいのだけど)
だが、死者も出ているのにただの油断で済ませられることなのだろうか。このときのクリスティーネはそれに気がついていなかった。
「遅いな。いつもならもう怪我人が来るはずだが」
「思ったより楽だったのかもしれません。応援の信号もないですし」
「そうだな」
そのときだった。
「ゲボッ……ゴホッゴホッ」
吐血しながら、森から武官がゆらゆらとふらつく足で歩いてきた。肩には意識を失った武官を背負っている。
「……!!」
「早くこちらへ!」
第八師団師団長と副師団長が武官に駆け寄る。
陣の中に運び込み、治癒を開始した。クリスティーネとマデレイネも加わる。
「何があったのです?」
「分からない。私たちが相対したのは魔獣だったのだが……」
「魔獣ならばどうしてこんなことになるので?」
一般的に魔獣より魔族の方が強い。弱い魔獣ならば中級武官一人いれば問題ないのだ。強くても、ここまで師団が勢揃いしている中で大怪我を負うほどではない。
「一人でいた少女が全てを変えた。……いや、あまり見えなかったが、魔族だったのだろうな。とんでもない強度の糸を操っていた。今頃、あいつらも危ないと思う」
「そんな……!」
(お兄様は大丈夫かしら……っ?)
そう思ったとき、森から次々と怪我人がやって来る。
陣に敷いていた布の上に次々と怪我人が寝かされていった。
「軽傷の方は集まってくださいませ!」
クリスティーネはそう声をかけた。軽傷とは言っても、足や腕には深い傷がある者たちばかりだ。
五、六人ほどが集まったところで、クリスティーネは魔法を使った。
「ヒェアリンデ」
治癒魔法を行使した。軽傷の者たちならば、一気にやった方が速いだろう。
「こんな、一瞬で……」
数十秒後、全員の怪我が完治した。
「ありがとう存じます、クリスティーネ様!」
「どういたしまして」
クリスティーネは走っていく武官たちを見送った後、すぐに周りを見渡した。
「マデレイネさん!」
マデレイネがずっと同じ場所にいるのを見つけた。重い患者なのかもしれない。
「クリスティーネ様……」
マデレイネはクリスティーネを涙目で見上げる。
そこには、かなり苦しそうな患者がいた。毒でも受けたような変色した右半身。その上にまだ傷を負っていた。
「解毒薬は使いました?」
「はいっ、でも全然効かなくて……!即効性のはずなのに!」
マデレイネはかなり混乱していた。
「マデレイネさん、ここはわたくしが。マデレイネさんは他の方をお願いします」
「わ、分かりましたっ」
マデレイネはパタパタと歩いていく。
それを見届けて、クリスティーネは患者に向き直った。
(多分、解毒薬はじわじわとだけど、効いているはず。最初に見たときよりましだもの)
「ヒェアリンデ」
クリスティーネは杖に魔力を込める。
「……っく」
だんだんと傷が治っていく。それにつれて、武官の意識も浮上してきた。
「大丈夫……ですか?意識はありますか?」
「クリス……ティーネ様で、しょうか……?」
「そうです。もう少しですのでお待ちくださいまし」
クリスティーネは杖にたくさんの魔力を込めた。
傷は全て塞がる。解毒薬も効いてきて、変色も弱まってきた。
(あと少し……!)
治癒魔法をかけ続け、変色がようやく元の色に戻った。
「ありがとう存じます……!!」
「どういたしまして」
クリスティーネはニコリと微笑む。
次の患者に行こうとしたそのとき、目の前の森から魔獣が飛び出した。かなり大きい。2メートルほどは、あるのではないだろうか。
(危ない……っ!)
「マジェディ!!」
クリスティーネは杖を振り、防御魔法を使う。
(こんなところにまで魔獣が……!)
蜘蛛のような見た目をした魔獣は防御魔法によって防がれる。 魔獣は牙を向けたまま、防御魔法に噛み付こうとして動きを止められていた。
「行きます!」
先程治した武官が魔獣に向かっていった。
杖を剣に変え、魔獣を切っていく。
(すごい……!)
「ありがとう存じます」
「いえ!こちらこそ、防御魔法ありがとう存じます。こちらまで来るのならば、結界の魔術具を使った方が良さそうですね。持って参ります」
そう言って、武官は魔術具などを置いているテントに走っていった。
「クリスティーネぇっ!!」
(お兄様の声……?)
「ふふっ、ごきげんよう?……クリスティーネちゃん」
クリスティーネの耳元で、あどけない少女の声が聞こえた。
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