LIV.ミカエル・ヒサミトラールは家族を守りたい 後編
キードゥル90年2月
「……」
「……ねぇ、聞いてるの?ねぇ、お兄様ぁ」
「……君に兄と呼ぶことを許可した覚えはないのだけど?」
私は横にべったりくっついてくる異母妹――クリスティーネに対してそう言った。
「いいえっ!言ったではないですか!『私がお兄様だよ』って!」
(あぁ、もう。なんで、昔のことだけは記憶力がいいんだか。最悪だ)
「今と昔は違う。馬鹿なの?」
(いいや。コイツはいつでも馬鹿だ)
◇◆◇
幸せだったのはクリスティーネの自我が芽生えるまでだった。
はじめは小さな我がままで。だが、それくらいは幼子によくあることだ。叶えるときも、止めるときもある。
おかしくなったのは四歳くらいのことだ。
金をせびるようになり、外に出ては仕事をしている者たちに突っかかって。
――そうなってからは、もう地獄だった。束の間の天国は過ぎ去る。夢が覚めてしまったかのように。
それを毎度、叱らなければならないアイリス様はかなりやつれていった。仮介添えであるフィルオーナも、隈ができていたし、ため息をつくことが増えた。
そうして、クリスティーネの悪行は止まることを知らない。
私も、最初は軽く咎めていたものの、もうやめた。
(諦めたんだ。優しい家族、なんてものは)
そんなある日。クリスティーネがやらかした。
当時十六歳の中級武官、フィリップ・セグラに対してかなり多くの辱めを受けさせたのだ。まだ幼かった私は具体的に教えてもらえることはなかったけれど。
今なら何となく、想像がつく。
そんな日からしばらくのことだ。
クリスティーネはフィリップという玩具を失ってからなのか、不機嫌だった。
(面倒な)
いつものように朝の勉強に励んでいた頃。
コンコンッと早々としたノックの音が部屋に響く。通常はゆったりとしたノックをするものだ。今までにないノックの音にレックスは警戒しつつ、扉を開けた。
「失礼いたします」
いたのはフィルオーナだった。息が切れており、顔が少し赤い。髪も乱れていた。
「ミカエル様、至急来ていただきたく思います」
フィルオーナは真剣に、真っ直ぐ私を見つめる。
「分かった。君の様子では、何かあったんだろう?」
「……はい」
フィルオーナは息を整え、私たちはフィルオーナに案内された場所までやって来た。
(なんで、クリスティーネの部屋?)
思いつめたかのような表情のフィルオーナに聞けるはずもなく、私たちはクリスティーネの部屋に入った。
(そういえば、熱が出たとか聞いたな。抱き着かれたりして、うつされるのはごめんなんだけど)
少しだけ警戒しつつ、クリスティーネの部屋に足を踏み入れる。
ところが、警戒していた抱き着きなどもなかった。
クリスティーネは大人しくベッドにちょこんと座っている。
レックスの方を見上げると、彼も驚きを隠せないようだった。
「これ、どういうこと?」
そう言って、フィルオーナに説明を求めた。もう、いつも通りの表情に戻っている。何だったんだろうか?
そうして、説明を受けた。前にもこんなことを言われて呼び出された覚えがあったので、私は一つずつ確認をしていく。
(嘘ではない?)
前回では、クリスティーネの嘘が下手すぎて、すぐにばれていた。本人は「さっき戻ったんですぅ~」などとほざいていたが。
(でも、記憶喪失程度で、ここまでなるか?)
前と今の差が大きすぎて、自分自身まだ混乱しているらしい。
私はフィルオーナとレックスを適当な理由をつけて追い出した。
クリスティーネは何か考えているらしく、もごもごと口を動かしていた。
「……お母様はアイリス様。お父様はヒサミトラール領主であるレトルート様、ということですか」
(あ、記憶喪失じゃない。この子は……転生者だ)
「ふぅん、よく知ってるね?記憶喪失ってどういうこと?」
私はそう言って、クリスティーネに顔を近づけた。いつもは近付かれてばかりで忌まわしかった顔に、自分から距離を詰めるなんて、どうかしている、と自分でも思う。
「ね?どういうこと?」
「ひぅぁ……っ」
さらに距離を詰めて微笑んでみると、クリスティーネのオッドアイに涙が溜まっていくように見えた。
それから、ボロボロと涙が溢れ出していく。
(泣く?あの、下手くそな噓泣きしかしなかったクリスティーネが?)
私は驚きに目を開く。
(泣かせてしまった)
そのとき、フィルオーナとレックスが戻って来た。フィルオーナは即座にクリスティーネを宥め始めて、私たちはクリスティーネを任せ部屋に戻った。
それから、勉強のことなど頭に入らず、ずっと何かが引っかかっていた。そのせいで、夜になっても寝付けなかった。
「あ……あれ、だ」
ミカエルは数年前のことを思い出していた。あれは、リュードゥライナが生まれる少し前のことだっただろうか。
◇◆◇
「こんばんは、ミカエル・ヒサミトラール様」
真夜中だった。レックスには寝たふりをして出ていてもらって。
クリスティーネの悪行が始まり、それなりに頭を悩ませていたときのことだ。
目の前に現れたのは、水色の髪に琥珀色の瞳をした女の子。だが、その体は手のひらに乗るほど小さく、蝶のような羽が生えていた。
(妖精みたいだ)
「……誰?何者?」
警戒しつつ、彼女にそう問うた。彼女の顔立ちは幼いように見えるが、非常に達観したような表情を浮かべている。そして、子供を見るような目で見た。
「申し遅れました。中級精霊、フェルリと申します」
「せい、れい?」
彼女――フェルリは「はい」と頷き、真っ直ぐこちらを見つめる。
「今宵は月が美しゅうございますね。……ミカエル様、貴方にお話があって参りました。貴方の妹、クリスティーネ・ヒサミトラール様。そして――アイシェ・エミリエールについて」
(アイシェ・エミリエール……?確か、養妹の暗殺を謀って、処刑された第三領女ではなかったか……?)
「アイシェ・エミリエールのことは、ご存じでしょうか?」
「……まぁ。噂程度に」
「そうですか。……では、結論から申し上げましょう」
フェルリは真っ直ぐこちらを見つめる。月光がベッドカーテンから漏れて、琥珀色の瞳が神秘的に光った。
「『アイシェ・エミリエールの魂はクリスティーネ・ヒサミトラールに宿る』これが、〈光の女神〉シャルフェール様からのお告げでございます」
「お告げ……?それも、〈光の女神〉シャルフェールから?」
私は疑わしげにフェルリを睨んだ。それくらいでは、フェルリは怯まない。
「疑うのは結構ですけれど、事実は事実です」
「それで、その大罪人が今、クリスティーネの身体に宿ってあんな悪行を?君がアイシェ・エミリエールの知り合いなら止めておくれよ。とても迷惑しているんだ」
その言葉に、フェルリはキッとこちらを睨んだ。
「彼女は大罪人などではございません。話を聞いてください」
(そんなこと言われても……。普通、そう思ってしまうだろう)
フェルリは少し深呼吸をし、再び私に向き直る。
「アイシェ・エミリエールが起こしたとされる、第四領養女暗殺未遂事件ですが、アイシェは冤罪です」
(……この人、すごい直球ばかり投げてくるな……)
そのせいで、頭で理解するのに、少しばかり時間がかかってしまう。
「わたくし自身は、第四領養女本人の自作自演ではないかと疑っています。ですが、真実が明かされることは、今のところないでしょう」
フェルリの顔が憎しげに歪む。その瞳には、後悔の色もあるように見えた。
「それで?」
「アイシェの魂は現在、〈輪廻の双子神〉様の元で保管されています。それで、クリスティーネ様がお亡くなりになられる、六歳の春にアイシェの魂を宿すことになりました」
(死ぬ?クリスティーネが?)
「どういうこと?生き返らせると?」
「えぇ、そうです。死んだ直後に」
「どうやって?」
「わたくしにも分かりません。知りたいのであれば、神々に直接お聞きくださいませ」
「無理でしょ」
「無理でしょうね」
きっぱりフェルリにそう返され、私は知ることを諦めた。
「それから、これはわたくしの個人的なお願いになるのですが」
「何?」
「……アイシェを、というか転生した以降のクリスティーネ様に優しくしてほしいのです」
「何故?」
「きっと、貴方を救うでしょう。そして、アイシェも救われる」
懇願するような、そんな表情だった。
「あの子に、与えてあげたいのです。幸せな家族というものを、そして、貴方にも」
「……君に、私の何が分かると?」
「……知っていますよ。ここに来る前に聞きましたから……リック・オルコット様」
(こんな、わけのわからない精霊に、私を心配してもらう筋合いはない。なのに――何だか、温かなものを感じる)
「……いいよ。君の願い、聞き入れてあげる」
「ありがとう存じます」
フェルリはふわりと笑って私の傍から離れ、ベッドカーテンから外に出ようとした。
「ねぇ」
「はい」
「また、会える?」
「……〈運命の女神〉ルーラ様のお導きがございましたら」
(会いたくないのか)
フェルリが言った、「〈運命の女神〉ルーラのお導きがあれば」というのは、会えたらいいね、くらいの軽いものだった。できれば、会いたくない相手に使うものである。
「貴方に会えるかは分かりません。……そのままの意味ですよ。会えるかもしれませんし、会えないかもしれません。全ては、女神たちの気まぐれですもの」
「そう……またね」
「……ふふっ、面白いお方ですこと。では、また」
フェルリは笑って、姿を消した。
◇◆◇
「……今がそのとき、か」
ポツリと呟いた声が、真っ暗な部屋に溶けていく。
「そう、だな。願いを叶える、それは約束なんだから、守らないと」
自然と口角が上がるのが分かった。
「……私は、家族を守るために生まれてきたんだ」
今のところは、新しいクリスティーネ……いや、アイシェ・エミリエールに期待しておこう。
その期待を、クリスティーネが大きく上回ってくれるとは、この頃の私は知らない。
60pt達成いたしました!本当にありがとう存じますっ!!
それから、ちょっと思いついたので、現代のお話【甘すぎるビターチョコレート】を書いてみました。途中ですが。四話ほどで完結させる予定です。恋愛のお話なので、興味がある方はそちらも読んでくださると嬉しいです!
ではまた次のお話で!




