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LIII.ミカエル・ヒサミトラールは家族を守りたい 中編

キードゥル83年8月


「……誰かいるっ!?……っ!!」

「あ、アイリス様」

「ミカエル様!?」


熊の魔獣の声に気付いたであろう、アイリス様は血相を変えてこちらまで走ってやって来た。その後ろから、武官が二人ほどついてくる。


(危なっ……!)


「ミカエル様、どうしてこちらに!?」

「散歩です」


私が短く答えると、アイリス様は悲しそうに眉を下げる。でも、ため息をつき「こちらが先ね」と言って、熊の魔獣を見上げた。


「二人は拘束をお願い」


アイリス様は杖を取り出す。そして、真っ直ぐ魔獣を見つめた。


「ですが、お体がっ」

「魔力は満ちているわ。一発程度、問題はなくてよ」


武官の心配にアイリス様はそう答える。


(馬鹿なんじゃないか)


不敬なので、心の中でそう呟いた。


「ヴェンデエーゼ!」


赤に染まったロープが熊の魔獣の手を拘束した。だが、魔獣は暴れ、拘束を解こうとする。

もう一人の武官は鞭に魔力付与をし投げた。それで、足を拘束できる。


(……すごい)


『今です、アイリス様!』

「アコーフェツィア」


(すごい魔力量だ)


魔力付与ではない。弓矢を生成するときにかなり多めに魔力を注いだのだ。

太陽に反射し、キラキラとラメが輝くように弓矢が光っている。


「……っ」


アイリス様の紫紺の瞳は、真っ直ぐ熊の魔獣だけを見つめ、矢を放った。

矢は真っ直ぐ飛んでいき、眉間辺りを打ち抜いた。

魔獣はボロボロと塵になって、消滅していく。武官たちは「消滅前に採集用道具を持って参ります」と言って走っていった。


「ミカエル様、何故こんなところにいらっしゃるのですか!?」

「え、と。その、散歩に来ていて……それから、小さな魔獣に襲われかけて……」

「……」


アイリス様は何か言いたげな顔をしたが、グッと飲み込んだ。


「そちらのお怪我は?」

「いや……その、こけただけです。助けてくださって、ありがとう存じます。では、私は自室に戻りますので」

「ミカエル様、待ってくださいませ。怪我の手当を……」

「貴女に何ができるというのですか?それに、大した怪我ではありません」


わざと突き放した言い方をした。きっと、母上のことが嫌いなこの人は私のことも嫌いなんだろう。今助けたのは、恩を着せたかったからか、体裁のためだ。

きっと、そうだ。


(これで、私に失望しただろう。これでいい)


この人は――アイリス様は、私のことなど、嫌いな人の息子程度にしか思っていないだろうから。


「では、私はこれで失礼します」


アイリス様のことは見なかった。嫌な予感がしたのだ。見たら、止まってしまうかもしれない。


「……ミカエル様」


(無視だ。振り向いちゃ、駄目だ)


「……ミカエル様!!」


思わず、バッと後ろを振り返ってしまった。普段温厚なアイリス様がこんな怒ったような声を上げるとは思わなかったのだ。


「な……何ですか?私は早く自室に戻りたいのです。簡潔に話してください」

「……ミカエル様」


またアイリス様は走ってこちらまでやって来た。


(また、危ない真似を)


それから、アイリス様にギュッと袖を掴まれた。今にも泣きそうな顔をしている。


「貴方は何故、ご自分を大切になさらないのですか?」


(え?私が、自分を大切に……?する意味が、果たしてあるのだろうか。私が私のことを大切にしたところで、他人は何も思わない。もっと言えば、私が何をしても、誰も何も思わないだろう)


私が考えている間に、アイリス様は「〈成長の女神〉フローヌリンデよ。アイリス・リエ・ヒサミトラールの名に応え、我に育成の力を与えよ」と詠唱をしている。


「ミカエル様は……もっと、自分を大切にしなければ、駄目です。もちろん、ミカエル様は第一領子であるということもありますけれど――」


(やっぱり、恩を着せるためじゃないか。私を心から心配してくれる人なんていないんだよ)


分かっていても淡い期待を抱いてしまう自分にそう言い聞かせた。


「わたくしは、貴方が心配なのですよ。……ルネーメヌ様から託されたお方ですもの。……――様の分も……。本物の母にはなれませんけれど……わたくしは貴方の代わりでも、母になれたらと思っております。それが――レトルート様の妻となった者の責務だと感じておりますから」


アイリス様は母上が亡くなったときと同じ――覚悟を決めたような顔をしている。


「わ、私が、心配なのですか……?」

「えぇ」

「本当に?心の底から?」

「えぇ。わたくしは、貴方を愛していますもの。心配くらいしますよ」


アイリス様は優しく微笑んだ。


(信じられない。母上が亡くなってしまった今、私を愛してくれる人なんていないと思っていたのに)


「……ぁっ」


優しくて、暖かい手が背中に回り、そっと抱きしめられた。じんわりと暖かくて気持ちのいい感情が体の中に広がる。


「……」


私は知っている。

――アイリス様はすでにご懐妊なさっているということを。


「……お腹の子が生まれては、私のことなどどうでもよくなってしまうでしょう。……いるのでしょう?父上とのお子が」

「……。知っていらしたのですね」


アイリス様は眉を下げて微笑む。


(やっぱり――)


「……ミカエル様、ご存じですか?レトルート様は現領主夫人のわたくしや新しい子が生まれ、お立場が不安定になるミカエル様のお立場を強くするために頑張ってくださっているのですよ。貴方はこの貴族学院の子らが戻る夏季休み最終日に次期領主となることが決まったのです」


アイリス様は「先にお話ししてしまうけれど、いいわよね」と悪戯っ子のように笑う。


「……私が、ですか?」

「はい、もしわたくしの子が男の子であれば、貴方の立場は不安定になります。母のいる子と母を亡くした子。領子としての順位を抜きにしても、どちらが優遇されるかは一目瞭然でしょう。わたくしの子が男の子である可能性は低いのですけれどね」

「……」


(父上が、そんなことをしていてくださったなんて)


別に、領主の立場がほしいわけじゃない。だが、私の立場が安定すれば、穏やかな生活が遅れるだろう。父上はそこを考慮してくださったのか。


「……ミカエル様、先程のお話ですけれど……ミカエル様のことを、どうでもよくなるはずないではありませんか。わたくしはミカエル様のことも、この子のことも、心の底から愛しています。この子が産まれたら、可愛がってあげてくださいませ。良いお兄様になってほしいです」


(前世でもいなかった、妹……)


答えを出せずにいると、アイリス様は「難しいですかね……?」と眉を下げて微笑む。


(もう、いいのかな。絆されてしまっても)


どこかで、母上が笑顔で「いいよ」と言ったような気がした。多分、私の自己満足なんだろうけれど。


「アイリス様のお子ですか。……考えておきましょう」


アイリス様は驚いたような表情を見せたけれど、美しい笑顔を見せた。


「はいっ!ありがとう存じますっ」


(子供みたいだ)


「それと、治癒ありがとう存じます」

「いいえ。こんなの、気休め程度ですもの。戻ったら、ちゃんと医官に見てもらいましょうね」


私は素直に頷く。


(あぁ、もう。本当に優しい人だ)


それから一週間に一回、一週間に二回、三日に一回、とアイリス様の自室に伺うようになった。


◇◆◇


「ミカエル、アイリス」

「はい、父上」

「はい、レトルート様」


アイリス様の出産予定日まで残り二ヶ月。

私はもう、自分を卑下することはしなくなっていた。それなりに自分を大切にするようにはなったし、周りにも気を使えるようになったと思う。


(何もかも、アイリス様のお陰だ)


初めての妹はどんな子か、私はずっと心が弾んでいた。


そんなある日のことだ。今日のアイリス様は体調が良く、久しぶりに夕食を共にした。そして、父上の執務が終わった日。つまり、私と父上、アイリス様での珍しい夕食だったのだ。


いつも真っ直ぐ、堂々とした父上が今日はなんだか自信がなさげに見える。


「何でしょうか、父上?」


私は首を傾げた。


「すまなかった」


(え!?)


父上が頭を下げた。


「ち、父上?どういうことですかっ?私は父上から謝られるようなことはされていません」

「ミカエル様の言う通りですわ。レトルート様は何もしておりません」

「そうだ。ルネーメヌを--いや、母を失ったミカエルを放って、私は何もしなかった。アイリスに全てを任せきりにして……。本当にすまない。私自身、謝罪が遅すぎたとも思う。許されることではないだろう」


(ずっとそのことを気にされていたのだろうか?)


「大丈夫です、父上。父上は私の平穏のために、次期領主の立場を用意してくださったのでしょう?」

「……そう、だが。其方は地位を望まぬ人間だ……」

「なら大丈夫です。母上が亡くなって、悲しいです。でも、アイリス様もいらっしゃってくれて。私はちゃんと、前を向いて歩いて行きたい。ここにいる、この子のことを、アイリス様のことも、もちろん父上のことも。私は皆を守りたいんです」


(だから、大丈夫ですよ。父上、母上)

アイリスが詠唱していた詠唱は成長をほんの少しだけ早めるもので、怪我の完治によく使われます。ですが、血が出ている状態でやってもほぼ気休め同然でした。

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