LI.ミカエルの自己犠牲
キードゥル93年9月
「大丈夫かい、クリスティーネっ!」
慌ててこちらまでやって来たミカエルに「はい、お兄様」と返す。
「イディエッテ、彼は誰ですか?」
「……武官です」
イディエッテの、簡潔だが全く分からない答えに、シリウスが代わりに答える。
「……ハァ。クリスティーネ様、彼はフィリップ・セグラ様です。中級武官だったと記憶しております」
「は、ははっ?あれだけの仕打ちをしておいて、私を忘れただと!!?」
フィリップは顔を隠していた黒髪をかき上げ、狂的に大声で叫ぶ。
セグラ家はあまり裕福ではない中級貴族の家だ。後継者もおらず、しばらくすれば下級貴族に落とされるだろう、というところだった。
(あれだけの仕打ち……?記憶がない六歳以前のこと……?)
「フィリップ……」
ミカエルは悲しそうにフィリップを睨みつつ、クリスティーネの前に出る。
「……は、ハァ?貴方はその娘が嫌いだったのではないですか!何故、その娘を庇うのですか、ミカエル様ッ!!」
「……ごめんね、フィリップ。君がいた頃とは事情が違うんだ」
申し訳なさそうにミカエルはフィリップを見つめる。
「ハァ?何の、何の事情が変わったというのですか!?その娘が私を……私を……!!」
フィリップはボリボリと顔の皮膚を掻きむしる。
警戒しつつも、ミカエルは杖を出した。
「イディエッテ、シリウスはクリスティーネの護衛を。リタは皆に、防御結界展開。他の者はリタの防御結界の後ろに下がっておいておくれ」
「でも、お兄様っ……」
「ごめんね、クリスティーネ。何も知らない今の君に、フィリップの相手をさせる気はないんだ」
申し訳なさそうに眉を下げ、ミカエルは笑うと、フィリップに向き直る。
それから、杖を取り出し、剣へと変形させる。リタは防御魔法を展開した。
「ヴィローウィン。テペラドゥーラ。マジェディ」
「え……?」
クリスティーネたちはざわつく。
人間が同時維持できる魔法は人によって、異なる。平民の魔力持ちや下級貴族、中級貴族などは一つまで。上級貴族、領主一族は二つまで。そして、一部の領主一族、皇族などは三つが限界だ。それも、目安であって、魔力の扱いなども求められる。
クリスティーネは三つの同時維持はできるが、属性を変えての同時維持はまだ成功していない。
それだけ、難しい技術なのだ。
そうして、凍えるような寒々しい風が吹いてきた。季節外れの雪もちらつく。恐らく、術者であるミカエルはもっと寒いだろう。
ヴィローウィンによって風を吹かせ、テペラドゥーラによってその風の温度を下げ、マジェディで己の体を保護しているのだろう。
(なんてすごい技術なの)
「行くよ」
そこから、まだミカエルは剣を振るというのだ。
(頭の中どうなってるのよ……)
一瞬でも、この計算を止めればこの風も、気温も、防御も全て終わってしまうのだ。
「っ、うおぁああああッ!!」
フィリップは怖気づきながらも、恐怖と戦いミカエルに剣を振りかぶった。
「ごめんね、フィリップ」
静かに再度、ミカエルは言葉を紡いだ。フィリップの剣をミカエルは軽やかに避ける。
ミカエルの剣の先はフィリップの首元に届いている。剣先をフィリップの体に触れさせると、フィリップは静かに気絶した。
(……え?)
確かに、ミカエルの剣先はフィリップの首に当たっていた。だが、血が一滴たりとも見当たらない。
(違う。この人は――お兄様は……)
ミカエルが防御魔法を展開したのは自分にではない。フィリップに対してだったのだ。恐らく、殺さずに、気絶させるためであったのだろう。だが、ミカエルはかなり寒かったはずだ。手もかじかんでいるし、鼻や耳、指先が真っ赤になっている。
クリスティーネはもう、いろんな感情がぐちゃぐちゃだった。
リタが防御魔法を解き、クリスティーネはミカエルの元に駆け寄る。
「お兄様……大丈夫、ですかっ?」
「うん、何とかなってよかったよ」
ミカエルは眉を下げて微笑んだ。それから、アダルベルトとスウェートに頭を下げる。
「アダルベルト様、スウェート様。自国の者が大変申し訳ありませんでした。この件に関してはこちらで処理いたします。つきましては、本日は中止とさせていただく形にはなりますが、よろしいでしょうか?」
「こちらも、それが分からないほど、馬鹿ではないよ」
「えぇ。兄上、戻りましょうか」
スウェートの言葉に「あぁ」とアダルベルトは頷き、去って行った。
「ごめんね、クリスティーネ。こんな目に合わせて……。どこから漏れたのやら――っ!?」
「お兄様は……もっと、自分を大切にしなきゃ、駄目です」
そう言って、クリスティーネはミカエルに抱き着いた。
「クリスティーネ……?」
ミカエルは素っ頓狂な顔をして、クリスティーネを見た。
「わたくしたちを守ってくださったことには本当に感謝しております。けれど、お兄様が自己犠牲のようなものをするのは……嫌なのです」
「自己犠牲……?していないよ。怪我だってしてない」
(なんで、分かってくれないの。……うまく言語化できない自分が憎い)
「……それでも、一歩間違えれば怪我をしていたかもしれません。それなのに、危ない目に合うかもしれなかったのに……お兄様はわたくしたちの心配やアダルベルト様やスウェート様への配慮ばかり――。そういうところも含めて、お兄様のことは好きですよ?でも、とにかく、そういうのはやめてください」
「……」
「わたくしだって、心配なのですよ」
ミカエルは無言のまま、クリスティーネを見つめた。
「君は――アイリス様のようなことをいうんだね」
ミカエルは猫の置き物を買ってくれたときとは、また打って変わった顔で柔らかく微笑んだ。
52pt突破しました!ありがとう存じますっ!




