XLVII.スピカ・バーリの愛する人 後編
キードゥル85年4月
「え……?」
わたくしは驚きの声を隠せなかった。
目の前にいるのは主であるリュネールナ・ショミトール様。そして、同僚だったアイリス・ショミトール――否、アイリス・リエ・ヒサミトラール様の妹である。
「貴女はポリマのことが大好きだものね。驚くのも、無理はないわ。……でも、確かにあの子は罪を犯してしまった」
信じられない。あの人は不誠実を嫌う。
そんな人が、魔術具を手に入れ、リュネールナ様の娘――イディエッテ・ショミトール様を洗脳したのだ。
……なんで、そんなことをしたのですか、お姉様……。
「……咎めは、どうなるのですか」
キュッと唇を引き結ぶ。
一度、愛してしまったのだ。今更、諦められるわけがない。
それに、これはバーリ家当主であるわたくしの責任も問われること。
リュネールナ様は「ふふ」と乾いた笑みを浮かべる。
「わたくしとしてもね、ポリマのことも貴女のことも、とても気に入っているのよ。だから、大事にする気はない。けれど、母として、イディエッテのことを守る義務があるわ」
リュネールナ様は真っ直ぐこちらを見つめ、そう言った。
当たり前の措置だ。むしろ、寛大だと言っていい。
「知り合いの文官に調べてもらったところ、あの洗脳は解けるそうよ」
……良かった。まだ、少しは取り返しがつく。
「ただ」
そんな安堵をした直後、リュネールナ様の言葉で背筋が凍り付く。
「イディエッテの行動理念が変わることはない。具体的には、ポリマへの信仰ね。あの宗教的思考はなくなるでしょう。けれど、イディエッテの行動に関しての洗脳は解けても、元の状態に戻ることはない」
お姉様がイディエッテ様にかけた洗脳は常に静かであること。無表情を貫くこと。先生は悪くないということ。先生は自分のために躾をしているだけということ。
全ての洗脳を解くことは可能だ。だが、前者二つをやろう、というイディエッテ様の行動への考え方は変わらないのだという。
つまり、リュネールナ様の笑ってほしい、という気持ちはイディエッテ様自身が変わらない限り、変わることはない。それは、とても難しい話だ。
「大事にしたくないとは言っても、あの子が自白剤を使っても正直に白状しないのならば、わたくしは記憶干渉の魔術具を使うことも視野に入れているの」
「……!!」
当然だ。罪人には相応の報いを受けさせるべきなのだ。
「ねぇ、貴女はどうするべきだと思うかしら?ポリマのことを愛す貴女ならば、ポリマを猛省させる方法――わかるのではなくて?」
そんな方法なんてあるのだろうか。お姉様の高いプライドをへし折って、お姉様に自ら謝らせる方法……。
……あ。
思いついた。だが、あまりに利己的だ。わたくしが美味しいところだけ持っていくような結果になってしまうだろう。
……でも、少しだけわたくしが利己的になることを許してほしい。
「あら、思いついたって顔ね。言ってごらんなさい」
「……はい。勝算はあります。お姉様を、玩具に堕として差し上げましょう。記憶干渉の魔術具を使われることなんかより、ずっっとお姉様は屈辱に貶められるでしょうね」
リュネールナ様は少し驚いた様子だったが、すぐに「ふふっ」と嬉しそうに笑った。
「いいわ。それに乗ってあげましょう。何か要求は?」
「自白剤ですね。わたくしが全て聞き出しましょう。後は、数日間の休暇をいただきたく思います」
「……自白剤ね。分かったわ。それと、休暇はあげない。それは貴女の仕事なのよ。貴女だけのことではなく、わたくしからの依頼。それだけは理解しておいてちょうだい」
わたくしは少し面食らった。
そんなに寛大なことまでしていただけるだなんて、思いもしなかったのだ。
……わたくしはこの人に……何が返せるでしょうか。
わたくしはリュネールナ様に跪く。
「……リュネールナ・ショミトール様。バーリ家の非礼をお許しください。そして、わたくしに貴女に生涯尽くすことをお許し願いたく存じます」
「……急にどうしたの。貴女はわたくしではなく、他に尽くしたい相手がいるでしょうに」
「それでも、です。このスピカ・バーリの命は貴女にお預けしたい」
リュネールナ様は困ったように眉を下げた。
このリュネールナ様への気持ちは、お姉様への気持ちとは違う。
敬愛であり、忠誠。これほどまでに、素晴らしい人間は他にいないだろう。
「わたくしに、貴女へ主の盟約を結ぶことをお許し願えますか?」
「……それは、ポリマへの裏切りにならなくて?」
からかうようにそう言ったリュネールナ様に、わたくしはムッとする。
「それとこれとは別です。わたくしの忠誠を貴女に。わたくしの愛しき人はかの方なので」
「そう。貴女がいいならいいわ。貴女の決断を否定するつもりはない……。まぁ、好きになさい」
「はい、我が主」
わたくしは優しすぎる主に頭を下げた。
◇◆◇
「ハァ、いろいろなことがありすぎて疲れたわね……」
わたくしはため息をつき、持っていた紙を机の上に放り投げるようにして置いた。
お姉様には既に全て聞き出した。ついでに、聞きやすくするために媚薬を幼馴染からもらって、使用した。あくまでも、玩具になってもらうためだ。
……楽しかった、というのは否めないけれど。
いつも高貴な雰囲気を漂わせるお姉様を汚してしまった。可愛らしかった、というのは言うまでもない。
「後は……最後、ね」
わたくしは、義父だと思っていた人と、母のことを思い出す。
「……お姉様を、あんな風にしてしまった人たち……」
お姉様の背中は古傷がかなり残っていた。痛々しいことこの上ない。
わたくしは机の上に置いている一枚の紙を再度手に取った。
「さぁ、お姉様の復讐を」
……乙女座のスピカとポリマ……。自分の星の責任は、二番星の自分がとるべきなのよ。
わたくしは、小さな魔法石のついたペンダントを握り、屋敷の離れにある宮に向かった。
離れはかなり大きい。お姉様たちがこちらに移り住んだとき、お金も同じ財布に入れていた。
伯母様が残したお金だ。
義父だと思っていた人は日移りの仕事をしていた。そのため、家へのお金はほとんど入れていなかったのだという。
……亡き伯母様のお金を使って、自分たちの快楽のために動く人たち……。本当に吐き気がするわね。
「ごきげんよう、お母様。お義父様」
部屋には甘ったるい匂いが充満していた。媚薬に似た香でも焚いているのだろう。本当に吐き気がしそうだ。しかも、そのあたりには衣装が脱ぎ捨てられていた。下着がないだけマシ、とでも言えるだろうか。
わたくしはすぐさま窓を開けて換気をした。ほんの少しだけ香の匂いが薄まる。
「な、何をしているの、スピカ」
母の見苦しい格好が目に入った。義父もその隣にいる。布団で見えないが、上半身は裸だ。
「……いたのですね。こんなに臭いところに。いないのかと思っていましたわ」
わたくしは持参した紙を母に渡した。ついでに、「ヴィローウィン」と唱え、室内の風の動きを外に向ける。
集中して魔法を行使していると、ベッドの方から義父だと思っていた人の声がした。
「は、ハァ!?」
「どういうことよ、スピカ!?」
「どういうこと、と言われましても、その紙に書いてある通りですわ。貴方たちは、リュネールナ様とオズワルト様の逆鱗に触れてしまったのでしょう」
わたくしは淡々とそう答えた。
その紙に書いてあったのは、暗殺の手配書。六十年後の第三回世界会議に向け、少々人権の見直しも始まっているが、まだまだ平民や下級貴族の首は高位貴族によって、簡単に刎ねられる。
「そ、それじゃあ、スピカはあたくしを助けに来てくれたのよね……?ねぇ、そうでしょう?リュネールナ様とオズワルト様に、あたくしは悪くないって!」
……どうやったら、そんなに呑気な考え方ができるんでしょうね。
「いいえ、違います。わたくしは、施行人ですわ。何か、言い残すことはございまして?」
「ね、ねぇ、スピカ!あたくしを守りなさいっ……!お前から口添えがあれば、あたくしは……!!」
……好き好き言っておきながら、義父のことは何も言わないのね。本当に、自分の保身しか考えていない。
「それだけならば、結構ですわ」
わたくしは、首から下げていたペンダントを握りしめた。
……本当は、お姉様への謝罪がほしかったのだけど。
自分の保身しか考えていないこの人に、それを言っても聞かないだろう。
ならば、痛めつける方向で、この人たちにはお亡くなりになっていただくまでだ。
「……〈風の女神〉に感謝を」
魔力を大量にペンダントにつぎ込んだ。
多くの風の刃が、二人に向かって飛んでいく。
……お姉様、これでわたくしを「すごい」と褒めていただけますか。
わたくしは、自室にいる愛しき人に想いを馳せた。
なんでショミトール家の話がバーリ家の話になったんだろう……。




