XLVI.スピカ・バーリの愛する人 前編
キードゥル67年9月
幼い頃、初めて会ったとき、少し驚いた。八つか九つになった頃の話だ。
「わたくしの娘、ポリマよ。スピカ、同い年だし、どうぞ仲良くしてあげてね」
そう言って、母の姉――伯母様は笑う。
「……ポリマ。八歳」
ポリマ――従姉様はぶっきらぼうにそう言った。わたくしだなんて興味ないって顔をしている。同い年とは言っても、誕生日が早いのは従姉様だ。それなら、自分は敬わなければならない。
「スピカ・バーリですわ。どうぞよろしくお願いいたします、従姉様」
そう笑って礼をすると、従姉様は少しわたくしを睨んだ後、そっぽ向いた。
「あら、ごめんなさいね。この子、初対面の子には人見知りが激しくって……。ポリマ!」
「いいえ、伯母様。大丈夫です。……従姉様、わたくしとお話してくださいませんか?」
「……」
従姉様はキッと睨んでからスタスタと歩いて、自室に戻ってしまった。
……嫌われている。
生まれて、自我が芽生えてからはずっとこうして生きてきた。
バーリ家は先代から中級貴族となった家。魔力量の多い子供が三人連続生まれること、それが身分昇格の条件だった。それを満たしたのだ。
――だが、それはいいことばかりではない。
上級貴族からは成り上がりと蔑まれ、同じ中級貴族からは新参者と侮られ、下級貴族からは嫉妬の視線を向けられる。
……そして、お母様はそれを理解しておられない。お父様も病弱。
わたくしがしっかりするしかないのだ。そのせいで、他人とかかわる機会が増え、他人の感情を読み取ることが得意になった。
従姉様のあれは、嫉妬だ。羨望だ。羨ましい、とそう思われている。
……なぜ?
従姉様の家は元から中級貴族だ。他の貴族からのそんな視線を受けることもないし、あんなに優しそうな母君までいる。
……なのに、なぜ貴女はそんな風にわたくしを見るのですか?わたくしなんかより、ずっと恵まれているのに。
このときは、まだわたくし自身、自分の気持ちに気付いていなかった。
◇◆◇
数年が過ぎた。十二になったときだ。
従姉様の家とわたくしの家が統合することが決まった。
この時はまだ、従姉様への気持ちを親愛だと思っていた。
「ようこそ、ポリマ従姉様、伯父様。お会いできるのを楽しみにしていましたの」
またこちらを見る羨望の碧の瞳。どこまでも、自分が恵まれているということを知らない人なのだ。
「……君のお母様は?」
「お母様はお屋敷で待たれていますわ。ご案内いたしますね」
義父となる人には適当な笑顔で返す。身内となってしまえば、もうどうでもいい人間。元々、ここに入り浸っていた人なのだ。統合したところで、従姉様がいることくらいしか変わりはない。
お姉様がこの屋敷に住み始めて、数週間が経った頃。
お姉様に与えられた小さな部屋から音が聞こえたのだ。パァン、パァン、とそんな音だった。
「……申し訳っありません、申し訳ありません……」
お姉様の声だ。
だが、それと同時に母の声も聞こえだす。
「泣くなっ!常に静かであれ。無表情を貫け!それでも、貴族の娘か!!」
パァン、パァンとまたその音が廊下にまで響く。
「ごめんなさい、ごめんなさい。……義母様は悪くないです。義母様は自分のために躾をしているだけです。わたくしが悪いんです。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」
母が廊下に出る直前で、わたくしは花瓶を置いた棚に隠れ、なんとかやり過ごす。
母は扉を開けたまま、出て行ってしまったので、部屋の中が丸見えだった。だが、扉に背を向けるお姉様は気付かない。
部屋の中は散乱していた。きっと、母が汚したのだろう。
「……っ、……っく」
……泣いている?
高慢で、プライドが高いあのお姉様が?
服のはだけた背中には細く赤い跡がいくつも残っていた。
それに、何とも筆舌にしがたい感情を覚えた。なんといえばいいのか。
わたくしはまだその感情を表現する言葉を知らなかった。
◇◆◇
そんなある日。卒業式の前日のこと。
「ねぇ、スピカ。ちょっと相談に乗ってくれない?」
「えぇ、いいわよ」
幼馴染の言葉にわたくしは頷いた。彼女は幼い頃からの親友。お母様同士の仲が良かったため、社交デビュー後のお茶でお会いをしたのだ。
夜中に寝間着を着て、わたくしは彼女のお部屋へ向かった。
「……あのね、スピカ」
「うん、どうしたの?」
幼馴染はしどろもどろになっている。それに、顔が真っ赤になりながらも、言葉を紡いだ。
「わたくしね、アイリスが好きなの」
「えっと……それはアイリスのお花の話?それとも、アイリス・ショミトールの話?」
「アイリス・ショミトールで間違いないわ。……わたくしね、アイリスを一人の女性として、彼女を好いているの。それは、親愛でも、友愛でもないわ。わたくしはアイリスを愛しているのよ」
「え……?」
驚いた。ただ、それしか思わなかった。いえ、驚くというより驚愕と言った方が正しいかもしれない。ただ、何とも言えない強い衝撃を受けたのは確かだった。
「ごめんね、こんなこと話して。変よね、女の子が女の子を愛す……だなんて」
黙ったわたくしに幼馴染はへらりと笑ってそう言った。
確かにそうだ。わたくしも初めて知った。
この貴族社会。多少恋愛結婚が増えたとはいえ、まだまだ皇族や領主一族など、高位の貴族は政略結婚が基本。子を生み、家を繁栄させていくのが、妻となった者の役目。それに、恋愛結婚とは言っても、お互いの利益を第一に考え、それでもたまたま利益が合致した一握りの恋人たちだけが夫婦となれるのだ。
そんな社会で、同性愛が認められるのか?
――答えは、否である。
「……いいえ。いいえ、大丈夫よ」
「え……?」
わたくしはそう言って、幼馴染に向かって微笑んだ。
合致したのだ。お姉様に対する気持ちが。やっと、やっと分かった。
「わたくしも、そうなのです。……わたくしも、女の人が好き……愛しているのです」
「……へ?ほ、本当に……?優しい、嘘とかじゃないわよね?」
「うん、大丈夫よ。わたくしも、同じだから」
わたくしはそう言って笑うと、幼馴染は涙を溢れさせた。
「……っ、っう、ひぐっ……。ありが、とうっ。ばなじをぎいてぐれで……っ!」
「ううん。こちらこそ、ありがとう」
……この気持ちに、気づかせてくれて。
不器用で、でも時には優しくて、努力しているのに報われていなくて、試験でわたくしに負けたときの表情が愛らしい。本当に可愛いお人。
――ポリマお姉様、わたくし――スピカ・バーリは貴女を愛しています。
次の日。春季休みが始まり、わたくしは主であるマイナ・ヒサミトラール様と共に、ヒサミトラールに帰還した。
その日の夜のことだ。
わたくしは湯浴み後、母の部屋の前を通りかかった。扉が少しだけ開いている。
「はぁ、ホントに何なのかしら。ねぇ、見た?ポリマの成績表」
「あぁ。どれだけ中途半端なのか……」
「そうそう。あんな小娘にバーリ家の名を与えるんじゃなかったわ。折角、あたくしの慈悲でここに泊めさせてやってるのにさぁ。貴方にも似ていないし、それにお姉様にばっかり似てるしね」
母は顔を歪める。義父も、実の娘を貶める発言をしているのだ。なんて、糞野郎な連中だろうか。
「それに比べてスピカは……イイ感じに育ってるわよねぇ。それに、領主一族の側近だもの!あたくしたちもいつかはなれるかもしれないわねぇ」
「……そうだな。流石、私と君の子だ」
……え?
母と義父は声をそろえて笑った。
でも、わたくしの頭では何も理解できない。
わたくしは気付かれないように早歩きで、そして音を出さないように部屋に戻った。
わたくしは部屋に入り、そのままベッドに沈み込む。
「どういうこと?どういう……」
義父だと思っていた人は、実は父だった、というのだろうか?
あの人は確かに、この屋敷にやって来るまでここに入り浸っていた。だが、父が亡くなる前からではない。
……おぞましい。気持ちが悪い。
人間として、あの二人はおかしくなってしまっているのではないだろうか。
あの二人は、自分の快楽のためだけに行動するような猛獣だ。人間じゃない。
「獣は、躾をするべきよね……?」
わたくしはここで決意した。
あの二人には、躾をするべきなのだ、と。




