XLII.イディエッテ・ショミトールは馬鹿だから
キードゥル85年4月
「まぁ!こんなこともできないの!?」
「……」
「先日社交デビューを終えたばかりでしょうに。本当に、リーゼロッテ様とは似ても似つかないわ」
わたくしの名前はイディエッテ・ショミトール。現在、六歳。
そして、リーゼロッテとはわたくしの妹。わたくしとは違って、丁寧で、優しくて、賢くて、可愛くて、いい子だ。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「ほぅら、またではないの!?目上の者には申し訳ありません、と言いなさいといつも言っているでしょう!」
そう言って、わたくしを叱るのは先生。
わたくしが馬鹿だから、いつも怒らせてしまう。
……わたくしも、リーゼロッテみたいにいいところが一つでもあればなぁ。
わたくしは、ぼんやりそう考える。
「さぁ、仕置きの時間ね?あぁ、わたくしはおまえを痛めつけたいわけではないのよ?でも……これは躾。おまえがちゃんとしないから。わたくしはおまえに罰を与えるのです。分かっていますね、イディエッテ?」
「……はい、先生」
いつものことだ。わたくしが、先生を怒らせたから。仕方がない。だって、わたくしが悪いのだから。
「さぁ、アレを」
先生はそう言って、屋敷に仕える介添えから鞭を手に取る。
部屋の端で、介添えたちがクスクスと笑っているのが見えた。仕方がない。だって、わたくしが悪いのだから。
上げられた先生の手が振り下ろされ、鞭はヒュンと素早くわたくしの背中に落ちる。
パァン!パァン!という音が部屋に響いた。
……痛いなぁ。痛いなぁ。早く、終わらないかなぁ。
声を出したら駄目。だって、うるさいから。
泣いたら駄目。だって、床が汚れちゃうから。
動いたら駄目。だって、ちゃんと鞭が当たらないから。
声を出さず、泣かず、動かず、ただただじっと耐える。わたくしが許してもらえるのは、それだけだから。
「さぁ、次はお茶の時間でしてよ?早く動きなさい」
その声で、やっとお仕置きは終わり。でも、わたくしがちゃんとしないと、またお仕置きされちゃう。
……だから、ちゃんと、ちゃんとしないと、駄目なの。
お部屋を出て、お茶室に向かう。いつも、そこで練習をする。
「お姉様っ」
後ろからやってきて声をかけてくれたのはリーゼロッテ。
こんなに馬鹿な姉なのに、声をかけて一緒におしゃべりしてくれる。リーゼロッテは優しい。
「お姉様、お姉様。今日の髪型、可愛いですね。編み込みがとても綺麗です。ご自分でなさったのですか?」
今日はいつもハーフアップにしている髪の部分を編み込んだ。難しかったから、あんまり上手にできたとは言えないと思う。
「えっと、うん。そうなの。ありがと、リーゼロッテ」
リーゼロッテが笑うと、わたくしも一緒になって笑う。リーゼロッテはわたくしと違って可愛いから、笑うと皆も一緒に笑ってる。すごい子なんだ。わたくしの自慢の、誰よりもすごい妹だから。
お茶室が見えてくると、リーゼロッテはタタッと走った。ゆったりとして、それでいて綺麗な動きで、扉を開ける。
それから、少しだけ悪戯っ子のように笑った。
「どうぞ、お姉様」
「うん、ありがとう。リーゼロッテ」
どうやら、やってみたかったらしい。そんな少しだけ幼子みたいなところも可愛い。誰もが微笑ましく見てる。
「ごきげんよう、イディエッテ、リーゼロッテ。それから、スピカ、ポリマも」
『ごきげんよう、お母様!』
『リュネールナ様、ごきげんよう』
お母様だ。ちなみに、ポリマというのは先生。それで、スピカというのはリーゼロッテの先生で、先生の従妹なんだって。
わたくしたちはお母様に席を勧められ、席に座る。
「朝の勉強はどうだったのかしら?」
「はい、順調です」
「ちょっと詰まるところもあるけど、頑張ってます」
お母様は首を傾げ、リーゼロッテが即答する。わたくしはちょっとしどろもどろになりながら、そう言った。
「それじゃあ、本日はお茶を淹れるわよ」
スピカがティーセットを二つ持ってきた。
「どうぞ」
ふんわり笑って、スピカはティーセットを置く。カチャリとした音は全くせず、綺麗。
……すごい。
先生は、いつもスピカのことを悪く言ってるけど、違うような気がする。
……えっと、お茶を淹れるときは、音を立てない。ゆっくりずっと同じくらいの速さで淹れる。他には……他には……。
「じゃあ、イディエッテからね」
「はっ、はい」
わたくしは立ち上がって、ティーポットに手を添える。
持ち上げようとしたティーポットは意外と重くて。
……あっ。
ガシャンッと音がした。ティーポットが割れたからだ。
衣装には少しだけ赤いシミがジワリと染みる。
「……ご、ごめんなさい。ごめん、なっさい。ご、めんな、さい。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」
ただただ謝罪を繰り返した。部屋に帰ったら、またお仕置きされちゃう。
……やだ。お仕置き、やだよぅ。
誰かに迷惑がかかっちゃう。お母様にも、リーゼロッテにも、お父様にも、先生にも、スピカにも。
ボロボロと涙があふれた。
……あぁ、駄目。床が汚れちゃう。
「大丈夫ですかっ、お姉様っ!?」
「怪我は?ない?」
リーゼロッテは心配そうな顔でわたくしを見る。お母様も、わたくしの手を握る。
「な、い……でひゅ」
そうやって、わたくしがボロボロと泣いている間にスピカは割れたティーポットを片付けている。
……ごめんなさい。ごめんなさい。迷惑かけてごめんなさい。全部、全部、わたくしが馬鹿だから。
「そう、良かったわ。……でも、足のところは少し切っているわね。医務室に行きましょう」
「リュネールナ様、それなら、わたくしが」
先生はそう言った。
「いいえ。大丈夫よ。今日はこれでおしまい。今日はどこで遊ぶの?」
「天気がいいので、お外がいいと思うのですけれど……」
リーゼロッテは心配そうにわたくしを見てそう言った。
心配してくれるなんてリーゼロッテは優しい。
「そう。じゃあ、ポリマは準備だけしておいてちょうだい。リーゼロッテは先に行っていなさいな」
リーゼロッテは少し寂しそうに「……はい」と頷く。
「大丈夫。これくらいの怪我なら、手当てをすれば大丈夫だから。安心なさい」
「……はいっ」
リーゼロッテが今度はふわりと笑う。スピカを伴って、お茶室を出ていった。
「では、わたくしも失礼いたします」
先生も出て行った。
先生が出て行ってからずっと、お母様は扉を見つめている。
「お母様、どうかなさったんですか?医務室に行くんじゃ……」
「えぇ、そうなんだけどね。……イディエッテには、一つ聞きたいことがあるの」
わたくしは首を傾げた。
……わたくしが何かしちゃって、それの、お仕置き?
「……イディエッテ、貴女は……武官になる気はない?」
……え?
考えたことがなかった。
この家――ショミトール家に生まれたからには、介添えになると。わたくしは信じて疑わなかった。
だって、ショミトール家は介添えの一族。当主も、当主伴侶も、介添えばかり。
だから、武官や文官になろうと思ったことは一度もなかった。
「なっても、いいんですか?」
わたくしの好きなことは、外で体を動かすこと。
その方がお部屋でお茶を淹れたりするより楽しい。
「えぇ。イディエッテのやりたいことをなさい。……ただ、どうしたいかだけ教えてくれる?」
「……武官、なりたい、です」
「よく言ったわ。じゃあ、これからはもうお茶も、やらなくていいからね」
お母様は「でも、お勉強はちゃんとやるのよ」と付け加える。
でも、楽しいことができる。前から、魔法にも興味があったのだ。やってみたい。
……馬鹿だけど、やりたいことはやっていいんだ。
わたくしは足の怪我を手当し、外に向かった。




