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第1話 ひよの道

「いてっ…」

寒空の下での洗濯にひよの両手は限界を訴えていた。

手はあかぎれ、滲んだ血が固まっていかにも下賎な身分である下女らしい手だと思った。


きっとこの家のお嬢さまの手はしっとりときれいで爪紅のよく似合う御手なのだろう。



物心ついた頃からこの屋敷の下女として働いていた。きっと親に売り飛ばされたのだろうと思うが不思議と親を憎む気持ちにはなれなかった。赤子だった頃の自分が愛されていた記憶が刻まれているのか、理由はよく分からなかった。



「ひよ!ひよはどこなの!まったく本当に気に障る子だわ。」


「…は、はい。どうされましたか、奥様。」


「いるならさっさと返事をしなさい。」


「す、すみませ…

ゴンッとげんこつを落とされる。


「来なさい。」

手首を捕まれ引きずられた先は彼女の部屋だった。


「奥様?あの、」


「黙ってなさい!あなたはただこれからいらっしゃるお客様に愛想を振りまくだけ。なにか話すことは許さないわ!」

苛立ったように箪笥を開けながらまくし立てられる。


「これを着て客間に来なさい。」

派手すぎないがわたしが触れようものなら般若のようにして怒るだろうかなり立派な着物を押し付けて彼女は出ていってしまった。


(一体誰が来るんだろう。なんで私なんかも一緒に…)



「失礼いたします。ひよです。」

客間には奥様の向かいに40代半ばくらいの大柄な男性と20代くらいの年若い青年が座っていた。


大柄な男性はわたしと目が合うと驚いたような喜んでいるような顔をして、そして


わたしに真綿で包み込むようなやさしい笑顔でほほえんだ。


なぜわたしにこんなやさしさを向けてくれたのか、ちっとも分からなかったけどお天道様とはこの御人のことなのではないかと思った。



「先生、彼女があの?」


「ああ、そうだよ…大きくなったね。」


(私のことを知ってる…?)


「ええ。うちで大切に育ててますからねぇ。」


奥様が一瞬キッっと私を睨んで、またお客さんをもてなす顔に戻った。きっとなにも言うなということなのだろう。




男性は茂野さんと言うらしい。歳若い男性が先生と呼んでいたのでお医者さんか作家さんか。はたまた画家さんだろうか。

時折私にひどくやさしい視線を投げかけてくれる彼にどのように対応すればよいのか分からなかった。今までわたしをこんな風に扱う人には出会ったことがない。




「お母様!お母さまー!!」


甲高い悲鳴なような声が屋敷に響いた。お嬢さまが帰ってこられたのだ。

慌てたように奥様がすみません、と一言断って玄関に向かった。




「……」


「…ここでの生活は楽しいか?」

なんてやさしい声色なんだろう


「…は、はい。」

「そうか…」

「…」

「あ、あのお茶お入れします。」

「ああ、かまわん。かまわ…」


「?」


お茶を入れようと伸ばした手をぱっと掴まれた。


「どうかいたしましたか?」

「…この手はどうしたんだ?」

先程より少し低い尖った声だった。


「皿洗いや洗濯で切れてしまって…ご、ごめんなさい。お見苦しいものを」


茂野さんはゆっくり顔をあげて私をみた。


「きみが家事を?」

やはりやさしい問いかけだったがなんとか怒りを我慢しているような表情だった。


「は、はい。身を置かせてもらっているので…」

わたしの手を握る力がぎゅっと強くなった。




「すみません。お待たせいたしました。娘が帰ってきまして。ぜひ見てやって……


「彼女に下女のような真似をさせているのか?」

低い低い怒りの声だった。


「は…え、いえ、あの」

奥様はひどく戸惑ってわたしと茂野さんを交互にみていた。


「彼女に、そんなことをさせるためにここに置いたのではない。自分で働く必要のないくらいの養育費は出しているはずだ。」


「い、いえ、ただ言いつけを守らないために折檻していただけなのです。普段は遊び呆けています。」


状況を理解したらしい奥様はわたしを思い切り睨んで言った。


「この子の手を見れば日頃の生活が簡単に伺える。」


「こんな家に預けていいような子ではない。私が引き取らせてもらう。」






わたしはしばらく放心していた。気づいたら多くない荷物を持って外に出ていた。


「強引に連れ出してきてすまない。大丈夫だろうか?」

心配そうにわたしをうかがうその目に疑問があふれるばかりだった。



どうしてこんなわたしのために怒ってくれたのか。どうしてこんなわたしに優しく接してくれるのか。どうしてここから出たいというわたしの気持ちを理解してくれたのか。



気づくと涙がひと粒またひと粒溢れて視界がぼやけていく。

「…!!すまない!突然連れ出しては混乱させてしまったな。怪しい所へ連れていくわけじゃないんだ。」


「ちがっ、ちがい、ます。あ、ありがと、う、ありがとう、ございます。」

嗚咽とともにボロボロと溢れる涙を袖で乱雑に拭う。


年若い男性が私の手を優しく取って手ぬぐいを目元に当ててくれた。

「擦ってはだめですよ」


茂野さんは大きい手でわたしの頭に2、3度ぽんぽんと手をおいた。





わたしの晴れへの道はここからはじまった。





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