第五話
とりあえず仲良くなろうと言って、リアムは休憩中喋り倒した。ど、どうなってるの、チャラ男のコミュ力……。
笑うまいと心に決めていて塩対応になりがちなわたしに構わず、好きな食べ物だの、実家で飼っている猫の話だの何でもありだ。いや、猫の話は興味あるけど……。
「それで、君はどの授業を取るんだ?」
「ま、まだ決めてないわ。さっき資料を貰ったところだし」
決まってても言わないけど! ただでさえ入学式の一件で浮いているのに、これ以上悪目立ちすることは避けたい。こんな派手なチャラ男が近くにいたら目立ってしまうし、笑わせようとしてくるならなおさら厄介だ。
それもそうか、とリアムが答えたところで鐘が鳴り、再び事務員さんが入ってきた。説明が再開されるとさすがにリアムも黙ったけれど、時折こちらを見てにこっと笑ってくるので、いろんな意味で心臓に悪い。咄嗟に笑い返してしまいそうになることもそうだし……あとは単純にイケメンなのでどきっとしてしまう。
この調子で絡まれると本当にまずい。できるだけ授業が被らないことを祈るしかない。
でも、不幸中の幸いというか……彼が喋り倒してくれたおかげで、アイリーンたちに絡まれることはなかった。鬱陶しそうな視線はちょこちょこ感じたけれど。とりあえず、どう付き合っていくべきかお父様たちに相談する猶予はできそうだ。
二時限目の終業の鐘が鳴るより早く、一通りの説明が済んだらしい。「本日は以上です」と事務員さんが出ていくのを見送ってから、急いで机の上を片付け始めた。
──……さて、絡まれないうちに帰ろう。アイリーンたちにもリアムにも絡まれたくない。とはいえリアムは隣の席なので、わたしが資料やペンケースを鞄に入れる間にも構わず話しかけてくる。
「君、昼食は?」
「帰って食べるわ」
「ええー。せっかく食堂があるんだから行ってみよう」
「悪いけど」
荷物をまとめて立ち上がると、意外にも彼はすぐ諦めたようだった。
「じゃあ、また明日な」
「……また明日」
笑って手を振ってくれるのを見ると、ほんの少し罪悪感が湧いてくる。あんな馬鹿みたいなマナーさえなければ笑って手を振り返したであろう、人好きのする笑顔だ。
その笑顔に背を向けて、急ぎ足で教室を出た。
◇
「別に仲良くする必要はないんじゃない?」
「え、ですが、その……大丈夫ですか?」
夕食の席でアイリーンについて尋ねると、お兄様はあっけらかんと言った。
「大丈夫でしょ。少なくともお前が嫌な思いをしてまで関わるような相手じゃない。ね、父さん」
「ああ」
お父様まで……。平然としているけれどどうにも心配で食い下がってしまう。
「でも、あの……お父様たちの立場は」
「お前が無理にあの娘と仲良くしたところで、魔法省と科学省の軋轢は消えたりしない。それに……すでに馬鹿にしたような態度だったのだろう? 向こうも仲良くする気などないだろう」
「それはそう、ですけど……」
たしかに、わたしが下手に出て近付いたところで無下にされるとは思うし、万が一仲良くなれたって、魔法が軽んじられている今の政情や家同士の力関係がどうにかなることはないだろう。だけど、わたしが心配なのは……。
「お兄様が働きづらくはなりませんか?」
「僕? 僕は大丈夫だよ。ほとんど研究室から出ないし、研究室にいるような連中は、そういうの興味ないからねえ」
お前は優しいね、と笑ったお兄様は、実は科学省勤めなのだ。
代々魔法で功績を上げてきた我が公爵家の嫡男としては、もちろん異例のこと。お父様の立場が弱くなっているのは、これが理由のひとつでもある。
お兄様はお母様の病気を治したい一心で、幼いころから薬の研究をしたかったそうだ。残念ながらお母様は、お兄様が本格的に薬の研究ができるような歳になる前に亡くなってしまったけれど。同じ病気の人を救いたいと、結局お兄様はその道に進み……そして、誰もが平等に回復できるように、安定的に治療に使えるようにと、貴族学園の在学中に魔法ではなく科学の力で薬を完成させた。
そう、どんなにシスコンでもこの兄は天才だった。どんなにシスコンでも。
お兄様の作った薬は随分画期的なものだったらしく、すばらしい評価を受けた。ただ、その薬が科学の力で生まれたことと、さらなる改良を目指し研究を続けるためお兄様が科学省に入ったことで、相対的にお父様の立場が弱くなってしまった。あまり詳しい話は聞かされていないけれど……息子にまで見限られたとか、魔法に頼る時代は終わったとか言われているみたい。
親子仲が悪い、なんてことは全くない。お父様には魔法省大臣としての立場があるのであまり公には言えないのだろうけど、愛するお母様と同じ病気で苦しむ人々を救う薬を開発したお兄様のことは自慢に思っているようだし。……シスコンってところは、うん、あんまりよく思ってないかもしれないけど。
ともかく、直接的な関わりがなくても、お兄様が科学省大臣の下で働いていることには変わりがない。だからわたしがアイリーンと揉めることで、万が一圧力なんかが掛かってお兄様の研究に支障が出てしまったら……と思ったのだけれど、結局お兄様は最後まで「大丈夫」としか言わなかった。
◇
夕食のあと、就寝の準備を済ませ、取りたい授業を決め終わっても、なんだかそわそわして眠れなかった。
少し外の空気でも吸おう。寝間着の上にカーディガンを羽織って庭に出る。
我が家の庭には、お母様が好きだった花がたくさん植わっている。それは長い間過ごした領地の屋敷でも同じことだったので、見ているとなんとなく落ち着く。
「こんな時間に一人で外に出るのは感心しないな」
「お父様」
ベンチに腰掛けぼうっと庭を眺めていると、後ろから声がかかった。お父様が近付いてきて、わたしの隣に座る。……まだ着替えていないから、こんな時間まで仕事をしていたのかな。
「でもこのお屋敷は、庭も含めてお父様の魔法で守られているのでしょう?」
「はは。そうだよ」
お父様は婿養子だけれど、魔術師としてもとても優秀だ。本人曰く、お母様と結婚するためにがんばったんだとか。この屋敷にも、お父様が何重にも保護の魔法をかけている。
「お前がいつも私の保護下にいてくれればいいんだが、そうもいかない。他では気を付けなさい」
「はい」
いいこだ、と言って、お父様の大きな手が肩を抱く。それだけですごく安心して、甘えるように体を寄せた。
「お前が健やかに、幸せに生きてくれることが一番の望みだよ。学園でも、私やレイモンドのことまで気にしなくて構わないから、好きに過ごしなさい。いい相手を見つけて嫁いでくれるのが一番だと思っていたが……そればかりが幸せとは限らないと、レイモンドにも言われてしまった」
苦笑いするお父様は、昨日は随分怒っていた。あの後、狂気のシスコンぶりを見せたお兄様に諭されたのかと思うとなんだか複雑な気持ち……。
「お兄様は本当に大丈夫でしょうか?」
「あれはああ見えて頭がいいし、お前が思うより強かだ。上手く立ち回るさ」
お父様がそう言うなら大丈夫なのかな。お父様に寄り掛かったまま、ぼんやり夜空を眺める。……そうだ。
「お父様、星を取ってください」
「うん? 久しぶりだな、いいよ」
お父様が右手を夜空にかざす。ぱっと空を掴む仕草をして、握った手をわたしの目の前で開いた。
手のひらの真ん中で、光がきらきら弾けている。本当に夜空から星を取ってきたみたいだけど、これはお父様の光魔法だ。
幼いころのわたしはこれが大好きだった。不思議で、綺麗で、お父様が領地に顔を出してくれるたびに何度もねだったのを覚えている。
「これ、難しいんですよね。小さいころはお兄様もできなくて、すごく悔しがってらっしゃいました」
まあ、お兄様は猛特訓の末できるようになっていたけど。わたしが喜ぶことができないなんて、お兄様は許せなかったんだろう。
「難易度に差はあれど、魔法というものは総じて訓練なしでは使いこなせない。それが廃れていく原因なのだろうが……」
お父様は少し寂しそうに呟いた。たしかに、例えば同じ「お湯を沸かす」という行為でも、ボタンひとつでそれが出来るならそっちの方が楽に決まっている。誰でも簡単に使いこなせる発明が生まれたら、人々がそちらに飛びついてしまうのは仕方がない。
「……でも、わたし、いつか魔法を使わずに星を掴める日が来ても……お父様が取ってくれた光が一番好きだと思います」
「セラフィーナ……」
優しく瞬く光を見ていると、心が温かくなる。それは、わたしが飽きるまで何度もやってみせてくれたお父様や、わたしを喜ばせるために必死で練習してくれたお兄様の愛情を感じるからだ。
「わたしもできるようになりたかった」
「今のお前ならできるかもしれないぞ」
「え? でも、魔力が……」
幼いころに、自分でもやりたくて練習したことがある。でもわたしは魔力が少ないから練習しても魔法は使えないだろうと家庭教師に言われてやめてしまったのだ。
「お前は決して魔力が少ないわけではない。生まれつき体が弱かったせいで、魔力が生命維持に回っていただけだ。成長し体が丈夫になってきた今なら、練習すれば使えるようになるだろう」
そうだったんだ。それならやってみたいかもしれない。魔法が使えるようになるなんて、前世では考えられなかったし。
「興味があるなら学園でも学べるさ。まあ、この先のことを考えるなら、もっと別のことを勉強した方がためになるだろうが」
お父様はまた苦笑いをした。それも一理ある。あとでもう一度授業を組み直そうと思いながら、しばらくはお父様に寄り掛かって、まばゆく温かい光を見ていた。