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第三話


 さんざん泣いた後、わたしはお兄様に手を引かれて部屋に戻った。ベッドに腰かけたわたしの前に屈んだお兄様は「腫れてしまうかもしれないね」と指先で優しく目元を撫でる。


「あとで氷を持ってこさせるから、ちゃんと冷やすんだよ」

「はい……」

「いいこだね」


 こうしていると、いたって普通の優しいお兄さんだ。さっきのぶっ飛んだ様子が夢のようにすら思える。


「ごめんね」

「……? なにがですか?」

「昨日止めなかったこと」


 悪いとは思っているのか。思わず返事に詰まると、お兄様は困った顔で笑った。


「父さんには言わなかったけど……母さんの遺言なんだよ」

「お母様の……?」


 お母様は『最後の魔術師』と謳われた力の強い魔術師だった。もともとこの公爵家は、女系一族なのだ。お父様も婿養子。強い魔力を持った女性がたくさん生まれてきた我が家において、お母様も例に漏れず素晴らしい才能を持って生まれた。わたしには遺伝しなかったけれど。


 お母様はわたしを産んですぐに病気で亡くなっている。だからわたしはお母様のことをほとんど覚えていないけれど、お兄様はわたしと六つ離れているので、お母様と過ごした日々の記憶も残っているのだろう。


「お前が笑ったときは、止めてはならないって。セラフィーナの笑顔は、より良い未来を引き寄せるからと」

「より良い未来……」

「うん。だから明日からの学園のこともね、あまり心配しなくていい。きっと大丈夫だよ」


 お兄様は、さっき目元に触れた手でわたしの頭を撫でる。その手つきはやっぱり優しい。


「だったら、お父様にもそう伝えればよかったのに」

「ええ? やだよ、だって父さん、母さんの話をするとあとから一人で泣いちゃうし」


 メロメロだったからねえ、とお兄様は言う。お父様がお母様に惚れ込んでいたというのは、わたしも領地で耳がタコになるくらい聞いた。


「あと、お前の笑顔を自慢して回りたかったっていうのも嘘じゃないし」

「自慢どころか、お兄様の評判まで下がってしまったんじゃないですか?」

「そんなことない。みーんなお前の可愛い笑顔に夢中だった。ああでも、最終的に男ばっかり近付いてきたことには腹が立ったなあ」


 わざとらしく大げさに話す様子に、思わず噴き出してしまう。するとお兄様は、満足気ににこっと笑った。


「うん、可愛いね。やっぱりお前が世界で一番可愛いよ」

「もう……」


 王子様に戻っても、お兄様は結局シスコンだ。


「きっと大丈夫。だけど……本当につらいときは言うんだよ。できる限りのことはするからね」

「ありがとうございます、お兄様」


 また少し涙腺が緩んでしまう。今朝は後悔のしすぎで涙も出ないほどだったのに。


 ──……誰かが愛してくれているって、こんなに安心するものなんだ。


 前世ではいつもどこか不安で、心許なかった。眠るのが怖いのに朝が来るのも怖くて、いつだって冷たい布団の中、丸まっていたけれど。今は不思議と、なんとかなる気がしている。明日からのことを考えると不安がないとは言えないけど、たとえ学園でどんなにつらいことがあっても、家に帰れば家族がいるから。お兄様が言うように、きっと大丈夫だ。


「がんばります」

「うん。あ、でも『特別』は本当に作らなくて構わないからね」


 ほっこりした雰囲気だったのに、お兄様がマジトーンでそう言ったのでちょっと引いた。目、笑ってないな……。





 あっという間に、翌朝。まだ固い制服に袖を通し、さすがに緊張しながら登校した。


 学園に関して、昨日改めてお兄様に聞いたところ、前世でいう中学や高校というよりは大学に近い感じのようだ。貴族の子供ともなれば、必要な学問は幼いころから家庭教師に習っている。


 わたしは大学に行っていないので正確にはわからないけれど、いわゆる単位制で、基本的には自分の好きな分野を学ぶことができるらしい。それはちょっと楽しみだな……。


 とはいえ最初は、講義の取り方や学園内での過ごし方についてのオリエンテーションがあるらしい。案内に従って教室にたどり着くと、入り口に座席表が貼ってあった。


 自分の名前を探すついでに、他にどんな人がいるかも確認する。昨日挨拶をした人もそこそこいたけれど……このクラス、階級が高い家の子が多い。さっき前を通った隣の教室の座席表には子爵家や男爵家の子が多かったことを考えると、身分で振り分けているのは一目瞭然だった。


 なにが平等だ……。改めて昨日の偉い人に文句が出そうになったけど、こうしておかないとそれはそれで揉め事が起きたりもするのだろう。階級制度があるって大変だな。


 そう思いながら、教室に一歩足を踏み入れる。すると──……ある意味予想通り、教室内のざわめきが一瞬静かになって、視線がわたしに集まった。


 気にしていませんよ、という顔を作って自分の席まで移動する。やがてひそひそ声が聞こえ始めて、内心少し動揺したけど……背筋をぴんと伸ばしたまま耐えた。


 昨日、お父様とお兄様の言葉を聞いて、わたしは決めたのだ。もう醜態は晒さないぞ、と。

あんなに優しい二人が、これ以上わたしのせいで評判を落とすなんてこと、あってはならない。笑うのがマナー違反だっていうなら、絶対に笑わないで過ごしてみせる。唯一の処世術を封印することになり、一人も友達ができない可能性もあるけど……そもそも学校は勉強をするところだし! 割り切っていこう。


 それにしても、誰も話しかけてこない。昨日は面白がってエミリアのあとに続いたのだろうけど、今日は様子見って感じかしら。まあ、一度くらいならともかく、常識外れなご令嬢としてすっかり話題になっているらしいわたしと付き合うメリットなんてないから、賢明な判断だと思う。


「今日は下品に媚びてないのね」


 不意に馬鹿にしたような声が聞こえた。わざと聞こえるように言ったことが明らかな声量だ。


 ちらりと視線を向けると、金色の髪を緩く巻いたご令嬢が、取り巻きっぽいご令嬢数人に囲まれてこちらを見ていた。


「やだぁ、アイリーン様。聞こえちゃいますよぉ」

「構わないわよ。そもそもあの方、教室を間違っているんじゃない? 誰にでもへらへら笑って媚びる女性はお隣の教室よ」


 金髪のご令嬢は口元を扇で隠しているけれど、目つきだけでわたしを軽蔑しているのがわかる。取り巻きたちもお上品に指先で口を覆いながら、その下ではニヤニヤしているに違いない。


 ──……無視しよう、無視。そう思って視線を机に向けると、何枚か資料が置いてあった。一番上には入り口に貼られていた座席表と同じものがある。


 嫌味金髪ご令嬢、たしかアイリーンって呼ばれてたな。座席表で名前を探すとすぐに見つかった。


 アイリーン・レディントン……侯爵令嬢か。ええと、爵位でいうと、わたしよりは下だけど全体で見ればかなり上、のはず。前世で読んでいたネット小説の知識を絞り出す。


 そしてレディントン侯爵家当主……アイリーンの父にあたる人といえば、たしか近年力をつけている科学省の大臣だ。これは今世の知識。


 二つの知識で、なんとなくわたしへのあたりが強い理由を察する。普通なら爵位が上のわたしに対してこんな露骨に嫌味を言ったりはしないだろうけど、逆転しつつある実家の力関係に加えて、先日のわたしの失態……馬鹿にした態度を取っても許されると判断したのだろう。うーん、面倒だなあ。


 こういう場合って、どうするのが正解なんだろう。このまま毅然とした態度で無視を決め込んでいていいものなのか、それとも、多少の嫌な態度には目を瞑って仲良くするよう努めるべきなのか……。


 学校は勉強をするところだ、と割り切るつもりだったけど、貴族学園なんていうのはどちらかというと将来へ向けての関係作りの場なのだろうと思う。わたし個人のためになるような人間関係はもう絶望的だろうけど、もしアイリーンと仲良くすることが家のためになるのなら、馬鹿にされようが嫌味を言われようがそうするべきだと思う。でも。


「ふん。いまさら取り繕って馬鹿みたい」


 い、嫌だなぁ……できれば仲良くしたくないな。聞こえてきた声に内心ため息を吐く。


 とりあえず今日は無難に乗り切って、帰ってからお父様たちに相談しよう……とはいっても、この場合の無難ってどういう態度なんだろう。愛想笑いは駄目だし、困ったな……。


 悩んでいるだけだけれど、結果的に無視する感じになっている。長引くと向こうはさらに機嫌を悪くするだろうから、どうしたものか。


 真顔のまま考え込んでいると、そのタイミングで奇跡的に先生らしき人が入ってきた。


「えー……、みなさんお揃いですかね。そろそろ時間ですので、ご説明を始めようかと思います」


 少し猫背の中年男性は、教室に一歩踏み入ると几帳面に振り返ってドアを閉めた。彼が教壇に向かう間に、思い思い固まっていた生徒たちも自分の席に着く。もちろんアイリーンの取り巻きも、だ。


 助かった。思わず小さく息を吐く。とりあえずこれで乗り切れそう。


 先生ではなく事務員だと名乗った男性の話をしっかり聞くべく、ペンを取り出したそのとき。


「セーフッ!!」

「……え?」


 大きな音を立て勢いよく開いたドアから、一人の青年が飛び込んできた。


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