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第二話


 入学式の翌日。わたしはベッドの上で頭を抱えていた。


 昨日は突然のことで混乱する中、なんとか愛想笑いを振りまいて無事に入学式を乗り切った……と、思っていた。


 エミリアに挨拶をしたあと、他の人にもたくさん声をかけられて、そのたび前世の社会人経験で積み重ねた愛想笑いと当たり障りのない会話でやり過ごしていたのだけれど、帰宅するころにはもうへとへとだった。お風呂に入ってベッドに沈み、朝までぐっすり眠って目が覚めると、頭の中はかなりすっきりしていて……前世と今世、どちらの記憶も整理できた。そして、自分がやらかした大きな間違いに気が付いたのだ。


 ──……まずい、非常にまずい。どれくらいまずいかというと、朝から仮病を使って昼過ぎの現在まで部屋に引きこもっているくらいまずい。学園への登校は明日からなので、それは問題ないけれど。


 でも、学園にだってもうどんな顔をしていけばいいのかわからない。だって、この世界は……。


 またしても後悔の海に沈みかけたところで、ノックの音が響いた。


「セラフィーナ、気分はどう?」

「お兄様……」


 お兄様の声がして、ベッドを下りる。ドアを開けると、心配そうな顔で微笑んだお兄様がいる。


「大丈夫?」

「はい」

「ならよかった。それで……今、父さんが帰ってきてね。話があるらしいんだけど、少し出てこられるかな?」


 ──……来た。随分早い帰宅だなと思ったけど、きっとわたしのやらかしを聞いて仕事を切り上げてきたのだろう。百パーセント怒られるとわかりきっているので、「はい」と答える声が随分小さくなってしまった。


「僕も行くよ」


 大丈夫だよと肩を叩いてもらい、わたしはどうにか部屋の外へ出た。





 一晩経って、思い出したこと。それはこの世界がいわゆるファンタジーっぽい、前世のわたしから見ると「異世界」であるということ。魔法だって存在するけれど、この国では今、科学の進歩が著しく魔法は廃れてしまいつつある。魔法と科学が入り混じった近世ヨーロッパ、みたいな……まあ、わたしは前世でヨーロッパに行ったことがないから、表現が正しいかはわからない。


 そして今のわたし、セラフィーナ・ベネットは、由緒ある公爵家のお嬢様。我が家は代々魔法で功績を上げてきた名家で、お父様は魔法省の大臣だ。ただ……科学の台頭によって、その立場は弱くなっている。


 対する前世のわたしは、幼いころに両親を事故で亡くした。引き取ってくれた親戚は最初こそ「本当の親だと思ってちょうだい」なんて言って優しくしてくれたけれど、すぐ後に自分たちの子供が生まれて手のひらを返した。暴力なんかはなかったけど、あまり良い存在だとは思われていなくて、わたしは高校卒業と同時にその家を出た。


 うちが小遣いをやっていないと思われたら困る、なんて理由でアルバイトを許されなかったわたしは、高校卒業まで全く社会経験がなく、役立つ資格もなかったために就職先では苦労した。声が小さいと怒鳴られまくった最初の職場は結局辞めてしまって、そのあと派遣で別のところに勤めては派遣切りに遭い……いくらか職場を転々として、身に着けたのは愛想笑い。仕事が人並みにしかできなくても、周りに合わせることさえできれば、人を不快にしなければ、少なくとも嫌われたりはしない。それは、頼れる大人がいない中でわたしが身に着けた唯一の処世術だった。


 だから昨日だって、それで乗り切れると思ったのに……そういかなかったのは、この国の貴族間の、あるマナーのせいだった。


「どうしてあんなことをしたんだ!!」

「……すみません、お父様」


 案の定、お父様はご立腹だ。それもそのはず、なぜならこの国では。


「公爵令嬢ともあろうお前が、人前でへらへらと笑うなんて……!」


 ──……高貴な身分にある女性が、公の場で笑顔を見せるのはマナー違反なのだ。


 信じられない。つらい。普通につらい。そんなことある? 笑顔なんて万国共通で円滑なコミュニケーションの第一歩じゃないの?


 そんな特殊設定がある世界なら、記憶が戻った瞬間に天の声とかで教えてほしかったよ、神様。いるのかは知らないけど。


 せめて自力でこの妙ちくりんなマナーを思い出せていたら……昨日あんなにへらへら笑ったりはしなかったのに。時すでに遅し、というやつだ。


 この国では、貴族令嬢は人前で笑わない。正確に言うと、自分より身分が低い者に笑顔を向けない。男の人たちは身分がどうあれ笑って話すし、同じくらいの身分の者同士が集まるような場では女性も普通に歓談するけれど、高貴な女性であればあるほど、その笑顔は限られた人間だけが見るものだ、という考えがあるらしい。だから公爵令嬢クラスになると、笑顔を見られるのは家族やいずれ家族になる相手……婚約者くらいのものだ。


 なのに……昨日のわたしときたら! 身分関係なしに、誰彼構わず笑ってみせた。身分が低い女性でさえ、ああいう大勢が集まる場ではむやみに笑うことはないというのに。そもそも新入生の中ではわたしが一番高い身分にあったみたいなので、本来は一切笑わずに帰ってくるべきだった……らしい。


 学園内でも貴族マナーが適用されるなら、平等がどうとか自由がどうとか言わないでほしかった。偉い人、聞こえてますか。


「お前の醜聞はすっかり話題になっている! 公爵令嬢でありながら、誰にでも笑って見せる下品な女だと!」


 下品は言い過ぎでしょうが、下品は。昨日お風呂場でしっかり顔を確認したけれど、どこからどう見ても今のわたしは美少女だった。艶のある黒髪、お兄様とおそろいの灰色がかった青い瞳。お人形さんみたいにぱっちりおめめの美少女の笑顔を見て、下品って……。でも、それがこの国の常識なんだから仕方がない。


 わたしが笑ったからエミリアは驚き固まったんだな、と今ならわかる。あの瞬間に周りがざわついたことも、そのあと声をかけてくるのが、やたらとニヤニヤ笑う男の人ばっかりだったことも……みんな、「なんだこの常識外れな女」と思っていたというわけだ。


 もう一度すみませんと頭を下げたけれど、お父様の怒りは収まらない。隣のお兄様が「まあまあ、父さん。あんまり怒ると体に悪いですよ」なんて宥めている。隣のお兄様が……、ん……? そういえばお兄様は、どうして……。


「怒らずにいられるか! そもそもお前が付き添っていながらどうしてこんなことになったんだ!!」


 お父様が声を上げる。た、たしかに……どうしてお兄様は、わたしを止めてくれなかったんだろう。わたしが一人で好き勝手やっていたならともかく、お兄様はずっと隣にいた。最初こそ驚いた顔をしていたけれど、そのあとは普通ににこにこしていたし。まさか笑顔の下で、なにか腹黒いことを考えていたり……?


 恐る恐るお兄様を見ると、怒鳴られているというのに平然としていた。涼しい顔で「僕は常々思っていたんですけど」と話し始める。


「なんだ!」

「この先セラフィーナの笑顔を許される唯一の男が、心の底から憎い……と」

「「…………は?」」


 突拍子もない発言に、わたしとお父様の戸惑った声が重なった。お兄様は知らん顔で続けるけれど、その声にはやたらと力が入っている。


「こんなに! 可愛いんですよ!? 国中で一番……いや、世界で一番可愛いセラフィーナに、この先特別な男が現れることが……そいつだけに笑顔を向けることが、僕は許せない……っ!」


 くっ、と悔しそうに唇を噛んで、お兄様は拳を握った。う、うん……?


「僕だって、この先もセラフィーナの笑顔を見られます。でもそれは『家族』だからであり『特別』だからではない。『特別』が憎い。この子の特別になりうる存在について考えるともう……幼いころからずっと、はらわたが煮えくり返りそうでした」

「お、お兄様……?」

「そして昨日彼女が初めて笑ったとき、閃いたんです。『だったらもう特別なんて作らなければいい』と」

「「…………」」


 お父様はもはや、言葉も出ない。わたしも同じく。


「むしろ、皆に笑顔を向けることでセラフィーナの可愛らしさを世間に知らしめることができる! 僕は! 彼女が特別な誰かを見つけるくらいなら、いっそのこと平等に笑顔を振りまいてもらい、この可憐さを全世界に自慢したいんです!! なぜなら! そう! 可愛いから!!」


 選挙演説もびっくりの勢いでお兄様は言い切った。そう、だった……。この兄は、優しい顔の裏で実は腹黒……なんてことは一切なく、ただただ普通に、ただただ……重度のシスコンだった。


「昨日はおめかししていたし、特別可愛かったね? もちろん領地の自然の中で笑い転げる幼いお前も可愛かったけれど、すっかりレディになって兄は誇らしかったよ。ああでも、少し緊張していたよね。時々硬い表情をして……ふふ、無理に笑おうとしているのも可愛かったなあ」


 こちらを見たお兄様は本来柔和な表情をもっととろとろにして、両手でわたしの頬を撫でながらうっとり呟いた。我が兄ながら……ぶっ飛んでるな……。昨日はまるで王子様みたいに思えたのに、今や見る影もない。


 記憶が整理された今なら、思い出せる。たしかにこの兄は昔からわたしに甘かった。六つも歳が離れているとこんなものなんだろうか。前世のわたしには兄弟はいなかったからわからないけど……いやでも、たぶん普通じゃないと思う。


 そんな考えを確信に変えるように、お父様が大きなため息を吐いた。


「もういい……レイモンド。そうだ、お前はそういう奴だった……私が馬鹿だった」


 呆れたというよりはもはや諦めたという様子で、お父様は片手で顔を覆ってしまった。なんか……可哀想だな……。いや、もとはと言えば入学式で軽率に笑ったわたしが悪いんだけど。


 お兄様の勢いに毒気を抜かれたのか、怒る気力も失ってしまったのか、お父様はもう一度深くため息を吐いて、ゆっくり顔を上げた。


「セラフィーナ。いいかい、私はなにも外聞を気にして怒ったわけじゃない。いまさら我が家の権威が落ちようが、そんなことはいいんだ。ただお前に……お前には、幸せになってもらいたかった。できることなら学園で良い相手を見つけて、幸せになってほしかったんだよ」

「はい、お父様……わかっています」


 これも思い出せる。お兄様だけじゃなく、お父様もわたしをとても大事にしてくれているのだ。


 この国では科学の発展に伴い魔法が軽んじられるようになった。魔法省の大臣として、また歴代強い魔術師を輩出してきた公爵家の当主として立場が弱くなる中で、娘のわたしには平穏な人生を歩んでほしかっただけなのだろう。


 前世では家族に恵まれなかったこともあり、お父様の家族愛を感じて涙腺が緩んでしまう。お兄様も……うん、まあ、かなり突飛だけど、愛してはくれているし。


 その愛情を無下にしてしまったことが申し訳なくて、視界はどんどん滲んでいった。


「ごめんなさい、お父様……き、昨日は、わたし、本当にどうかしていて……」


 涙声に気が付いたのか、お兄様が背中を擦ってくれる。お父様は、しばらくしてから「おいで」と両腕を広げてくれた。


 お父様の胸に飛び込むと、ぎゅっと抱き締めてくれる。……あたたかい。


「今の私の力では、お前を十分に守ってやれないかもしれない。これからつらい思いもするだろう」

「わたしが悪い、ので……っ」

「そういうことを言っているんじゃないよ」


 大きな手のひらが、わたしの頭を優しく撫でる。


「どんな状況でも、お前を愛していると言っているんだよ。この先何があっても、それを忘れずに生きてほしい」

「っ、はい……! お父様、本当に、本当にごめんなさい……!」


 わたしはその後、わあわあ泣いてしまった。記憶の整理はついたつもりだったけど、セラフィーナとしてのわたしが泣きたかったのか、前世のわたしが泣きたかったのかは、よくわからなかった。


シスコンキャラを出さないと気が済まない病気なのかもしれません。できるだけさくさく更新目指していきますので、よろしくお願いします。

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