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シリーズ 【パラレル・フラクタル・オムニバス】

読み切り短編集 『星屑に坐す(1)』~ 平和な村の終わり ~

作者: nanasino

挿絵(By みてみん)




「ここはモロッポの町さ!」




 果てしない野の道に細々と伸びている街道から外れて目立たない草道を少し行くと、緩やかな丘を登って降りた先に見えてくるひなびた農村、その境界となっている粗末な門の前に立つ男は歓迎の声をあげた。村へ来訪する旅の男の姿を見つけて飛び出してきたのだ。




「…ぁ、…どうも。この先がモロッポですね」



「ここはモロッポの町さ!」



「…?……」




 門の影から突然現れた小作人風の男に旅人のグロワは軽く驚き、同じセリフを2回言われたことにさらに驚いたが、そのまま軽く会釈をすると、構わずに村への村道に入った。失礼かも知れなかったが、門番らしい青年の様子はなんとなく変な感じがして会話を避けたのだ。



挿絵(By みてみん)



 モロッポの町というのは無名であり、地図に無いごく小さな村だと他の旅人からグロワは聞いている。たしかに、村道を少し行って見えてくる感じでは、モロッポの町は町というよりあまりにも小さい農村である。ぜんぜん町ではない。山林を背景にして10数軒ほどの小屋が視界に入る以外は耕作地か家畜の放牧地になっており、野山の起伏と森や川が見える田舎でしかなかった。


 このような草深い田舎では家と家の距離がかなり遠く離れていることも多いが、この集落は割と近くに集まっている。こういった村構えはモンスターの襲来に備えてのものだろうかと思われたが、村の周囲に外堀や平垣などの囲いが無いところをみると考えすぎかもしれないとも思った。


 ともかくグロワはこの村で数日逗留して旅の計画をまとめたい。

 どこかの家に厄介になりたいが、村長や駐在官がいないか先に探さなければならなかった。




「攻めてきたぞー!魔女ドラドラの軍勢100万が攻めてきたー!!」



「ッッ!!!???」




 さっき通った門の方角から鳴り響く早鐘の音、それにとんでもなく必死の大声で凶報が聞こえてグロワは心臓が急激に脈打ち全身が強張ったが、声の聞こえた方を振り向いては周囲の様子を見回して伺い、すぐさま戦闘体勢へと己の心を切り替えた。魔法の愛杖”ミリオン”を両手に構えて━━━が、ふと思った。100万の軍勢?




「…どういうこと…?」



「━━━あぁ、旅のお方、気にしないでください。今のは…あいつはちょっと…訳ありで」



「?」




 グロワの独り言を聞きつけてか、近くの畑に蹲み込んでいた老爺ろうやが声をかけてくれた。

 それから少し話を聞くと、今の警報は誤報━━━もとい、虚報であるという。その声を発したのは村の境界に立つ若い男で、一日中その門前に立って来訪者を待っているのだと。そして来訪者が村に入るや、今の虚報を発して度肝を抜くのだとか。実際、グロワは一瞬だが死を覚悟してしまった。


 老人が続けて言うには、門番の青年はなぜか「ここはモロッポの町さ!」「攻めてきたぞー!魔女ドラドラの軍勢100万が攻めてきたー!!」の2つのセリフしか言えないらしい。あの青年はちょっと気が変なのだと、ちょっと言いにくそうに言う老人だが、おそらく来訪者が来るたびに必ず毎回説明するだろうから辟易しているのだろう。


 ちなみに魔女ドラドラといえばこのパングラストラスへリア大陸ではちょっと有名な魔女である。

 神出鬼没に空から現れては寒村を襲い、魔法で人々を獣や魔物に変えてしまい、幼子や食糧や燃料や金品などあらゆる資源を奪って去って行くやたら迷惑な魔女の1人だとされている。

 ただ、ほとんど伝説級の魔女であり、20~30年に一度くらいの頻度で広大な大陸のどこかの名も無き村が襲われたという噂が挙がる程度の存在で、実在はするらしいものの噂ばかりの魔女である。いつ襲来しても可笑しくはないとされているが、人生で出会すことはまずないだろうというのが大陸の人々の一般認識だ。


 ともあれそんな魔女の襲撃を吹聴する青年がいるのは単純に迷惑な感じでしかない。




「━━━そ、そうなんですか………」



「まぁ気にしないでください。さあ旅のお方、私が駐在騎士のギリウスのところへ案内しますよ」




 なぜあの青年を門番から外さないのか疑問に思ったグロワだが、この場では無視することとした。

 それから老人の案内で駐在官兼村騎士のギリウスに紹介され、グロワの逗留を許可したギリウスが村長コルレオーネを呼び出してグロワの世話を言いつけた。


 宿泊には村の外れにある小さな一軒家をあてがわれたので行ってみると、うら若い女がグロワを出迎えた。

 まだ産毛が見える頬をニコニコさせて微笑んでいる彼女はニシカという名で、小屋に1人で住んでいて作物や家畜の世話をしているそうだ。両親や兄弟は皆んな貴族の戦争に駆り出されたり、山や川での仕事中にモンスターに襲われたりして死んだという。よくある話ではあったが、グロワはちょっと悲しい気持ちになった。

 前金の形で結構な額の紙幣と、おまけに上質な結晶の粒を一つを渡すと、ニシカのほんわかした表情がキリッとしたのでおもしろかった。


 その日の晩、寝るにしても小屋には一部屋しかなくてニシカとともに寝ることになった。古いベッドが2つあるが、普段から旅人に宿を貸しているらしく小綺麗にしてある。

 寝る時になって、明かりを消して2人とも横になっていると、ニシカが話しかけてきた。




「グロワ様は、どこからきて、どこへ行かれるのですか?」



「あ…」




 グロワはうかつだった。普段一人旅な上にちょっと無口な性格で自分のことをあれこれ話さないから、昼間に彼女と会ってから食事の時もほとんど口をきいていない。

 普通は自分の素性を少し言っておくものか。グロワの場合、べつに誰に聞かれても困る素性ではなかった。


 ただ、グロワはただの単なる旅人に過ぎないのだが、素性というほどの身分すらない漂泊民である。その血筋も自分自身定かでなく、死んだ父親も同じく漂泊流浪の人であり、その父親からその祖父母もまた流浪の旅人であったとの話を少し聞いたことがある程度だ。グロワの母親はというと、これもまた旅人であり、グロワを産んで乳離がすむとどこかへ去って行ってしまったという。




「僕は、…どこから来たか……う〜〜ん。生まれは一応、大陸の中央山脈にある、オルシェ族の集落なんだ。でもオルシェ族ではなくて、…それに、小さい頃の記憶すぎて村のことはあまり覚えてないよ」



「…遠い…んですよね?」



「遠く、遠く、…延々と山と谷と川と湖と野原を何度も何度も越えたところ。もう戻れないくらい遠い。…らしいよ」



「…」



「物心ついた時から父さんとずっと旅をしてたんだけど、死んでしまって…もう5年くらい1人で旅をしてる」



「旅を…」



「うん。行ったことのない土地ばかり探してブラブラとね…」




 それからニシカがあれこれとものを尋ね、グロワは適当に答えた。生まれ故郷と一族のことは微かな記憶すぎて曖昧だが、話すうちに、いつになく幼時を思い出してつらつらと語ったりした。


 グロワの旅の目的は特になくて、旅をするための旅費を稼ぐことぐらいだ。旅をするために旅をしている。生きていることぐらいしかやる事がない。

 貴族達の戦争や政争、賊徒掃討戦、魔物討伐、魔族征伐や魔王戦、世の中は命を殺し合う戦争で満ちている。

 グロワはそういうのと関わるのは嫌だったからなるべく避けて旅をしているのだ。そしてなるべく行ったことのない土地へ行くことで心を新たにしている。

 旅の道中、時には楽しげな冒険者達に混じって依頼をこなしたり、商いや農耕の手伝いをしたり、報酬を得て食べて健康で生きていればそれでいい。何か使命を感じるような、特別な人生なんてグロワは求めたことがなかった。


 ニシカが聞き上手で、グロワは思いがけずあれこれと自分の身の上や心情を語ってしまった。それで目が冴えてしまって身を起こすと、ニシカも寝台から起きて長い朱髪あかがみを纏めながら身を寄せてきた。

 それからなんとなく、なにも言わずに2人は自然とまぐわい、暗闇の中で汗まみれになって何度も肉と肉をぶつけ合ううちに疲れて眠ってしまった。



 ━━━目が覚めると、小屋の中の暗闇にあるあちこちの木組みの隙間から細い薄明かりがさしている。外は日が登っているらしい。

 ニシカはまだ腕の中にいた。そのしっとりして張りのある肌を抱きつつ、今更ながら盛大にぶちまけてしまったと我にかえるような思いのグロワは、この娘とこれからどうしたものかと思った。


 旅の間にこうした事は時々あるもので、いつもなら気にせず逗留して、なんとなく旅立つ。宿を貸す女の方もそういう後腐れの無い行きずりの楽しみを期待している側面が多分にあり、お互いちょっと楽しんで、それで終わりなのである。

 今回、グロワはこの女を気に入ってしまった。夢中になるぐらい肌が合うというのも大いにあるが、グロワは彼女と話して、久しぶりに故郷を思い出したのだ。幼い頃の記憶だが、オルシェ族の集落の微かな記憶の蓋が開いた気がした。自分のことをあれこれと他人に話したのも初めてのことで、ニシカになぜこれほど自分のことを話したのか不思議に思いつつも嬉しい気持ちになっていた。

 



「━━━?」



「っ!」




 扉をほとほとと叩く音が聞こえたと思うとニシカが飛び起きた。

 暗い小屋の中で素早く服を着たニシカが何やらゴソゴソと支度していると、外からけっこう大きな声が聞こえた。




「ここはモロッポの町さ!」


「兄さんです…ちょっと待ってて」



「え?」




 聞き覚えのあるセリフに困惑するのと同時に違和感のあるセリフが次いで聞こえた。グロワにとって前者はどうでもよかったが、ニシカの兄という事ならそれはおかしかった。彼女は身内は全員死んだと言っていたはずで、それが、声の主が兄とはどういうことだろう。

 ニシカが扉を開けると、暗い部屋の中に外の朝露に煙る景色が鮮やかに浮かび、その中に男が立っていてニシカからパン切れなど受け取っている。すぐに扉が閉まり、男は去っていった。




「今日はだいぶ、あの…寝過ごしました。…いつもは、日が昇る前に食事を持って行ってあげてるんです」



「お兄さん…なの?」



「……そういうことに、なってます」



「……」




 疑問の残るニシカの返事だったが、グロワはそれ以上なにも聞かずにおいた。


 そのままその日は旅の荷物を整理して足りないものを調達に出かけた。荷物といってもグロワにそれほどの荷物はない。グロワは魔法使いなのである。

 火でも水でも生活に必要な細々した魔法を使えるグロワにとって、どうしても調達しなければならない物など実際には少ない。必要なのは魔法契約をしている眷属神達への簡易的な神事で捧げる供物の品々くらいで、それは別に、手に入るものであればなんでも良いのだ。今はただちょっとニシカのそばに居辛かったので出かけたのだった。


 あちこち見て回っていると、やはりモロッポは町というより全くの農村である。村中に鶏や犬猫やヤギに牛に馬にと家畜が気ままな野放しになっており、樹々や岩の無いところはどこでも耕作されて作物が実っているか花畑になっている。


 作物を見ていて、モロッポ村の主な収入源はおそらく魔薬の原料植物の一種であるとグロワは推察した。そういう植物があまりにも普通に畑になっているから。

 魔薬の原料植物は加工すると衣食住の何にでも使える汎用性の高い資源だが、精製すると強い幻覚作用のある魔薬が作れる特殊な植物でもある。これの安定した栽培には肥料が必要で、大量の魔石を砕いたものを土壌に攪拌する。おそらく付近に出る魔物の体内から取れる魔石がその豊富な肥料とされているのだろう。

 魔薬植物は国や地域のよっては禁止されているが、今いるこの国で禁止の作物かどうかまではグロワには知識がなかった。

 ともかくこの寒村は実際にはしこたま儲けているのではないかとグロワは思ったが、見なかったことにしようと思った。

 でも、このような無名の村でこそ、そういう農作をするものなのかも知れないとも思えた。




「さて、と…うーん…」




 旅人が村に立ち寄る時には重要な目的がある。グロワもひとまずそれを果たす必要があるから村内を見回した。

 旅を安全に続けるには情報収集が大事で、どの村でも必ず土地の人たちの話をあれこれと聞いておく。買い物ついでに村人達と適当な話をして、地域の近況や事件や事故の危険など知っておくほうがいい。グロワはこれが自分の一生続く生活だと思っているので面倒という事はない。


 ただ、あちこち見回して困ったことに、この村里は人が非常に少ない。村内で見かけた若者は牛馬を御して農作業する5人程度、猟や薬草採りから帰って来る中年の男女が3人と、畑仕事の老人が2人。水仕事や干物作りをしている女性が4人。子供は10人くらいいて仕事を手伝ったり遊んだりしているが、皆内気な様子で旅人のグロワに近寄ってこない。出会った村人は人種的にはほぼ人族が占めている様子で、亜人は獣人の老人とドワーフの老いた工夫こうふを1人づつ見かけた程度だった。

 他は、旅人が荷駄に使う馬や牛が獣舎に繋いであるので逗留する旅人が何人か居るみたいだったが出会わなかった。ともかく村人は少ないという印象。


 その少ない村人から聞いた話では、このモロッポ村はほぼグロワが見て思った通りの村で、農耕と宿の村でしかないそうだ。

 村人が少ないことについては、昔から村の子供や若者は他の村や町へ移ってしまうことが多くて人が少ないのだという話だった。


 その理由というのは、小さい村なので全員を満足に食わせられないからという事だそうだが、村の掟が人口減少に拍車をかけているという話も聞いた。村の出身者が一度村から出て行ったらもう戻って来ることは許されないという古風な掟で、それが厳格に守られているのだという。

 謎な掟だとグロワは首を傾げたが、辺境の村落には変わった風習や掟があるものだ。関わるとろくなことが無い気がして追求する気は起きなかった。


 村人の人数が少ないとその有する情報量も多くなくて、グロワは他の旅人達と話したくなった。

 しかし店や酒場が無いので皆んな自分の客舎へ帰ってしまっている。今からいちいち話しをしに尋ねて行くのは気が億劫で、まあ明日でいいかと思って今日は辞めた。


 巷の雑多な情報を得てこれからの旅の予定を立てようと思ったが当てが外れてしまった。そんなこんなでグロワはモロッポ村の散策をすぐに終えてしまったのだ。神事に使う品も手に入り、ニシカの待つ小屋へ戻るほかない。




「━━━?」




 古屋へ戻ろうとして、遠くの小川の橋の上に駐在騎士のギリウスが立っていることに気づいた。

 見ていると、様子が変である。グロワが駆け寄ってみるとギリウスは立ったままで巨大な大蛇に全身を巻かれており、飲み込まれまいと両腕で大蛇の顎門あぎとを掴んでギリギリの勝負をしている。その周りにはゴブリンが7体も跳ね回っており、ゴブリン共は手に持つ棒切れや石ころでギリウスをボコボコに殴っている。どういう状況というか、もう見たまんまだった。




「ぐ…この俺が…こんなところで……!!!」



「ギリウスさんっ!今なんとかするっ!堪えろ!」



「ぬうぉぉ…!!!」




 ギリウスは人知れず死ぬところであった。

 ゴブリン達はグロワが駆けつけに放った小さな発破の魔法で破裂音に驚いてすくみ上がり、そこを魔法杖ミリオンでぶっ叩くと血反吐を吐いて逃げていった。


挿絵(By みてみん)


 だが、大蛇がどうしようもない。

 大木のような太さの大蛇に巻き付かれている最中のギリウスがいるのに下手に魔法で攻撃するわけにもいかず、グロワは困った。やるなら今仕留めねば危ないほどに巨大な蛇であるから半端な魔法は使えないが、難しい。魔法杖ミリオンで叩きのめそうにも誤ってギリウスに当たれば大変に危険であった。

 というのは、グロワの持つ魔法杖ミリオンは露店の骨董品だった魔器だが、嘘か本当か古代にさる魔王の頭骨を1億回叩いて作ったという曰く付きの魔器なのである。干木かんぼくのように軽すぎる杖なのだが、それで強かに頭部を打てば打たれた者は自身の因果に応じて大量吐血する。もしギリウスに酷く悪い因果があれば即死である。


 最初、大蛇の大口へ魔法で土塊つちくれを注ぎ込んだが、大蛇がそれを飲み込むと胴体が膨張し、巻き付かれているギリウスは苦しんだ。次に懐から予備の魔法小杖を取り出して大蛇の鼻腔に突っ込み、その先へ魔法で土塊を注ぎ込むと頭が破裂して死んだ。


 グロワは魔法の詠唱に時間がかかり、かつ何度か間違えて最初からやり直し、また詠唱を工夫して何度も繰り返し多量の土魔法を使う必要があったためギリウスは絶望的な顔でそれを見ていた。

 たぶん他にもっといい方法があっただろう。グロワが戦闘の知識や攻撃魔法の上手であればすぐ済んだのだろうが、グロワは攻撃的な魔法はぜんぜん知らないので使えない。ゴブリンに使った発破も、大蛇の鼻の奥へ生じた土塊も、生活系の魔法でしかなかった。




「ふぃ〜助かったぞグロワ!死ぬかと思ったぜぇ…この俺が魔物の奇襲でこうも瀕死の目に合うとはよ…」



「こっちも驚きましたよ…なんであんなことに?…てゆうか酒くさw」




 ギリウスは怪我も軽く元気そうだが、グロワが聞かなくてもよかったことをつい聞いてしまったばかりに長々とした言い訳が始まった。

 なんでも警邏をサボって大酒を飲みながら釣りをしていたところ大物がかかり、夢中になっていたほんの一瞬の瞬間、背後を大蛇に襲われたらしい。酒に酔っていたからとか、両手が塞がっていたため対応が遅れたとかで、気がついた時には頭から腰まで飲み込まれていたのを腕力でなんとか脱出したものの、大蛇も必死であり、ギリウスは全身を巻き付かれて膠着状態となっていたという。そこへ森から出て来たゴブリンが集まって来てギリウスの全身をボコボコ殴ったのだと。馬を連れていれば馬の挙動で大蛇の襲撃に気づいただろうがこの時は徒歩であり、しかも村の犬猫はおろか鶏さえも彼に懐かぬためなんの共連れもなく一人ぼっちであったと。

 

 ギリウスの言い訳は無理もない点はある。田舎の駐在とはいえ1人というのは非常に危険なのだ。

 というかむしろ、田舎に行くほど異様に成長した魔物がいて危険であり、賊徒や魔族の襲撃に手を焼いたりもするものだが、この村では代々駐在騎士は1人だという。


 自分は本来腕が立つのだと豪語するギリウスが2年前から魔物討伐を1人でこなしてきたらしい。これは異常なことで、普通は少なくとも10人程度の騎士や戦士、相方を務める魔法使いが最低1人は常駐する。どのような小さな村でも国の領土であり、そこから作物などを得ていくためや、交通の便のため、敵国や魔族に土地を奪われぬように領地を守る必要があるのだ。

 それがたった1人というのはなんの理由があるのかとグロワは問うたがギリウスにも分からぬという。


 ただ、ギリウスはどうも左遷されて此地に配属となったようである。グロワは村の中央にある駐在官の屯所に招かれてからそのギリウスの左遷の愚痴話も長々と聞いた。過去のことを憎々しげに語る彼は騎士という割には顔貌の発する気配がゴロツキのそれであり、何か左遷されるだけの、スネに傷もつところがあるのかも知れないと人に思わせるものがあった。何か訳ありだろう。

 ともあれグロワも魔力の消費で疲れたためそうして休み、ギリウスの食糧や酒を分けてもらって彼の生還を祝い、そのうち日が暮れて夜になり、夜道を灯の魔法を灯して帰ることとなった。

 



「グロワは魔法の使い方が荒いな」



「ふふ。よく言われます…おやすみギリウスさん。大蛇に気をつけてw」



「む!wお前こそ気をつけて帰れ。魔物は時に報復に来るぞ」




 帰りしなにギリウスがグロワへちょっと呆れた声を漏らしたのでグロワは少し恥ずかしくなった。

 今使っている灯りの魔法や大蛇に飲ませた土魔法のことを言われたのだが、魔法はもっとここぞという時に効率よく使うものであり、やたらめったら使うものではないという風潮が一部の界隈にあるのだ。


 それには理由があり、魔法を使うこと自体が諸神との契約を根っこに持つからである。敬虔な者ほど魔法を軽々に使うことを忌む。神の力を借りて使うのは申し訳ないという思想からだ。

 旅の間、グロワは生活系の魔法を湯水の如く使う。だがグロワは自身の契約する諸神への供物を欠かさぬから魔法を使う余裕があるだけで、そうでなければなかなか頻繁には使えない。神々を使役する事は元来罪深く、もし余分に魔力を借りて使った場合の請求は利子が高くついて怖い、とグロワも一応は知っている。




「そういえばうっかりしてた…」




 グロワはモロッポの村へ来てから土地神への挨拶をしていなかった。いつもなら真っ先に済ませるものだが、今日はなんだか朝から思い詰めてしまっていて忘れていたのだ。


 やしろという素朴な祭殿がどこにでもあるもので、村のどこかにあるはずである。だが今日あちこち散策した限りでは気がつかなかった。

 今は夜だが、夜には夜の祀り方をグロワは心得ている。今からでも神祇じんぎに理を通しておくべく社を探すこととした。




「グロワさん!?」



「おぉっ!?びっくり…ニシカ!危ないよ1人でこんな…━━━」



「でも心配で…」




 目の前にニシカがいるのにグロワは気がつかなくて声にびっくりしてしまった。我ながらどうかしていると思うグロワだが、それよりもニシカが夜中に出歩いていることに不安になった。魔物が出るような村の中をなんで女子が一人歩きするのかと。

 そしてグロワがニシカをちょっとその場で注意しようと背筋を伸ばした時に、ニシカは正面から思い切り抱きついてきた。

 恋人でもないのに、いったいこの女はどうしたのかと思いつつもその細い腰を抱いてしまったグロワはムラムラしてきたが今はそれどころではない。


 ここは意外と危険な村な気がしているのだ。ギリウスが襲われていたのは村の境界の内側のことで、村内に魔物が出てくるのはおかしい。それは土地神の守護が働いていない恐れがあるからだが、おそらく村人や祭主による神祀りが滞っているのだとグロワは思った。

 ニシカのこともちょっと普通の精神ではないような気がしている。ともかく社で土地神と眷属達に挨拶しておく方がいいだろう。その方が、いざという時に魔法の便宜も通りやすい。




「ニシカ、社へ案内してくれない?挨拶しておきたい」



「え…」



「ん?」



「ぅ…あの……無いんです。この村には」




 グロワは思考停止してしまった。社が無い村というのは見たことがない。どのような小さな村や街道沿いにポツンとある駅でさえ、近くにささやかな祭殿があるものである。街道や名も無き道にすら道乃神の祠があり、その守護があって道沿いの野宿が割合安全なところも多くある。

 それなのに、この村の場合は本当に社がないのだろうか。村の外の離れた場所に社があるというパターンは時々あるが、どうだろう。


 しかし、ニシカによると村で祀っている土地神という存在自体が無いらしいのだ。

 だがそういった場合、大抵は聖者などの人格神を祭る教会がある。いろいろな事情があって祀る対象が上書きされていることがあるのだ。しかしそれも無いという。


 グロワにとってはこのような村の存在はどうやって魔物から守られているのか理解できない。

 この世界には陸海空に大小の魔物がおり、人間とは似て非なる魔族がうろうろしており、そういった人外の連中は人間を食料と見ている。そのような恐ろしい存在から人間達の暮らす環境を人知れず支える精力を貸し与えている土地神や眷属神といった超常の存在と共生せずに、どうやってこのモロッポの村は存続しているのだろう。小さな村とはいえ魔物や魔族が食料とみなす人間達を見逃す訳がない。

 

 そうしていろいろ考えた末、グロワはニシカを連れたまま村長の家へ向かうことにした。色々と聞きたいことができたから。




「では、ご案内しますね」



「うん。頼むねニシカ…━━━━━ん?」




 連れ立って歩こうとすると、2人の背後の暗がりをひたひたとついてくる気配がある。グロワが振り返ると、真っ黒な獣毛の大きな犬であった。眼がギョロギョロとあらぬ方向を向いており、閉じた口からは巨大な牙が見えてよだれが滴っている。

 驚いて魔杖を構えたグロワの前にニシカが慌てて止めに入った。

 この牛ほどに巨大な犬は魔物ではなく、ニシカの夜歩きに付いてきた村の飼い犬だそうだ。人を襲ったことはなく、時々は魔物を威嚇して途方もない大声を出すのだというが、戦っているところを見た者はいないという。


 どう見ても狂犬か魔獣にしか見えない顔だが、名前は可愛くてポッキーという。ポッキーはじっとグロワの顔を見ている━━━のか見ていないのか分からない表情でいる。

 ニシカが夜道を一人歩きして来たのでなくてよかったとグロワは思ったが、しかし、かなり強そうな犬だとはいえ獣一頭では魔物に敵うだろうかというとそれは微妙である。動物の獣と違って魔物や魔獣はその存在に強い魔力が篭っているからだ。


 ともかく、背後を音もなくついてくる巨犬ポッキーとニシカを連れて村長のコルレオーネを訪ね、村の話を聞き出すこととなった。






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「社…神殿や祠といったものも、この村には無いですな。私が村の爺婆じじばば共から伝え聞く限りでは、この村はずっとそうした祭祀はしていないようなのです。もっと昔のこととなると、この田舎の村は…これといって残してきた記録というのが無いもので。…ただ、私の幼い頃には半獣人の宣教師が来ていたことがありまして、大河の聖者ヤフーとその教義を守るヤフー教が村の信仰だったこともありますが、まあ戦争や病気で人の移動などありまして廃れました」



「そうなんですか。…では、しかし魔物や魔族などからどうやって今までこの村を守ってきたんですか?」




 村長コルレオーネはグロワとニシカを屋内へ迎え入れると、話が長くなると思ってか暖炉に薪を追加してくれた。薪を追加してくれた人は奴隷の若い男性2人だが簡素で小綺麗な服を着ていて品がいい。

 季節は春だが山の麓ということもあって夜になるとなかなかに冷え込む。それから使用人の若い男女が茶や菓子まで出してきて2人をもてなしてくれた。


 単なる村娘のニシカにまで温かい茶と甘いクッキーを出してやるのはコルレオーネの人柄が悪く無いことを表しているように思えてグロワは気分が和んだが、それよりも、この村長宅に奴隷に加えて使用人がいることや、田舎の家にしては内装や調度品などが一見素朴なようで品の良い高価な物が多いことに気付いて驚いている。


 客間の暖炉を囲んでコルレオーネの夫人であるヒルダも同席し、黒々とした豊かな髭を撫でるコルレオーネはグロワの問いにしきりに頷いて答えはじめた。




「代々、この村には手練れの騎士や戦士が1人か2人配属されてきます。前回は双子の魔法使い2人でしたな。今はあのギリウスだけですが、あの騎士もなかなかのつわものでしてな。村に害をなす魔物や賊徒はことごとくあれが斬り伏せています」



「あの人が…一人で、ですか?」



「ええ。魔物や賊徒がどれだけ多勢であり、真夜中の襲撃であっても、ギリウスが飛び出してきて撃退するのです。私は何度も見たことがありますが、先月などは街道から流れてきたゾンビの群れを夜通し斬っていましたよ。遠方の戦場からキリがないほどやって来るんですな。他には…盗賊団が大勢で村を囲んだこともあったが、ギリウスがいつの間にか頭目3人の首を刈りとって現れましてな、それで賊徒どもは慌てて逃げて行った」



「…………」



「あなた、ギリウスは一昨年の夏がすごかったじゃないですか。彼の初仕事でしたよ」


「おぉ、そうだなヒルダ。お前は近くであれを見ておったからな。あの時は、真夏の真っ昼間の芋畑の真ん中に魔伯爵8段目の何某なにがしと名乗る魔族がふらっと現れました。生意気にも生贄など要求してきましてな、そのときは皆んな怖くて震え上がったものだが、ちょうど着任したばかりのギリウスは考えましてな。牛の腹に隠れて魔族に近づいたんです。それに驚いた魔族が魔法を使おうと構えた腕を剣で切り落として、そのままバラバラに斬り殺してしまった。…しかし、そうやって戦ってばかりいるギリウスが怪我をしたり疲れたりしているのは見たことがないですな…」




 なぜかギリウスの武勇伝をあれこれと聞く流れになってしまったが、先刻のギリウスを見ているグロワにとってはとても信じられる話ではなかった。

 魔族については謎が多く定かな事ではないが、魔伯爵というのは魔族の中でも特に傑出した実績を有する悪虐な魔族の中の魔族、━━━魔公爵・魔侯爵・魔伯爵・魔子爵・魔男爵の魔貴族五爵の爵位ある1柱であると定義づけられている。彼らは多くの魔族を配下に持って差配し、強力な魔力で凶悪な魔法を使い、魔法発動の詠唱や所作もごく短くて隙がない。


 一般人であるグロワなどにはそのような魔貴族の情報は噂程度にしか知識がなく、魔貴族に実際に出会したこともないが、ともかく魔貴族は特に人間を多く殺して喰う最悪な奴だというのが一般的な認識だ。それをギリウスが単独で討伐したというのなら勲章ものだろう。




「……は…はぇ〜…すごいですね。魔伯爵を1人で…。聞いていると、あの、失礼ですけど、ちょっと信じられないくらいの話ですよ。ギリウスはただの騎士ではないということですか」



「うむ。いや、私もギリウスの身の上を知るわけではないが、只者ではないですな。そうだ、あいつは意外に器用なところもあって、魔除けの術を使いますよ。村の外れに魔獣のミイラなどで手製の魔除けを仕掛けて廻ったりする。なので、まあそう頻繁には魔物は来ないはずなのですが…」



「いやぁ、さっきその魔物が村の中でギリウスを…」



「あぁwはい、実は私はここの木戸から遠眼鏡で見ておりました。驚きましたぞ、グロワ殿もなかなかやりますな。あのゴブリン共を追い散らしてからのギリウスの救出…その魔法杖もなかなかの逸品…もしや、孤高の大魔導師チャクラとは貴方様のことでは?先達ってのゴジェス平原の戦でコロンボ王子幕下のシャルル兵団に雇われ、魔侯爵ひきいる軍魔勢の伏兵ゴブリン3000頭を雷電一撃で消し炭にしたという…w」



「いやいやwwそんな訳ないじゃないですかw」




 大魔道士チャクラとは、グロワの旅する途方もなく広いパングラストラスヘリア大陸で有名な一人旅の行者である。

 チャクラは仲間を組まず単独で冒険する人で、神々がふっかけてくる無理難題を一手に解決して人々の苦境を助ける一種の英雄であり、魔法や法力に詠唱・手印・反閇へんばいといった所作を必要としない思念魔法の使い手であるとの風聞がある。その噂ではチャクラはエルフ族の流れ者だともいうし、グロワとはいろいろと存在感が違いすぎた。


 そうして半ば冗談まじりに村長コルレオーネはあれこれと語ってくれた。

 やはり土地神を祀っていないことは外部の者からは珍しく思われることが多いという。

 それで村にやってくる旅の僧侶や魔法使いなどの行者が心配し、また好意でもって村のあちこちに魔除や御祓をしていくことは、よくある事だと。

 しかし普段のモロッポ村では土地の神への祭祀ということは特にしておらず、ただ漠然と汎神論的な気分で暮らしに感謝し、自分たちの先祖には共同の墓地で供養をしているものの、別段神々への捧げ物などはしていない。

 ただ、モロッポ村を領地とするゼクソン公爵家ドルファン王の城から年に4回ほど城付きの魔導師が村の様子を観にくるが、特に村で魔除や祈祷などの働きはしておらず、村長や駐在騎士と話しただけで帰ってしまうという。


 そういったわけで土地神やその部下である眷属神などからの守護といった働きは、おそらくこの村には機能していないだろうとのことだ。

 村を代々守るのは王都から派遣されてくる騎士や魔法使いといった戦士達で、その少数の精鋭が数年モロッポ村で駐在騎士として守衛を働き、任期満了すると、次に派遣されてきた戦士と交代する。村に泊まりにくる冒険者や旅人に魔物を退治してもらうことも多々あり、それらで事足りているのだと。


 ともかく特別な事はしなくても問題ないと、安心するように村長は言った。それに、多少の魔物ならば村の少ない若者衆でも撃退できると言って自信ありげに魔法銃の散弾銃や魔法衣のローブをグロワに見せてくれた。

 魔法銃や魔法衣は魔器といって魔石と魔法で作られた高価な品である。確かにあれらを装備したなら老人や女性でも多少は魔物を撃退できてしまうだろうが、村人達は皆んな持ってるのだろうか。想像するとすごいが、ニシカは持っている風ではない。


 だが村の中に魔物が出るというのは異常だし、ギリウスの話にしてもグロワはほとんど信じられなくて不安だ。

 だってさっきあの男は魔物を相手に死にかけていたではないか。それとも、グロワが駆けつけなくても1人でなんとかできたのだろうか。グロワは戦闘の素人だからわからない。




「まあ、この村はよく陣触れの宿割りに充てられたりもするので、武装した領主の軍隊がたまに通るということもあって割と安全ですよ。街道からもそう遠くはないですから、冒険者の旅人や隊商達も泊まりにきますからね。安心だよねヒルダ」


「そうですね貴方。狼煙や信号弾をあげれば龍騎兵が救難に飛んできてくれるし、離れの舎庫には飛行船もあるんですよグロワさん。いざとなったら私たちは飛んで逃げてしまいます」



「え!?…ひ、飛行船!?龍騎兵!?泣く子も黙る龍騎兵ですか!?…なるほど……すごい………」




 ━━━━━ひとつ、疑問がある。

 それだけ財産がありながら、なぜ土地神を祀らないのだろう。祀るだけで魔物や魔族から土地と人を守るのに強力な力を発揮するというのに、今まで祀ってこなかったから新たに祀らないというのは、殺すか殺されるかのこの世界においてちょっと甲斐性がなさすぎる。

 土地神を祀ろうとすると、その部下の眷属神や眷属には癖や個性が有りはすれども、祀る事自体は何も難しくはないのだ。


 とはいえあまり突っ込んで尋ねる気にもならなかったし、龍騎兵や飛行船という話を聞いて恐れ入ったグロワはそろそろお暇することとした。






△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼






 グロワとニシカは村長宅を辞して夜道を歩いている。

 ニシカの住む小屋は村の外側に面した土地で、村の中央にある村長の家からは4軒隣であり、その間の小さな丘の段畑や林を抜ける道を少しの時間歩かねばならない。


 村に街灯などの明かりはなく、家々にはガラス戸がなくて木戸ばかりで家の明かりというのもなく、やたら暗い。夜空に浮かぶ2つの月だけが村道を仄かに照らしている。


 夜空の薄明かりに浮かぶ村の家々を見ていると、やはり小さすぎる村だとグロワは思った。昼間に気づいた通り、この村はおそらく魔薬の原料植物の栽培で儲けている。グロワがそう思うのは、村長が結構な金持ちだったからだ。ニシカによると村長宅にはサウナと風呂まであるらしく、7人の息子さん達は帝都の芸術大学にいるという。奴隷2人の他に使用人が2人もいるのもお金があるからだろう。


 それに、村に泊まる旅人達が多いのであればもう少し村全体が栄えても良さそうなものだ。今もグロワの他に作物を仕入れに来た隊商15人が駄獣とともに逗留しており、村から少し離れたところの牧場に天幕を張って寝泊りしていると村長は言っていた。

 旅人達から謝礼をもらって村人は潤うはずだが、人口が増えないのは何か明確な理由があるだろう。

 昼間に村人から聞いたように、小さい村だから食料受給的に問題があるというのは、実際には本当かどうか疑問だった。村から他村へ移ったら二度と戻れないという掟のことは村長に聞きそびれたが、その変な掟に原因が絡んでいるだろうという気がする。

 そして何より、やはり村内に出る魔物が原因で村人が増えないのではないだろうか。人里なので村の外よりは魔物が出ることは少ないが、それでも住居の周りを魔物がちょろちょろしているのでは恐ろしすぎる。




「ニシカは、怖くないのか?この村に住んでて…それも、1人だろ?」



「怖いです」



「だ、だよね。うん、早く帰ろっか」



「はい!」




 即答である。ニシカは村の娘とはいえやはり危険な村と思っているようだ。普段どう暮らしているんだろう。


 実際、今この帰り道でも池の真ん中に青白い魚人が1体突っ立っていた。魚人は瞑目して突っ立っているだけで襲ってくる気配は全くなかったためグロワとニシカは無視して通り過ぎたが、ニシカ1人だったらどうたっただろう。


 魚人は奇妙な存在である。今なぜ真夜中の池の真ん中で突っ立って瞑目しているのかグロワ達には謎すぎることから分かるように、魚人達の生態というのはよく分かっていない。

 魔物とも亜人の一種ともされる微妙な存在で、人間の言葉を話す魚人や友好的な魚人も稀にいるので必ずしも危険と言い切れる存在でもない。

 だが中には人間を池や川に引き込んで殺して喰らう危ない魚人もいる。大きさも成人男性と変わりなくて力も強い。とにかくニシカによると別にあの魚人は村人ではないと言う。

 やはりこの村の夜道で呑気に喋りながら歩くのは危ない気がしてグロワは帰り道を急いだ。


 途中、村の外へと続く村道の先に門が立っているのがぼんやり見える。グロワは夜目が効くのでわかるが、例の男性━━━ニシカの兄貴もそこにまだ立っているようだ。




「お兄さん、門にいるね」



「ええ。門番ですもの」



「…まさか、あの門で寝泊りしてるの?」



「そうです。たぶん。…私の小屋には入ってきませんよ」



「…あ、そう……」




 ニシカの言葉にはちょっと艶めいた含みがあってグロワは鼻の下が伸びてしまった。

 ニシカは夜道を行く間ずっと肩が触れるほど距離が近い。グロワはまるで恋人みたいな気分になってしまうのだった。このまま連日肌を合わせてしまったらもう他人の気持ちでいれないかもしれない。

 朝にニシカの家を出かけた時はちょっと帰りづらい気持ちになっていたグロワだが、今は一緒に歩いているのが嬉しいし早く帰りたくなっている。




(でも、しまったな…俺は本当に雑な人間だ)




 ニシカと歩きつつ、グロワは少し反省している。昨日ニシカと話していて自分のことを色々と語ったが、ニシカのことはあまり聞いてあげていないのだ。朝、彼女とその兄のことを知って、彼女の様子の変容にも気づいておきながら、何故なにもニシカの事情を訊いてあげようとしなかったのだろう。

 ニシカの兄、ということになっているという謎な関係の門番の青年は気が触れているという。その事情にも絡んでくるだろうから聞きづらいが、兄のことはニシカの精神的な負担になっていることは想像に難くなかった。

 そこには複雑な事情がありそうだが、少し話を聞いて相談に乗った方がいいかもしれない。グロワはニシカの小屋に帰って落ち着いてから聞いてみるつもりになった。何しろあの青年の名前すらグロワは知らないので、まずそのお兄さんの名前などから尋ねてみようかと。

 

 家に着くと、背後にまだ巨犬のポッキーがついて来ていた。ポッキーは家の戸口の前に先回りして座り、じっとニシカの顔を見ている。ように見える。

 するとニシカは腰のポケットから紙の包みを取り出して広げ、中にあるクッキーをポッキーの鼻先へ差し出した。ニシカは村長宅で出された茶菓子をポッキーのためにとっておいたのだ。優しい。ポッキーは口を少し開くと長い舌を伸ばしてクッキーを巻き取り、口中へ引き込んでそのまま飲み込んでしまった。なんでだ。味わえよ。




「おっwwおいおいw噛めよポッキーw」



「ふふっwいつもこうなんですよ、この子wかわいくて…」



挿絵(By みてみん)


 グロワが笑いだすと同時にニシカも笑っていた。それを尻目にポッキーはすごすごと歩いて茂みに入っていく。


 ポッキーがどういう犬なのかも謎なのでニシカに聞いておきたいが、まずグロワは庭で神事を済ませておきたい。村に土地神を祀る祭壇も習慣もないのなら自分でそれなりに挨拶しておきたかった。それに、自分の魔法契約をしている眷属神達への祭祀も折を見てとり行わないと、契約違反で魔法を使えなくなる恐れがあるのだ。


 そうして夜の祀りの準備を進めるべく小屋の北側の納屋であれこれ道具を選んでは南の庭へと選んでいると、遠くから声が聞こえた。



━━━ここはモロッポの町さ!━━━━━



 あの門番の青年の大きな歓迎の声は村中に聞こえるのだろう。夜なら尚更に静かでよく聞こえた。

 しかし夜中に村へ入ってくる者がいるのはちょっと気になる。


 今はまだ家々の煙突から煙が上っているし、村人達も起きているだろうからそれほど夜更ではない。だから来訪者が門限で入れないということはないだろうが、しかし、おそらく駐在騎士のギリウスは様子を見に行くだろう。夜間にやってくる旅人は重傷な怪我をしている場合がたまにあるのだ。




「さて…」




 グロワはグロワのやるべきとしている事をしなければならない。

 ニシカの家の南側の草地の一角に川で汲んだ水で薄めた麦酒を撒き、大鎌で草を刈り払って低くした地面を適当な面積にする。その中央には長めの岩を地面に突き刺しておき、刈った草を中央の岩の周りに積んでから薪と一緒に燃やし、その炎の前に祭壇に使う平たい岩を置いた。

 祭壇には土地の草花3種、五穀と果実3種に生贄の鶏、地酒に酒杯、精油、練香、フェアリーの鱗粉、宝石かも知れない鉱石、それからグロワが調理した焼き魚を五本の串に通してそれぞれ地面に突き刺した。それらの串の先は半分に割って紙切れが挟んであり、神にはグロワが描いた眷属神達の似顔絵と神代の文字で書かれた神名が書かれている。ついでにニシカが焼いた小さなパンも6つお供え。


 いざ準備を始めると不必要にあれこれ用意してしまったかなと思ったが、旅の道中での簡易的な祭祀とは違うのでこれくらいやってもいいかと思い改めた。

 それらの前の地面に獣毛を敷いて正座し、愛用の魔法杖ミリオンで地面を9回突き、鈴の音を奇数・偶数・奇数の順にゆっくり鳴らして”気”が満ちるのを待つ。


 気が満ちたら立ち上がり、色とりどりの染め紐で飾った常緑樹の小枝を捧げ持ちながら四方を拝し、祭壇に向き直って座ると小枝を地面の盛土に刺し、神代の言語で短い祝詞を読み上げる。読み上げが終わる頃にはもうグロワの馴染みの眷属達が眼前にたむろしていた。




『グロワよ。この魚はなんじゃ?』

『注文したのは鹿肉じゃが…』

『一角獣の角が欲しいって前に頼んだよね?』

『鶏じゃなくて〜ひよこが欲しいって言ったじゃ〜ん?』

『あれ?いつもの折り紙の白鳥がない!あれ!?』

『お菓子は?ねえお菓子は〜??』



「ぐぐ…すみません。ほんとに……」



『まあでも、嬉しいよグロワ。このパン美味いじゃん…なんと杏ジャム入り…』

『む、この石ころの内側は水晶だぞ。グロワは宝石を拾うのはうまいな』

『あ〜歌が聞きたいな〜』

『なんか面白いことやってよグロワ。前はよく踊ってくれたじゃん?』

『いいかげん楽器ぐらい弾けんのか?父親に習った弦楽はどうしたよ?』

『お前、恋してるだろ』



「!!あわわ…」



『あとさ、グロワ。いいかげんに戦闘用の魔法を契約なさいよ』

『さっきの戦いはありゃ酷かったな〜』

『そうそう。ちょっと契約内容が変わるけど、もっと本格的な攻撃や防御の魔法の方がいいよ』

『グロワはかなり質の良い結晶をたくさん持ってるし、新規契約の余裕全然あるでしょ?』

『その結晶欲しいなぁ〜』

『俺たちとの契約で戦闘用の魔法権限も貸せるけど〜もっと戦闘向きの眷属を紹介することもできるよ?』

『そうそう!チャクラみたいに雷神の眷属とかどう?近くの眷属の祠に誘導しようか?』



「いやいや〜戦闘は…なかなか大変で。私は向いてないですから…。あ、結晶はちょっと使い道を考えてますんで…すみません。ハイ」




 人とも獣とも違う、異形の神々。その姿は炎や水のようでもあり、草木やいわおのようでもあり、風や霧のようでもある。

 グロワの契約する眷属神達は供された品々を楽しみながらグロワの近況についてあれこれと注意したり助言したりと賑やかにやっている。グロワの場合はこれがいつものことで、ゆるいパーティーみたいな感じだ。とはいってもこういうのは毎日ではなく月に1度くらい。毎日の祭祀はもっと簡易的なものである。


 今回は土地神への挨拶の後見に加えて、この先の旅路の見通しや、この村での心配事について何か神託がないかとグロワは期待していた。

 ところがまずニシカへの想いについてズバリ釘を刺されたのだ。眷属達が言うにはなんでも、ニシカを伴侶にしたいと思うならこれまでのグロワの人生はここで終わるだろうと。全く別の人生に変わってしまうだろうと言う。


 それは嫁さんを得て子供ができたら人生が変わるだろうとはグロワも想像するが、それにしても昨日今日の出会いで気が早すぎるし、眷属達の託宣は何か含みのある表現な気がした。

 眷属達はなんでもつまびらかに教えてはくれない。彼らの言葉は多くの場合、ちょっとだけ方向性を匂わせるだけだ。考え方によってはどうとでも受け取れてしまう。


 とはいえ、グロワは諸神に対してあまり詳しく聞き返したり言挙げせずに相槌ばかり打っていることが多い。相手は神の一種なので人間の方からいちいちあれこれ言わなくても全部知っているのだから、その上で重ねて言うことは眷属を信じていないことになってしまうからだ。


 眷属達はグロワが何を考え、何を思っているのか知っている上で曖昧な言い方をする場合もあるんだよ。━━━と、グロワの父ガウロワが生前に言っていたのをグロワはよく覚えている。




『ここの土地神に直接の挨拶は難しいみたいだねグロワ』

『顕現しそうにないな。じゃあグロワの挨拶は我々から土地神へ伝えておこう。よろしく言っとくよ』

『でもここの土地神についてはグロワが首を突っ込むことではないよな…』

『まあ、あの娘をどうするか決めて、早々に発つか求婚するかしてみれば?』

『どっちでもええわな』

『でもこの村はかなり訳ありだよね』

『お、あれ?きたきた…噂をすれば来たよ。ようこそ〜お邪魔してます〜』



「━━あ?ポッキー…って……お〜いまた…w」




 茂みからのそのそ現れたポッキーは祭壇に舌を伸ばして御供物のパンなどをまた飲み込んでいる。

 それを見て嬉しそうにしている眷属達は、飲み会に遅れて現れた仲間に席を開けるようにして身を寄せ、もう1柱の空間を作った。そこへポッキーが蹲るようにして鎮座する。巨犬ポッキーはどうも土地神に由来する獣らしい。




「気づかなかった…そうか。ポッキーは土地神の眷属様のお供とかなのかな?」



『……』


『グロワ、随神獣な。お前らの言い方を借りればだが』



「そうだったんだ…眷属そのものですか」



『でも、ちょっとそれも違うけどな』

『そうだな。ちょっと違う』

『さて、じゃあそろそろ次いこかな』

『またなグロワ。契約更新だ。魔法使っていいぞ』

『ジャムパンは美味かったな〜』

『今度はチーズたっぷりの鹿肉シチューを頼むよ』

『新しい契約のこと考えといてくれよな、グロワ。死んだ親父さんも安心するぜ』



「あ、…はい…有難うございます。かしこみまして御座います……」




 焚き上げた炎が消え、辺りは常気に戻っている。備えた品々は灰になった。

 眷属神達は急に祀りの場を切り上げた気がするが、それはいつものことだからグロワは気にならない。ひとまず魔法契約が更新できて安心なのだ。これで向こう1ヶ月は各種生活魔法を自由に使える。


 だが今回は色々と釘を刺されてしまった。ニシカのことも思うところがあるが、戦闘用の魔法契約を促されてしまったことがグロワを悩ませていた。

 その種の魔法となると、また別途の契約になるので新たな掟や法を結ばねばならない。眷属の性格も癖が強いし、特殊な交換条件を提示されたりして大変なのである。契約に必要な結晶や魔石も捧げねばならない。だからグロワはケチケチと生活魔法で今まで凌いできた。魔物や盗賊の襲撃を凌ぐのだって生活魔法を工夫して。




「━━━━━?…」




 グロワが祀りの余韻に浸っていると、巨犬のポッキーが立ち上がってニシカの小屋の軒下に近づいて蹲った。今晩はここで眠るのかもしれない。


 ポッキーは異様な犬だとグロワは思っていたが、そういえば眷族とはそういうものかもしれないと思い直した。どういうことかというと、地域の特別な獣というのが稀にいて、それは土地神の息のかかった眷属なのである。得てしてその獣の風体や挙動は他の動物と異なる場合が多い。村の者達はポッキーが土地神の眷属だとは知らないのだろうか。グロワは偶然だがこの村の謎を解く鍵を見つけてしまった気がする。


 だが、ポッキーが土地神の眷属だとすると、その親神である土地神や、その部下の眷属神はどうしてしまったのだろう。

 グロワは自分の眷属神達に土地神への挨拶をお願いする形になったが、眷属神達はそれを了承したものの土地神のことについては何も教えてくれなかった。でも理りは通したので、グロワがこの村に滞在中に何か危険な事が起きても何かしら土地神から支援が得られる可能性には期待できるかも知れない。ポッキーが眷属らしく助けてくれるだろうか。




(でも、俺は冒険者じゃないからな。そんな謎に深く関わるつもりは無い。この村で月一の祀りを済ませることができたし、あとは旅の予定を決めて発つだけだな)




 グロワにはただ旅をして生活するだけの人生しかないのだ。そして、旅の先に何か目的があるわけでもない。

 貴族や政治家が掲げる魔王討伐や国家統一や思想の主義主張に興味はなく、ただひたすら魔族や戦争や災害などの危険を避けて移動し、食料を求めて移動し、旅費を得るために仕事を求めて移動し、行ったことのない土地を旅するため旅をしてきた。これからもそれが続く。


だが、そのように考えているグロワはまだ若干19歳でまだまだ人生は長いのである。

 そして実はちょうど彼の人生にひとつの節目が来ていた。今までの旅でコツコツ集めてきた上質の結晶がだいぶ溜まってきたのだ。それはグロワの契約する眷属達が欲しがるほどに価値のある財産で、使い方によってはグロワの人生を一変させるだろう。


 ━━━結晶。この輝く宝石は地層の中や山の岩や海や川の岩礁などで採取される。多くの場合は指先に乗る程度の小さなつぶてで、形は一定ではなく、それがどこでどう形成されて生じるのか判っていないため見つけるのも見分けるのも至難な稀石である。世界中の宝石の中で魔石の次に価値が高い。

 魔石の方は主に魔界の眷属が欲しがるもので、魔族がほぼ特権的に扱う宝石。それに対して結晶は純粋な結晶ほど聖石結晶とされており、聖神界の眷属が特に欲しがる。だから眷属神との特殊な契約などに捧げられる品として需要があるのだ。

 ただ、需要の面では魔石の方が遥かに多くて人間達の衣食住全般に関わるため価値が高い。一般的な通貨の貨幣も魔石が原料なほどである。


 純粋な聖石結晶は磨くと真水のように無色透明である。だが傷がつく事はなく、砕けることもない。その質はピンキリだが、グロワは質の良い透明度の高い純粋結晶だけを拾い集めていて、帯を袋状に縫ったものの中にちまちまと詰めて下着の上に巻き付け肌身離さず携帯している。

 純粋な結晶の探し方はグロワ自身にもよく分からない。旅の道中でいつもなんとなく、あれっ、と思って見つけた石や岩を磨いたり割ったりして見ると純粋な結晶が混じっているのだ。目利きは眷属達に頼んでいるから間違いないだろうと思いつつ実はちょっと半信半疑だったりするが。


 ともかく、そうして集めた結晶は溜め込んでいても仕方のないもので、持ち運ぶにも限界があり、かといって預ける銀行などは都市にしか無く、誰かに奪われる可能性も高く、何かに使ってしまう必要があった。だが田舎の両替商で換金するのはいろいろと危険なのでなかなか手放せない。それで何か大きな使い道をとグロワは考えているのだが決められずに今まで旅をしてきた。

 売れば莫大なお金に変えられるので使い道は無数にある。大陸中立国の都に行って学校に入って世界の知識や魔法の応用を習うのも良いし、魔法服や魔法銃などの魔器を買って旅を続けるのも良いだろう。何か商売をする元手にも十二分の財産だし、広大な土地も貴族から買える。買おうと思えば帝都の城下町に新築の家を建てれる。眷属神達の言う通りに色々な魔法契約を新たにするのも可能だ。


 とはいえ、何をするにしてもその先の人生の目的がグロワには無かった。

 そのことは不幸でもなんでも無いのだが、何故かそのことを思うと時々グロワは虚無的な気持ちになるのだ。

 その気持ちは一人旅に慣れるにつれて年々耐え難くなってきていて、行ったことのない土地へと旅をすることで虚しい心を埋めていた。だから旅を続けているのだろう。


 このモロッポ村ではもう2日ほど逗留しながら進路を考えて、決まったらすぐに出発するつもりだ。

 ニシカのことは伴侶になどと考えないことにした。出会ってすぐで、たまたま歳が近くて気が合っただけで、性欲とか、自分の人恋しさからでた甘えのような気持ちだろうと。たぶん性欲だ。自分は今ちょっと気持ちが変なのだと。彼女の悩みを少し聞いて、励ましてあげて、それでお別れするしかないだろう。




「……━━━━━」




 祭祀の片付けを終えてニシカの小屋へ入ろうとして、ふと思った。

 さっきの、この夜間に来た村への来訪者の対応はどうなっただろう。

 門番の青年の第2声が聞こえてこなかった気がする。あの”魔女ドラドラ”の襲撃を知らせる大声の虚報が。

 祀り事に集中していたグロワには聞こえなかっただけだろうか。あの第2声は昼間に村を散策中も何度か聞こえた。旅人が村内に入ってしばらくすると必ずあの門番が発声するのだと村の老爺から聞いている。それなのに、どうしたのだろう。






△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼






 人が死に、集落が消え、土地が崩壊する災難の時というのは突然やってきて一瞬で世界を変えてしまう。グロワはそれを本当の意味で初めて思い知った。


 今まで災難から逃げてばかりきたグロワには、こういう時どうすることもできなかった。真正魔女ドラドラとその軍勢100万柱の眷属がモロッポの村を襲ったのだ。




 事態はこうである。

 門番の青年は夜に訪れた1人の旅装の女を盛大な大声で歓待した。

 その声を聞きつけた駐在騎士ギリウスは気になっていたが、そのまましばらく経っても例の第二声が聞こえてこない。それで様子を見に行ったギリウスが門へ到着したとき、旅装の女━━━ニシカが青年に撲殺されていたという。


 そこでギリウスは青年が常のセリフ以外の言葉を発するのを初めて聞いた。門番の青年は「テングリヤ王国国主キサナドゥ・モロッポ39世である」と自ら名乗ったのだ。

 その国名も国王の名もギリウスの既知でなくて要領を得ない。それからモロッポ青年はニシカを殺したことについてあれこれと説明を始めたが、ギリウスは要領を得ず、しかも聞いている余裕がなかった。夜空にあるはずの星々が音もなく降り落ちてきたのだ。

 村の外を地平の彼方まで埋め尽くして降り立った星は全て魔族の眼球の光だった。

 剣を抜いたギリウスだったが悪夢を見ているみたいで動けないでいると、倒れていたニシカが竿立ちに起き上がってこう告げたという。


『我は真正魔女ドラドラである。旅人グロワ・イジャスティ・サンドレアスの腰巻を持ってこい』

 

 魔女ドラドラの顔はギリウスにも見間違えようのない村娘のニシカであり、殴撲おうぼくされたはずのその顔はきれいに戻っていて、うら若い彼女そのものである。

 それでもギリウスは目の前の魔女を討とうと目を据えたのだが、常の癖で討敵の目を見てしまい、その途端に魔女の視線から己の身のうちへと流れ込んでくる異様な気配で体が震え出した。全身から異常な脂汗が噴き出て剣も握っていれず取り落としてしまったという。そしてグロワの元へと足が勝手に歩いたのだと。


 祭祀の片付けを終えたグロワがニシカの家の庭から正面へ回ったところでギリウスと鉢合わせになった。そこで様子のおかしいギリウスの開いた口の闇から聞こえてくる言伝の声を聞くと、グロワは顔色を変えて村の門までギリウスに同行した。

 魔女ドラドラはギリウスに激昂した。




『貴様━━━━━』



「黙れッッ!!!!!」




 魔女が憤怒の声を上げるより先にグロワの激昂が魔女を大喝していた。魔女ドラドラの容貌は紛れもなくニシカなのである。しかしそのよこしまな気配は少女ニシカのものではなく、背景を埋め尽くす群魔は魔族そのもので、 グロワは百年の恋も覚める思いなのだ。ニシカに惚れていたのに、魔女で、しかも腰巻の中の聖石が目当てだったなんて。なんで悪名高い魔女に俺の腰巻をやらねばならぬ。この上は語ることはない。


 魔女ニシカ・ドラドラは絶句している。闇夜の魔女と大地にひしめく悪魔の軍勢を前にしてグロワは全く臆するところがななく、憤怒の形相で魔女へ魔杖を突きつけてきた。魔女の魔法にかかればグロワは一瞬でこの世から消されてしまうか、気が狂ってしまうか、一生を四足獣として生きる呪いを掛けられる可能性があったというのに。

 だが時に精神は事態を顧みないものだ。

 憤慨して詰め寄るグロワに魔女は声も無く狼狽して慄き、背を向け、群魔に向けて腕を払い村にけしかけた。


 黒い津波のように蠢いた闇に星空のような悪魔の光る眼が一斉に瞬いて動き出す。

 グロワは持てる限りの魔法で抗った。


 門へ来るまでに詠唱・手印・反閇などの用意を終えていた魔法に歯を3度打ち鳴らして最後の理りを通すと、大地が沸き立つようになってやや浮上したかのようになり、地面は全て水浸しの石鹸の層で覆われてヌルヌルになった。

 魔族達は翼で飛び立とうにも足で地面を蹴れず、歩けもせず転んでは石鹸に顔を埋めて清らかになってしまう。ふざけるのが大好きな魔族達は真面目に村を襲わず、シャボン玉を作ったり石鹸を投げ合ったり地面を滑ったりして遊び出してしまっていた。洗いっこしている奴が多い。後続に控える数十万の群魔たちの足元まで漏れなく石鹸の層で覆われているのだ。大勢が倒れて重なって死に、倒れた体を足場にされた魔族と足場にして上に立った魔族とで殺し合いになっている。


 そうして群魔の動きを止めたグロワ自身もその場から動けず、武器である魔法杖ミリオンで魔女を討とうにも5歩届かない。

 その5歩先にいる真正魔女ドラドラもまたグロワの目の前で動けずにいる。魔女はグロワから目を離せないでいるのだ。2人の目線が合っているのに、グロワには魔女の熱っぽい邪視が通用しなかった。


 グロワは追撃魔法の準備にかかる。今施行した超特大生活魔法には貯蓄した聖石純粋結晶をいくらでも魔力変換するつもりだったのだが、グロワの安上がりな生活魔法は現場の土壌成分などを利用している為おそらくたいして減ってないだろう。怒りでたぎる血潮は逃げるという選択肢を焼き尽くして猛烈にグロワの脳を働かせていた。

 しかし魔法戦の経験がないグロワにはここからの戦法が何も浮かばないのだ。この土壇場でいい魔法が浮かばない。グロワは攻撃的な魔法を契約していないし知識もないのだ。今まで戦いを避けてばかりいたツケが盛大に回ってきた瞬間であった。


 結局、グロワの最大であり唯一の武器となり得るのは魔杖ミリオンだ。この最凶ともいえる魔杖で魔女の頭部を強打すれば一撃で殺せるかもしれなかった。

 その魔女まで踏み込むためには足場の石鹸層を解除する必要があったが、しかし群魔達が動き出したらグロワはひとたまりも無い。だが群魔を率いてきた魔女を殺せば100万柱の群魔達はどうなるだろう。人間とは価値観の異なる魔族達の行動は読めないが、あっさり撤収するかもしれない。

 真正魔女ドラドラ1柱、それが目の前にある。殺さないと喰われるのは自分たち人間なのだ。


 ちなみに、このとき体の自由が戻ったギリウスは今を勝機と魔女の首級を上げるべく剣を取ったが、石鹸層に埋まった剣柄がヌルヌル滑って掴めない上に足元も滑り泥濘ぬかるんで踏み込めず、同様な周囲の魔族がギリウスにしがみついてくるのを殴り殺すのでいっぱいいっぱいだったという。




(そうだ、毒気を作ろう。何か他の土壌成分か何かを極端に活性化させて石鹸層に混ぜて気化させれば━━━━━━)




 危険な賭けを思いついたグロワは魔族全員と相討ちの覚悟で生活魔法の詠唱を考え始めた。

 だがグロワが動き出すのを見て我に返った魔女ドラドラはその追撃を許さない。近くに倒れている魔族の背を3度踏んで立つと踏まれた魔族の姿を箒に変えてしまい、そのまま宙に浮いて空へ登りつつ両手を天地に掲げ何事か呟く。

 すると天地が鳴動して歪み、村の近辺を通る大小の河川全てを勢いよく溢れさせてグロワの魔法施行を崩してしまった。

 その結果、グロワはギリウスや群魔とともに濁流に飲まれて死んでしまったのだ。






△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼






「「━━━━━…」」




 グロワとギリウスは村の跡地のグシャグシャになった草原に立って呆然としている。

 2人とも、その姿は獣耳と尻尾のある半獣人と、全身が獣毛に覆われた獣人になっていた。


 村は跡形もなくて、人影もない。グロワは怒りに任せて魔女の軍勢に単独でぶつかる無謀を犯して死んだだけである。村人達は全員死んでしまった。


 あの時のグロワにはもっと他にいい方法があったんじゃないだろうか。村人を避難させて廻ればよかった。村長に龍騎兵を呼んでもらうとか、飛行船で逃げるとか。それでも全員殺されただろうか。もうそんなことを考えても仕方がなかった。


 今は自分の横に無言で立っている奇妙な獣人はどことなくギリウスに似ているとグロワは思っていたし、ギリウスは横に立っている獣耳有尾けもみみゆうびの半獣人を見ておそらくグロワだろうと思っている。


 ギリウスがそう思うのは、目覚めたときに見たボロボロのグロワらしき死体と、それを真剣な顔で弄くり回している魔女ドラドラの一連の所業を見ていたからだ。



 ━━━これより半刻前、魔女は殺してしまったグロワの死体を見て酷く悲しみ、その哀別のあまりその場で生き返らせたのだ。

 真正魔女の魔力と権限、親神である全能神や女神へのおねだり、グロワの腰巻の結晶と、魔女自身が封印していたこの土地本来の祭神の干渉を引き出してグロワを生き返らせることに魔女ドラドラの心血が注がれた。


 だが、グロワの腰巻の中の聖石純粋結晶をその魔法に使うつもりで取り出した魔女は驚き、半ば絶望した。ほとんどの結晶が純粋ではなくなっていたのだ。変色し、燻み、変形しているものが多く、中には魔石化するほど因果に染まった結晶もあった。

 結晶はグロワがずっと持っていて徐々に汚れたのか、それともこの村へ来てから汚れたのか、さっきのグロワの超特大生活魔法で損耗して汚れたのか、それは分からない。それでも尚も相当な価値ある結晶なのだが、これでは満足な施工結果が得られるかは一か八かである。


 それで念のため、一応の練習にと魔女はギリウスを先に生き返らせたのだが失敗して獣人になってしまった。

 では本番、と本腰を入れてグロワの再生に取り掛かったが、これは半獣人になってしまった。


 ”魔女には人間を作れない”


 ━━━という、神々の決めた根本的な事情は真性魔女ドラドラにも変えられなかったのだ。

 魔女ドラドラはしばしグロワを見つめて涙を流し、何度も口付けした。そして箒に跨がると群魔を散らして飛び去っていったのである。空になったグロワの腰巻をしっかり握りしめて。


 飛び去る魔女の姿をグロワは倒れ伏したまま薄目を開けて見ていた。死んでも離さなかった魔法杖ミリオンはその手に握られたままだが、もはや起きて争う気力は全く出なかった。


 やがて立ち上がったグロワは、飛び去った魔女が遠く小さくなってゆくのを眺めていたが、自分と同じ方角を呆然と見ている獣人が横にいるのに気がついた。

 猿人と狼人と人間を足して割ったような奇怪な姿である。とはいえどことなくギリウスに似ているそいつはグロワの方を振り向くと人族の言葉を話した。




「おい、お前グロワだよな?」



「そういう貴方こそ…ギリウスさん、ですよね…?」



「…?…お前、……いま笑っただろ…?」



「いやいや笑ってないですよ。…なに言ってるんですか……」




 それから2人は村の跡地を見て回った。

 村人は全員消滅しており、家屋も家畜も消えている。━━━かに思えたが、離れた丘の上の畜舎は洪水が届かず残っていた。村長コルレオーネ含む村人17人と旅人20人も山林へ避難していたため無事である。

 死者は男女の子供2人、若者2人、老人2人で、村の墓地があったはずの場所へ運んで魔石を燃料に使って荼毘に伏した。それ以外の村人と旅人の全13名は遺体も見つかっておらず、行方が知れない。


 避難した人々が逃げ果せたのには不思議な話があった。

 村人達は皆んな寝床に入りかけていて眠っている者も多かったのだが、村の通りから何度も聞こえる途方もない大声が━━━━━


『攻めてきたぞー!魔女ドラドラの軍勢100万が攻めてきたー!!』


 それを異常に思い外に出たのだという。すると、見知らぬ漆黒の獣人がその声を上げており、遠くには地に満ちた星の海が黒い水に飲まれていく様子が見えて、村人達は身一つで山へと逃げ出したのだった。


 洪水の後にはボロボロになった大地の起伏と倒れた草原だけが残っていて、そこに巨犬ポッキーだけがニシカの小屋のあった位置に黒々と立っている。

 と思ったら門番の青年も呆然と門の位置に立っている。彼の姿は変わっておらず、不思議なことに服が濡れていない。


 朝焼けが全てを爽やかに照らしていて、あとの祭だった。



 それから駐在騎士であるギリウスは避難していた人々を山に残った畜舎に集めて守りを固め、狼煙を上げて領主に急報と救難要請を送った。


 門番の青年は拘束して領主の元へ連行することになり、グロワも魔女戦の当事者として随行することとなった。

 グロワは莫大な財産を失った事とニシカへの失恋と亜人への人種変えで日に日に心を閉ざして廃人のようになっていったが、村人やギリウスに励まされてなんとか持ち直した。

 そして、安っぽい生活魔法だけで魔女ドラドラと100万の軍勢を退けた英雄としてグロワは讃えられ、領主から士官の口をもらったグロワはしばらく貴族に支える近侍の1人としてギリウスとともに働いた。



 グロワとギリウスはモロッポ村の謎や問題について門番の青年━━テングリヤ王国国主キサナドゥ・モロッポ39世から詳細を尋問したが、話の半分は理解できない異次元の内容だった。


 モロッポ村の村人達は古代に魔王戦で破れて埋没した伝説的なキサナドゥ文明を牽引した大陸中央山脈西方テングリヤ王国の末裔達だったのだが現在の村人達自身はそれを忘れており、それは各界界の諸神が結託して人類を使って争った第7357次神戦ラグナロクの名残りだという。

 魔女との契約で血を繋いできた王族の末裔達だが魔女に魔力の利息を払えず、村の土地神は担保として魔女に封印されてしまい、そのせいで長子のモロッポは土地神の眷属神から呪いをかけられてしまったのだった。それ以来、村は魔石と魔薬の生産を課せられて、その収益を魔女の干渉する諸国に搬入されていたのだ。


 これらの背景は現領主は知らない事で、長い歴史の経過のうちにいつの間にか伝承は途絶えていたらしい。

 今回の事も魔石と人草を得るための魔女の工作で人類種を畜産同然に扱う不吉な話であり、社会秩序を乱す恐れがあったため一般に公表されることなく封印された。表向きにはモロッポ村は河川の決壊による洪水で滅んだと国内に向けて発表されている。



 真正魔女ドラドラや村娘ニシカが何者で何の目的があったのか、結局のところグロワには分からない。分からないし、現領主の仕える国王アニラにより直接の箝口令が敷かれたため誰か知恵者に相談しようにもなかなか口外し辛くなった。


 謎のモロッポ青年は何歳なのかも分からなくなってきたが、ある日、━━━━━突然領主の館の門前に停まった漆黒の馬車から降りてきた、中立連合国の王都の中央官庁司法省行政委員会から来たという黒服捜査員の人達にモロッポ青年が連行されて以降、彼はどうなったか分からない。

 取り調べの中でモロッポ青年がニシカを殴り殺したとの供述を聞いてグロワは気が変になりそうだったし、もう青年のことはどうでもよかった。



 駐在騎士ギリウスもそれらの諸事情に絡む極秘任務を受けてギルド結社幹部会と貴族会から派遣されていたのだが、その詳細は知らされていなかったため驚いていた。

 ギリウス自身がグロワに明かした内容では、ただ村人の監視と定期報告、そして魔物退治での魔石の大量貯蔵を任務としていたと言うのだがどうなのか。グロワの感では、ギリウスは村で魔女ドラドラを探していたのではないかと思っている。


 ちなみに、ギリウスが橋の上で大蛇に苦戦して見せていたのは付近の魔物をたくさん誘き寄せる為だったという。

 これは村人が不安がるからわざとやるのは問題のある方法なのだが、しかし魔石は魔物の死骸から取れる物もあるしし、仕事もまとめて片付くのでその方が効率が良いのだと。

 どうもギリウスは弱いと思われるのが嫌みたいで殊更このことをグロワに言って聞かせたが、グロワには別にどうでもよかった。




 生き残った村人や旅人達から漏れた魔女ドラドラ襲撃の噂だけが尾鰭をつけて一人歩きしてゆく。

 その後のモロッポ村はグロワが土地神を祀り直してポッキー村と改名して再興し、その守護を得て魔族から守られたため人が集まり、どこにでもある郷村の一つとしてそれなりに栄えた。ポッキーは隋神獣から眷属へと格上げしたようだ。

 それから魔女戦跡地の観光名所としてちょっと栄えたし、杏ジャムパンと石鹸が名物になってよく売れた。




 それから魔女ドラドラを探し求めて旅に出たグロワにギリウスがついて行き、諸国を経めぐる内にグロワは大生活魔法使いとして主婦層から絶大な指示を受けるようになり、それから何故か大陸史上最大の魔王戦に巻き込まれて鳴り物入りで参戦するも敗走し、難民とともに海外へ落ち延びてからも波乱万丈の人生を送ることになるのだが、それはまた別のお話である。


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)


以上は本編<――魔王を倒してサヨウナラ――>の外伝的なお話でした。

https://ncode.syosetu.com/n9595hc/

大不人気小説である本編は未だ序章から進んでおらず、しょっちゅう悩んだ末に書き直したりして内容が変わったりしますw

また変わりますたぶん。


ちなみに本編にはグロワ達はまだ未登場ですが、

ワタルリが序章から抜け出せればいつかニアミスするかもしれません


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