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婚約者様と新たな門出2


 従者たちみんなも揃って移動し始める中、ローズだけはその場から動かなかった。ハシントンの視界に入るなという言いつけを守れなかったため、これ以上、行動を共にするのは避けた方がいいと考えたからだ。

 しかし、ほどなくして、離れていった一段からミレスティだけがローズの所へ戻ってきた。


「ローズ、お使いに行ってきてちょうだい。オリントの洋菓子店でベリーチップのタルト……いえ、シナモンシュガーのカップケーキが美味しいと評判ね。それをふたつほど。あとは侍従長とやり取りしてちょうだい。決して応接間には顔を出さないでね」

「オリントの洋菓子店」


 ローズは聞いた店名を繰り返しながらも、その前にこれを片付けなくてはと、足元に転がっているバケツに視線を落とすが、それに気づいたミレスティがすかさず注意する。


「そんなもの後回しでいいわ。さっさと着替えて行ってきてちょうだい」


 ローズに断るという選択肢はなく、ミレスティに「わかりました」とこくりと頷く。それにミレスティは気だるげに短く息をついてから、くるりと踵を返し、ハシントンの方へと走り出した。


「ローズはどうかしたの?」

「いえ、なんでもございませんわ。お気になさらないで」


 その場から動かないローズを気にするハシントンに、ミレスティはにこやかに答えて、「さぁ、屋敷の中へ」と促した。

 ローズはミレスティや王子が視界から消えるのを、その場に立ち尽くすようにして待った。

 それから、邪魔にならないようにバケツを道の端に避けてから、自分の部屋である屋根裏の物置小屋へと、いったん戻る。

 部屋にいた精霊たちから心配そうな視線を受けて、ローズは「平気です。ちょっと水がかかってしまっただけですから」と心なしか疲れたようにも見える笑みを浮かべた。

 ミレスティのお下がりの簡素なドレスに着替えて、休憩する間もなく部屋を出る。

 侍従長から「庭の掃除がまだ終わってないじゃない」と小言を言われつつ、苦笑いでお金を受け取ったあと、久しぶりにひとりで屋敷の外へ出ることに胸を高鳴らせながら、足早にセレイムル家を出た。




 オエントの洋菓子店までは、歩いて十五分ほどだったとローズは記憶している。

 道を行き交う馬車や、声高に呼び込みがされている賑わう店先など、こういう時にしか屋敷を出られないローズは、興味深くそれらに目を向けつつ、記憶を頼りに歩いて行く。

 しかし、しっかりと道に迷ってしまい、道ゆく人に店の場所を聞きながら、二十五分ほどかかって店に到着する。

 オレンジ色の屋根に丸みを帯びた出窓など、可愛らしい外観の店の前にある小さな看板に『オリントの洋菓子店』と書かれてあるのをしっかりと確認してから、少しそわそわしながらローズは店の中へと入っていった。

 本店は隣国のシェリンガムにあり、店主、オリントは若い頃に多くの国へ赴いては、菓子作りの勉強をしてきたこともあり、美味しいと評判だ。混雑気味の店内を進み、商品が並ぶショーケースの前までやってきて、うっとりとしたため息をつく。


「どれも美味しそうですね。このマロンクリームのタルトなんて、絶品に決まっていますわ……あぁ、美味しそう」


 半ばガラスに張り付く形で、ローズは「美味しそう」を繰り返していたが、途中ではたと気づく。


「わたくし、何を買ってくるように言われましたっけ? ベリー? チョコ?……大変、全く思い出せません」


 違っていたらミレスティから大目玉を喰らうのは明らかで、ローズは顔を青ざめさせた。

 必死に思い出そうとするが、その間の記憶がすっぽり頭から抜けてしまっていて、どうしようもない。途方に暮れつつも、ローズは自分が一番惹かれているマロンクリームのタルトをちらりと見た。


「マロンクリームなら、見た目からしてもう絶対に美味しいに決まっていますし、これを買っていけば許される……なんて考えは甘いでしょうか」


 ブツブツと真剣な顔で呟いていると、ローズの横に並び立った男性が、ショーケースの向こうにいる店員へと声を掛けた。


「マロンクリームのタルトふたつ」


 聞き覚えのある声にローズはわずかに目を大きく開いて、ゆるりと横へ視線を向ける。


「あら、あなたは」


 ローズの横に偶然並んだのは、半年前にハシントンの誕生日パーティーで会ったあの黒髪の男性だった。

 男性もローズのことを覚えていたようで、無言のまま驚きで目を丸くしている。


「お前、あの時の! 元気そうだな!」


 続けて、男性の肩に座っていた精霊が、明るい笑顔と共にローズに声をかけてくる。ローズはどちらに向かって言ったとも取れるように「ごきげんよう」と言葉を返した。


「あなた様は、やはりマロンクリームのタルトなのですね。わかります。とっても美味しそうですものね……困りましたわ、どうしましょう」

「気になるなら、お前もマロンクリームのタルトにしたら良いだろう」

「……あ、いえ。わたくし、お遣いを頼まれましたの。でも何を、頼まれたのか、うっかり忘れてしまいまして」


 ローズは首を小さく横に振って否定した後、その首をわずかに傾げて困り顔になる。それをじっと見つめて、男性がやや確信めいた口調でぽつりと問いかける。


「あの従姉妹にか?」

「え、えぇ。そうなのです。よくお分かりになりましたね。ハシントン様が屋敷にお見えになっていまして、それでミレスティに買ってきて欲しいと」

「ハシントンか。それなら、マロンクリームのタルトで喜ぶと思うぞ。昨日ちょうどこの店の話になって、新作を食べたいと言っていたから」


 何気なく飛び出した有力な情報に、ローズはパッと表情を明るくさせた。


「それは良いことを聞きましたわ……でも、先ほど、おふたつ注文されていましたわね。それってあなた様と、ハシントン様の分では?」


 思い出したように、男性の注文を受けて準備している店員へと目を向けると、精霊が男性の広い肩の上ですくっと立ち上がる。


「ひとつはハシントンじゃなくて、俺の分だ!」

「そ、そうでしたのね。失礼いたしました」


 精霊に怒られるも、ローズは苦笑いで謝罪したあと、改めて男性と向き合う。


「あなた様はハシントン様と仲良しのようなので、その言葉信じますわね。マロンクリームのタルトをふたつ、お願いいたします」


 続けて店員に注文した後、ローズは思い出したように侍従長から渡された金額を確認し、「良かった足りましたわ」と、ほっとした声で呟く。

 男性はその様子もじっと見つめていたが、「お待たせいたしました」と箱詰めが終わった店員から声をかけられると、表情ひとつ変えずに話しかけた。


「すまない。追加で、同じものをもうひとついただけるか? それは箱を別にしてもらいたい」


 店員が「かしこまりました」と頷き、踵を返すと、男性は再び自分の傍にいるローズへと視線を向ける。うっとりした様子でショーケースの中に並んでいる洋菓子を見ている彼女に対してなんとも言えない顔をし、歯痒そうに小さく息をついた。

 ローズはマロンクリームタルトの入った箱をしっかりと持って、男性と精霊と共に店を出た。

 邪魔にならないように店の前から少し離れたところで足を止めると、ローズは男性に向かってにこりと笑いかけた。


「とても困っていたので、助言ありがとうございました。それでは、ごきげんよう」


 そのまま歩き出そうとしたが、男性に「ちょっと待て」と呼びかけられ、不思議そうな眼差しを返す。


「ほら、やるよ。食べろ」


 差し出された小さなケーキの箱と、男性の顔を交互に視線を向けていたローズは、言葉の意味を噛み締めるように、徐々に目を輝かせていく。


「……わっ、わたくしにくださるのですか?」

「あぁ。そのふたつはハシントンと、従姉妹の分なんだろ? お前も食べたいはずだ」

「たっ、食べたいです!」


 わずかに震える手でケーキの箱を受け取ると、ローズは嬉しくて目に涙を浮かべる。


「こ、これは追加で買われたものですよね。見ず知らずのわたくしなんかに、このような施しをくださるなんて。本当にありがとうございます! 嬉しいです。このご恩は一生忘れません」


 繰り返し頭を下げるローズに、男性は「大袈裟だ」と笑ったが、彼は表情を改めて、真剣な面持ちとなる。



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