掴んだのは温かな未来3
それに応えるように、ローズとミアは共にアデリタに向かって手を伸ばし、ほぼ同時にアデリタを捕らえている膜に触れる。そのままローズは膜の中を光の魔力で満たし、ミアは風の魔力で膜の表面を切り裂こうと試みた。
やがて膜に亀裂が生じ、そこから、蛇のような形となった穢れが勢いよく飛び出してくる。距離を置いて見ていたハシントンたちは、穢れのそのような形態を初めて目にしたため言葉を失うも、ローズは前回同様、躊躇なく蛇形のそれを掴み取り、力一杯ぎゅっと握りしめた。ローズは目を閉じて意識を集中させ、うねうねと抵抗する穢れを光の網で捕えた。
すると、アデリタを覆っていた膜の中から、もう一体の蛇形の穢れが姿を現す。
ゆらりと高く首をもたげたそれはローズに狙いを定め、弾かれたかのように勢いよく向かっていった。
「ローズ!」とハシントンは焦った声で叫ぶが、当のローズは落ち着いた様子で、ゆっくりと目を開け、空いている方の手をそちらに向かってかざす。
穢れがローズに到達するよりも早く光の網が出現し、難なくそれを捕獲することに成功する。
「一筋縄ではいきませんわね」
持っていた穢れと、飛びかかってきた穢れを足元に並べて、ローズはぼやいた。目の前の穢れ二体は、穢れの昇華速度が遅く、なかなか小さくならない。シェリンガムの時のようにいかないのは、穢れの濃さの違いかしらとローズが思いを巡らせていると、ミアが「アデリタ様!」と声をかけながら、ぐったりと横たわる彼女の元へ舞い降りた。
「本当に鎖に繋がれている。……信じられない! 早く鎖を外して! アデリタ様を解放してよ!」
アデリタが足を鎖で繋がれているのを確認し、ミアは怒りを露わにする。声を荒げて訴えかけるも、エドガルドやミレスティは動こうともせず、さらに怒りを募らせた。
ローズは鎖を両手で掴んで、引きちぎれるかどうか試してみるが、壊れそうもない。
「鍵は……いただけませんでしょうし、魔力でどうにか切れないでしょうか?」
敵意を込めて自分を見ているミレスティたちから目を逸らした後、斧があれば、あるいは魔法ならといくつか方法を考えながら、ローズがミアに相談すると、代わりにハシントンが答えた。
「その鎖は錬成術によって作られたものだから、魔力の耐性がある。……実は、僕も一度試してみたけれど、無理だったよ」
最後に声を顰めて打ち明けられたことに、ローズも「そうですか」と困り顔で呟いた後、気持ちを切り替えるように、あらためてアデリタと向き合った。
「ひとまず鎖は後回しにしますわね」
宣言するなり、ローズはアデリタへと両手を伸ばす。彼女を守りたいという一心で、光の波動を送りつづけた。
幾度となく、ローズを中心として四方八方に温かな風が吹き抜けていく。やがて、青白かったアデリタの顔に赤みが戻り、彼女はゆっくりと目を開け、ローズとミアの姿を捉えた。
「……あなたは」
小さな声を響かせて、アデリタが上半身を起こすと、遠巻きに見守っていた精霊たちが涙を流しながら一斉にアデリタの元へやってくる。
その光景にローズは安堵の息をつく。まだ足元で形を保ったままの穢れへと視線を落とした時、ハシントンが褒め称えるよう手を叩いた。
「ローズ、君はなんて素晴らしいんだ! 心からの感謝を!」
ハシントンは興奮した様子でローズを抱きしめようとするも、ローズはにこやかに笑いながらさらりとその手を交わし、適度な距離を置く。
そんなふたりの様子を見ていたミレスティが「ちょっと!」と食ってかかろうとするものの、それをエドガルドが手で制した。それからエドガルは歩を進めると、そばに来た叔父に怯えるローズの横から、アデリタを見下ろした。
「国守りの精霊よ。今すぐ空の穢れを取り払い、元の温暖なアルビオンへ戻すんだ! 早く自分の役目をこなせ」
エドガルドの求めにアデリタは泣きそうな顔をし、こくりと頷く。その場に座ったまま、両手を合わせて、目を瞑ったその瞬間、ローズが口を挟む。
「お止めください、アデリタ様。そのような状態で力を使ったらいけません。今は絶対安静……」
「黙れ、ローズ!」
エドガルドに一喝され、ローズは体を強張らせて、言葉を飲み込む。そんな彼女の横顔を見つめながら、ハシントンも暗い声で話し出した。
「エドガルド公爵の言うことも一理ある。アデリタに頑張ってもらわないと、国民たちを守れない。ここ最近の気候の変動で、このままでは食糧不足に陥る可能性が高いんだ」
「……それでも、十分な回復もしないままに、搾取し続けた結果を、今さっき目の当たりにしたはずです。アデリタ様の回復が最優先だとわたくしは思います」
なんとか自分の考えを主張できたが、すぐにローズは不安に陥っていく。アデリタをここに残していったら、彼女は求められるままに力を使い、弱ったところを再び穢れに飲み込まれてしまうだろう。
聖女院側に、回復してあげようという気持ちがないのか、それとも、能力の高いアデリタを回復し続けられる人材がいないのか。
どちらしても、このままでは同じことの繰り返しにしかならず、それを回避するにはアデリタをシェリンガムに連れて帰るしかないという結論をローズは頭の中で導き出した。
「その鎖、やっぱり邪魔ですわね」と、ここからどうやって逃げ出すかを、ローズが悩み始めた時、ハシントンがローズの手を掴み取った。
「でもそれもきっと大丈夫だよ。ローズ、君がいるんだから。アデリタは君が回復させればいい。アルビオンの大聖女となってこの子の、そして僕のそばにいてほしい」
「ちょっと待って! 大聖女になるのはこの私よ。ハシントン様のそばにいるのも私!」
慌てて前へ出てきたミレスティをハシントンは冷たい顔で見つめ、厳しく言い放った。
「ごめん、ミレスティ。やっぱり僕は花嫁として迎えるべき女性を間違えていたみたいだ。君との婚約は今ここで解消させてもらう。ローズ、ぜひ君を僕の花嫁に……」
「ハシントン様! 今更白紙だなんて、そんなの納得できません! 絶対に嫌です!」
「わたくしも嫌ですわ! 絶対にシェリンガムに帰りますから!」
ミレスティと同時にローズも反対の言葉を発したことで、ミレスティとハシントンは面食らった様子でローズへ視線を向ける。
戸惑う空気の中、アデリタがわずかに目を輝かせて、ローズに話しかけた。
「あなたはシェリンガムから来たのですか?」
「ええ。しかもわたくし、つい最近、バレンティナ様とお会いしましたわ。アデリタ様のことをとっても心配されておりましたよ」
「ああ、お母様。……会いたいわ。私もシェリンガムに帰りたい」
シェリンガムにいた頃を思い出し、恋しくなったアデリタは両手で顔を覆う。その悲痛な様子にミアは心が痛むのを感じながらも、アデリタの肩に励ますように手を置く。
「アデリタ様、一緒にシェリンガムへ帰ろう!」
「それはだめだ!」
強く却下してきたエドガルドの迫力に、ミアは少しも臆することなく、睨み返す。
「国守りと名付けられてはいても、精霊は人間のために存在しているわけじゃない。受けた恩恵を当然のこととして何も返さない国に、アデリタ様に守ってもらう資格なんてない!」
小さな体には見合わないほどの威圧感を放つミアに、エドガルドは悔しげに顔を歪めた。
「何を偉そうに。精霊の分際で」
そして、憤りを込めてそう言葉を吐き捨てると、自分の背後にいる聖女院の人々へ視線を送る。いつの間にかミレスティの隣にエマヌエラが立っていて、その周りには聖女院の関係者だろう制服姿の男性たちが何人か立っている。しかも男たちは屈強な体格で、腰元には剣が携えられていた。
そんな男たちも気になるが、ローズはエマヌエラが持っている鳥籠のようなものをじっと見つめる。あれはなんだろうと不思議に思ったその時、ミアが小さく悲鳴を上げた。