掴んだのは温かな未来2
「やめろ、ミレスティ!」
「ハシントン様、なぜ止めるんですか!」
「さっきも言っただろう。俺がローズに頼んで、アルビオンに帰ってきてもらったんだ。帰国に関しての不満は僕への不満も同然だ。しかもその精霊は上位精霊。君こそ、言葉を慎んでくれ」
さすがのミレスティもハシントンにきつく言い渡されてしまえば口を閉じるしかなく、胸を張ってニヤリと笑ったミアに拳を握りしめる。
しかし、おどおどした様子のローズを守るかのように、彼女の傍らへと戻ったハシントンの姿を見てしまえば、一気に不満が膨らみ、やはり黙っていられない。
「どうして、ローズに帰ってきてもらう必要が? セレイムル家……いいえ、アルビオンを捨てた女ですよ?」
ミレスティは話を大きくさせてローズを責めることを正当化しようとしたが、ハシントンには通じない。
「それは君が一番よくわかっているだろう。国守りの精霊を助けるために、誰が一番の適任者かって」
ハシントンの眼差しは、「それはミレスティではなく、ローズだ」と語っている。自分の方が優れているという自信を揺らがされ、ミレスティは呆然とした。
もうひとり、信じられないと顔色を悪くさせたエマヌエラが、金切り声と共に口を挟んでくる。
「ハシントン様、それは聞き捨てなりません! ミレスティは大聖女となる身です。我がパーセル家の優秀な能力を強く受け継ぐこの子が、そのような娘に劣るわけがない。だいたい聖女見習いでもないこの娘に何ができるというの?」
エマヌエラの主張に、共にいた聖女宮の聖女たち数人が「そうよ!」と同意し、ミレスティも自信を取り戻すかのように力いっぱい頷いてみせる。
「国守りの精霊には我々聖女宮がついています。お前の出る幕はない! シェリンガムにでもどこでも、さっさと帰るといい!」
黙って聞いていたエドガルドは「ちょっと待て、少し冷静になれ」とエマヌエラに声をかけるもまったく届かず、エマヌエラとミレスティは早く出ていけとばかりにローズを睨み付ける。
ふたりから突きつけられる険悪な視線に、心が萎縮して動けなくなったローズの前に、ハシントンが進み出た。
「パーセル家は確かに優秀かもしれない。けれど、あなた方が聖女宮を仕切り始めてから、他家の優秀な者をことごとく排除するようにった。その結果、聖女宮は存在感ばかりが増すだけで、実質、能力は衰退しているように僕には思える」
「ハシントン様、パーセル家を侮辱するおつもりですか?」
「だって、そうだろう。実際、国守りの精霊を守れていないのだから……違うというのなら、今すぐ穢れを完全に祓い、精霊も回復させてみよ」
憤りで声を震わせたエマヌエラに、ハシントンは強い口調ではっきり告げる。
エマヌエラは言い返せずに口ごもり、その場が静まり返る中、ハシントンのローズを庇うような態度に、ミレスティは怒りを煮えたぎらせていく。
「ローズならできると言うの? だったら、やってもらおうじゃないの」
真っ直ぐ自分に向けられた怒りに、ローズは思わず息をのむ。ミレスティの迫力に飲み込まれそうになっているローズの肩に、ミアはそっと触れて、力強く言い放つ。
「やってみせようじゃない。気合を入れて行くわよ、ローズ!」
ミアの勝ち気な眼差しと微笑みを見ているうちに、ローズにいつもの笑みが戻ってくる。大きく息を吸い込んで、ローズも「行きましょう!」と明るく答えた。
ローズとミアは、エマヌエラとミレスティの横を通り過ぎ、そのまま庭の奥を目指して進み始めた。
その瞬間、近くの木の枝が軋む音が響き、続いて葉が揺れ、ガサガサと大きく音を立てた。穢れかと思わず足をとめて身構えたローズを、数体の精霊たちが一斉に取り囲んだ。
「ローズ!」と叫び、精霊たちの突然の行動に警戒した様子で素早く歩み寄ってきたハシントンを、ローズは平気だというように手で制した。
「皆さんは……確か、アデリタさんのそばにいた精霊さんたちですわね」
精霊たちは目に涙を浮かべている。中には泣きながらローズに抱きついたり、先を急かすようにローズのドレスを引っ張ったりする者もいた。
「ミア、通訳をお願いできますか?」とローズから助けを求められて、ミアはもちろんといった様子で、寄り添うように精霊たちへ近づいていく。精霊たちの必死の訴えに、ミアは真剣に耳を傾けた。
「穢れが濃すぎて、みんな、アデリタ様の元へ近づけないみたい」
そこでミアは、信じられないと衝撃を受けたように目を大きく見開いた。
「アデリタ様が鎖で繋がれているって嘘でしょ? だから、一緒に逃げたくても逃げられない。アデリタ様だけあの場に残してきてしまって、心配でたまらないって」
ミアはそれが本当なのかどうなのかを問いかけるように、エドガルドやエマヌエラなど聖女宮の制服を身に纏った人々へと視線を向けるが、みんな一様に黙り込み、言葉を返さない。
「呆れた人たちね……みんなはここで待っていて……ローズ、急ごう!」
エマヌエラたちをじろりと睨みつけてから、ミアは言い聞かせるように精霊たちに言葉をかけ、ローズを急かして再び進み始める。
「精霊たちは、ここにいる誰よりも、ローズを頼りにしているようだね」
自分のそばに近づいて来ていたミレスティに気づき、ハシントンは呟く。その言葉に、悔しげに唇を噛んだミレスティを冷たく横目で見てから、ミアを狙って影を伸ばしてくる穢れを素早く手で叩き落とすローズの横へと、ハシントンは向かっていった。
「こっちから行った方が近い」と道案内を買って出てくれたハシントンに、ローズは「ありがとうございます」とにこやかに笑いかけるものの、エドガルドと言葉を交わしたエマヌエラが引き返していくのを目にした後、ミレスティから怒りの眼差しを向けられていることに気づき、小さく身震いした。
ハシントンを追いかけ進んでいくと、アデリタのいたあの場所へと続く見覚えのある木製アーチが視界に飛び込んでくる。
「あれからそんなに経っていないのに、随分穢れが濃くなってしまっていますわね」
ローズの独り言と共にミアが表情を強張らせると、ハシントンが気まずそうに肩越しに振り返った。
「光の魔力は、生まれ持った素質がないと会得するのが難しい。残念ながら、僕にはその素質が少しもなくて、聖女宮に頼りきりになってしまっていた。すごく後悔している」
「誰しも、得意不得意がありますもの。ハシントン様は他に出来ることがあるのですから、そちらで誰かを助けてあげれば良いのです。気に病むことは全くありませんわ」
にっこり笑ってローズが自分の考えを述べると、ハシントンは「ローズ」と嬉しそうに呼びかけ、表情を和らげた。
「問題は、得意だと言い張って自分の非力さを認めようとしない方々ですわ」
ローズはため息混じりに指摘してから、木製のアーチをくぐり抜けた。視線の先にはアデリタの寝床となっていた絡み合う三本の木がある。影でブレて見えるほどに、木は穢れに覆い尽くされていて、人々が足を止めてしまうほど禍々しい見た目だ。
ローズも足を止めそうになるが、あの木にアデリタが囚われていると考えれば、立ち止まってはいられない。
行く手を邪魔するように傍らの茂みから穢れが襲い掛かってくるものの、ローズはそれを先ほど同様、次々手で叩き落としていく。
「ミア。わたくしから離れないでくださいね」
ローズはミアにそう声をかけると、大きく息を吸い込む。穢れの森で行ったように両手を広げて、光の波動で場の浄化を行なった。
それだけで、三本の木以外の穢れを一掃したことに、間近で見ていたハシントンはもちろんのこと、ついて来ていたミレスティとエドガルドは圧倒され言葉が出ない。
ローズは小さく息をついた後、まだ穢れが残り、蠢いている三本の木を真っ直ぐ見据えて、それに向かってゆっくり歩き出す。
枝が絡み合って巣のような寝床となっているそこを覗き込み、ローズとミアは息をのむ。アデリタの姿は確かにそこにあったが、彼女は楕円形の薄い灰色の膜の中にいて、ぐったりと横たわっていた。
痩せほそり、生気があまり感じられないが、胸元が微かに上下しているため、弱々しく呼吸をしているのが見て取れる。
「アデリタ様!」
ローズとミアの必死に呼びかける声がアデリタに届き、彼女は薄く目を開けて、助けを求めるように、ふたりに向かって震える手を伸ばす。