歩き出した道7
嵐が去った気分でローズはふうと息を吐くと、「運んでしまいましょう」ともうひと袋残っていた果物入りの袋を抱え持った。
難しい顔で歩を進めていくローズを横目で見ながら、ミアも共に台所へ、そして袋を置いた後は居間へと共に移動する。
「アデリタ様は大丈夫かしら。ハシントン様はあんな風に言っていたけれど、聖女院がついているのだし……不安ですわね」
ハシントンの誕生日に目にしたアデリタの様子がひどかったのを思い出して、ローズは不安に陥っていく。
自分が出ていったところで状況を改善できるはずがないと諦めてしまいたい気持ちと、でも行けば何かできるかもしれないと、このまま見過ごすのを躊躇う気持ちが、ローズの心の中でせめぎ合う。
少しくらい様子を見に行きたい。ここからアデリタの元まで、三日あればたどり着ける。大急ぎで馬を走らせたら、もう少し時間を短縮させることだって可能だろう。
すぐに戻ってくれば、バレンティナの試練最終日に間に合う。そこまで考えて、ローズは思いの結晶が溜まった瓶へと目を向け……ふるふると首を横にふる。
それでは意味がない。これまで以上に必死になって思いの結晶をためなければ、べネッサに追いつくことも、ましてや追い越すことなんて不可能だ。それには、絶対にこの地に留まる必要がある。
ミアが勢いよくローズの目の前に飛び出してきて、何かを訴えかけるような素振りを見せた。ローズは「アルビオンに行きたいだなんて考えていないでしょうね」と言われているように感じ、慌てて両手を横に振って否定する。
「わたくし、行きませんわ。今のわたくしが一番にしたいことは、ミアを国守りの精霊にすることですもの! ……そろそろ休憩も終わりにして、皆さんを迎え入れる準備を致しましょう」
ローズは身を翻そうとしたが、ミアに髪を掴まれ、動きを止める。ローズがミアに視線を戻したその時、必死に何かを訴えかけている様子だったミアの体が輝き出し、ふわりと温かな光を放った。
「ローズ!」
ミアに呼びかけられ、ローズは驚いて目を大きく見開いた。
「まあ、ミアの声がしっかり聞こえますわ! 上位精霊に進化なさいましたのね! すごいですわ!」
「行こう、アルビオンへ」
「ええ、ふたりならどこへでも行ける気が……え? 今、アルビオンとおっしゃいましたか?」
にこやかに話を続けたローズだったが、ミアから飛び出した言葉に、再び驚いた顔となる。
「アデリタ様を放っておけない。ローズはそう思ってるんでしょ?」
「正直、様子を見に行きたいです。わたくしに出来ることがあるなら、なんでもして差し上げたい。でも、行けば試練を放置することになります。思いの結晶をためられなければ、ミアを国守りの精霊にしてあげられません」
ミアはローズと視線の高さを同じにし、にこりと笑いかけた。
「大好きなバレンティナ様のような国守りの精霊になりたい。心の底からそう思っているけれど、……今はローズの気持ちを優先したい。私はローズに選んでもらえて嬉しかった。ローズが私の力になろうと頑張ってくれたから、私も頑張ろうと思ったし、実際、ここまで頑張れた。ここからは私がローズの力になる番」
力強くそう言ってくれたミアに、ローズの胸は嬉しさでいっぱいとなり、微笑み返す。一方で、ミアは思い出したようにハッとし、困ったようにおろおろする。
「でも待って、行ってしまったら、ローズをジェイク様の正妃にしてあげられなくなるのよね。どうしよう。それは嫌だ」
「わたくしは、正妃になれなくても構いません。使用人としてお仕えする身となったとしても、ジェイク様のお側にいられるのなら、わたくしは幸せですから」
「使用人だなんて! ジェイク様はローズを気に入っているもの。きっと妃に迎えてくれるわ。国王夫妻にも、ローズを第二妃にってお願いするし」
元々、ジェイクには妃として求められていない。だから、そんな自分が妃となることを望んではいけないようにローズは思っていた。
「ジェイク様に娶っていただけたら、これ以上の幸せはありませんね」
ジェイクの妃となる手の届かない未来を想像し、ローズは少し寂しくなりながらも、自分のために必死に方法を考えているミアににこりと微笑みかけた。
「わたくし、ミアとペアを組めて良かったですわ! 知ってしまった以上、知らんぷりはできませんわね! 行きましょう、アルビオンへ!」
ローズはミアと顔を見合わせて、力強く頷き、決意を固めた。
日が暮れてから、ジェイクは胸騒ぎを感じ、いつもよりも早く、フェリックスと共に屋敷へと帰った。
玄関の扉を開けて中に入るとすぐに、血相を変えたアーサが階段を降りてくる。
「ジェイク様!」
「どうかしたのか?」
「ローズお嬢様が」
ローズの名を聞いてしまえば、ジェイクは足を止めてなどいられず、すぐさまアーサに駆け寄る。
「ローズがどうした」
「これを」
差し出された紙を素早く受け取って、ジェイクはそこに書かれている文字へと視線を落とす。
『親愛なるジェイク様。わたくし、いったんアルビオンに戻ります。アデリタ様の具合が芳しくないらしいのです。相談もせず、勝手に決めてしまってごめんなさい。様子を見たら、すぐにあなたの元へ戻ってきます。わたくしの居場所はここしかありませんから』
その後に続く、『もし仮にですが、わたくしの戻りが遅いようなら、迎えに来ていただけると、大変助かります』という一文には二重線が引かれている。
ローズの置き手紙をひと通り読み終えると、アルビオンからの来たハシントンの使いか誰かが、ローズと接触したのだと考え、しまったというように前髪をかき上げる。アーサに手紙を返し、素早く玄関へと引き返した。
「ジェイク様!」と不安そうに呼びかけてきたアーサに、ジェイクは肩越しに振り返り、ひと言返す。
「俺はローズを追いかける」
フェリックスと共に、ジェイクが慌ただしく出ていった後、アーサは「お願いします」と切に呟いた。