歩き出した道5
味わうように食事の手を進めていく途中で、ローズは思い出したように、瓶の方へ目を向け、ゴホッとむせ返った。慌てて水を飲み、ジェイクに驚きの眼差しを向けた。
「思いの結晶が、半分以上、溜まっていますわ!」
「短時間で溜めることができたのは、人々の困りごとにローズさんがしっかり答えられているからよ。努力の結果ね」
「王妃様!」
感心した様子で室内に入ってきた王妃の姿に、ローズは笑顔で立ち上がったが、数秒後、困惑の面持ちとなる。
「……大丈夫ですか? どこかお怪我をされていたりはしませんか?」
血は滲んでいないものの、王妃のドレスが所々切り裂かれている。あの聖樹と格闘してきたのがよく分かる姿で、王妃は満足げな表情を浮かべた。
「お手上げ状態だった穢れの森をあれほどまでに浄化してくれるなんて。聖樹が本来の姿を取り戻せた今、あの森はもう大丈夫。すぐに人々の、精霊たちや動物たちにとっても癒しの場となることでしょう」
数日後には元に戻ってしまうだろうくらいの気持ちで、ローズは森の浄化に当たっていたため、王妃の言葉に驚きを隠せない。
「穢れは、もう大丈夫なのですか?」
「聖樹は穢れを取り込んで、浄化してくれる存在ですから、もちろん聖樹の管理を怠ってはなりません。けれど、土や空気や池と、森全体を完全に浄化してくれたお陰で、聖樹が生き生きと輝き始めていて、今までのように穢れに乗っ取られるようなことはないでしょう」
ホッとしたローズの手を、王妃は包み込むように両手でそっと掴み取った。
「これで増えすぎていた穢れに狂わされた獣の数を一気に減らすことができます。ローズさんにはいくら感謝してもしきれないわ。動物たちが池の水を飲みにきていましたし、精霊たちが花を植えにきている姿もすでにいくつか見かけましたよ」
「王妃様にそう言ってもらえて光栄です。わたくしの大好きなこの場所が、人も精霊も動物も関係なく、みんなが安心して暮らせる所であり続けて欲しいと思っております。だからわたくし、これからもお手伝いさせていただきたい。ただそれだけですわ」
ローズからの心のこもった言葉に、ジェイクとフェリックスとミアは、嬉しそうに微笑む。王妃もローズを優しく見つめ返し、手をぎゅっと握りしめる。
「バレンティナも気づいているだろうけど、このことはしっかり報告させてもらいます。もちろん、ジェイクの正妃にどうしても欲しいと個人的感想も添えてね」
最後に王妃からウィンクを投げかけられ、ローズは苦笑いを浮かべた。
「母さん、ローズにプレッシャーを与えないでくれ」とジェイクが苦言を呈したとき、アーサが「ローズお嬢様に見てもらいたいという皆さんが、詰めかけて来ております」と部屋に飛び込んできた。
「私が入ってきた時も、すでに玄関前に列が出来ていましたし、ローズさんは大人気ですね。この調子で、試練の最終日まで諦めずに頑張って欲しいわ。どのような結果を迎えるか、楽しみにしているからね」
王妃はローズに真剣に訴えかけてから、「忙しいでしょうし、私は失礼しますね」と言って、部屋を出ていった。
ローズもミアへと振り返り、「さあミア! 今日も頑張りますわよ!」と元気いっぱいに声をかけた。
町の人たちの穢れを払ったり、傷を癒したりして、ローズが忙しない日々を過ごすうちに、清らかな場所へと変わった穢れの森には、動物たちが住み始め、散歩をする人々の姿や、池のそばでのんびりくつろぐ精霊たちの姿をよく見かけるようになった。
ローズの活躍が話題になる中、明らかに治療目的ではないひとりの男性が、屋敷へとやって来た。
ミアには見覚えのない男性だったが、その男性を見た瞬間、ローズの顔色が変わったことから、あまり歓迎しない知り合いなのだと察する。アーサが外出中のため、自分がローズを守らねばと、ミアは警戒するように男の動きを見つめる。
玄関から屋敷の中へ入ったところでエドガルド・セレイムルは足を止め、帽子を被ったままローズに要件を突きつけた。
「ローズ、今すぐアルビオンへ、いいや、我が家に戻りなさい」
叔父が自分の元へやってきた理由に、ローズは眉根を寄せて、拒絶の意を示す。
「……どうして戻らねばなりませんの?」
「ミレスティが思うように力を発揮できずにいる。このまま大聖女になれないなんて事態に陥れば、ハシントン様の花嫁になる話も白紙に戻され、我がセレイムル家の名に傷がつく。それだけはどうしても避けなければならない」
問いかけると、予想していた通りの言葉がエドガルドから飛び出す。ローズは目を閉じて、動揺が収まるのを待ってから、気持ちを強く言い放つ。
「お断りいたします。わたくしは、もう帰らないと心に決めてアルビオンを出ました。今のわたくしにはこの場所が我が家であることを理解していただきたいです」
渋られはしても、まさかここまではっきり断られるとエドガルドは思っていなかったようで、呆気に取られた後、苛立ったように舌打ちする。
「なんだその言い草は! お前は大人しく俺の言うことを聞けば良いんだ。さあ帰るぞ、手間を取らせるな」
エドガルドに腕をつかまれ、そのまま屋敷の外へ連れ出されそうになり、ローズは力一杯その手を振り払う。
「嫌ですわ! だって、わたくし、ミレスティの影となって生きていたあの頃に、もう戻りたくありませんもの!」
「大聖女となるミレスティの役に立てるんだぞ、何が不満なんだ!」
「望んでいないのだから、不満でしかありませんわ。そもそも、わたくしが手伝わなくては大聖女になれないと言うなら、辞退した方がよろしいのでは? その程度で国守りの精霊のパートナーが務まるとは思えませんもの」
「……お前、よくもそんなことが言えたな」
エドガルドの声音が一気に低くなったことで、言い過ぎてしまったとローズはハッとし、口を閉じた。エドガルドは怒りに震えながら乱暴にローズの腕を掴んで、再び連れて行こうとする。しかし、今度はミアがその手に齧り付いたことで、ようやくエドガルドはローズから距離を置いた。
「ローズ!」とエドガルドが怒りをぶつけた時、大きく戸が叩かれ、ギギッと音を立てつつ玄関の扉が開けられる。訝しげに中を覗き込んでいたのは、ブラウンさんだった。
「おいしい果物をたくさん収穫できたから、昼休憩が終わる前に渡そうと思って来たんだが」
さっきからずっと怒鳴っていたのはお前かとでも言うように、ブラウンからじろりと睨みつけられ、エドガルドは気まずそうに視線を逸らした。
エドガルドは果物の入った大袋を両手で持ったまま屋敷の中へ入り、守るかのようにローズの横に立った。
これ以上は話ができないと判断したのか、エドガルドはうんざりとため息をついてから、帽子を被り直して嫌味を放つ。
「今日のところは引き下がるとしよう……それにしても、ローズが王子の婚約者候補に本当になるなんて、シェリンガムも大したことないな」
ローズは面食らった顔をするも、ブラウンが「お前!」とエドガルドに向かっていこうとするのに気づいて、腕を掴んで必死に止めた。すると今度は、ブラウンの代わりを引き受けたとでもいう様に、怒りを爆発させたミアがエドガルドに掴みかかっていった。
「やめろ!」と何度手で払っても諦めないミアに追い立てられるようにして、エドガルドは屋敷を出ていった。
「何なんだ。あの失礼な男は」
「わたくしの叔父ですわ」
ローズの返答にブラウンは目を大きく見開き、わずかに押し黙る。
「叔父だったのか。……何か力になれることがあったら、言ってくれ」
「ありがとうございます。ブラウンさんとミアがいてくれてとっても頼もしいです」
ブラウンから果物が入った袋を受け取って、ローズは「とってもいい香りで美味しそう!」とにっこり笑う。そして、この後用事があるからと警戒しながら屋敷を出ようとするブラウンを、「ぜひ今度はお茶でも飲んでいってくださいね」とにこやかに見送った。