その手柄は、彼女のもの4
「のっ、覗き見なんてして、ごめんなさい。誓って、わたくしはあなたたちの敵ではありません。何か困っているのなら、精霊さんたちの力になりたいと思いまして」
警戒や攻撃態勢をとるのは、目と鼻の先からローズを睨みつけてくる男の精霊だけでなく、他の精霊たちも同様だ。
精霊たちは揃ってローズの動きを注視していたが、巣の中の女の精霊が苦しげに眉根を寄せて寝返りをうち、ゴホゴホと咳き込むと、精霊たちは慌てて彼女に寄り添い、労わるように背中を摩り始めた。
すると、他にも隠れていたらしい精霊たちが心配そうに木の傍に近づいてきた。
巣の中の彼女だけ身なりが違った。多くの精霊たちは、ローズが日常で目にするような簡素な装いをしているのに対し、彼女は先ほど大広間で貴族と行動を共にしていた精霊たちと同じく、綺麗なドレスを纏っている。
彼女がここにいる精霊たちを取りまとめている上位精霊だとするならば、ローズを警戒し、守ろうとする精霊たちの行動にも納得がいく。
『精霊たちが困っていたら、力を貸してあげましょう。精霊はローズお嬢様の良き友であり、仲間であるのですから』
親代わりとして慕っていたアーサから繰り返し言われた教えを、ローズは思い出す。
まさにアーサの言っていた通りで、彼女がいなくなり悲しんでいたローズに寄り添い、また助けてくれたのは精霊たちだけだった。
ずっと自分を支えてくれた存在だからこそ、精霊たちが人間の力を必要としている時は率先して手助けしようと、常日頃、ローズは強く思っているのだ。
「そこで苦しんでいらっしゃるのは、皆さんの大切な方なのですね……少しばかりですが、わたくしは光の魔力が使えますの。痛みや苦しさを和らげるくらいはできますから、彼女に近づくことを許してくださいませんか?」
心を込めて訴えかけると、ローズの真剣さが伝わったのか、精霊たちが道を開けるようにすっと横に退く。近づくことへの了承を得たと理解し、ローズはゆっくりと歩み寄っていった。
巣に横たわる彼女に近づけば近づくほど、肌寒さが増していく。
アルビオン国の温暖な気候は、精霊の恵みとされているため、今感じているこの異様な寒さは、もしかしたら彼女の具合の悪さが影響しているのではないだろうかと、ローズはふと考える。
「熱も高そうに見えますが、いつから体調を……」
問いかけの途中で、彼女の右足首が鎖で繋がれていることに気づき、ローズは言葉を失う。
拘束されている箇所には、古い傷の跡のようなものも見受けられる。それが拘束具を外そうと抵抗した跡のようにも見えてくれば、彼女はずっと前からこの状態なのではと思えてくる。
「……いったいどうして、彼女は繋がれているのですか?」
驚愕と共に問いかけると、周囲の精霊たちは訴えかけるかのようにざわつき出したが、ローズにはなに一つ言葉として理解することができない。
横たわっている彼女以外に上位精霊はいないようで、ローズは状況を説明してもらうことを諦めた。
城の庭でこのような状況に置かれている彼女を、国の機関であり精霊を保護する立場の聖女宮の人々が知らないはずがない。
それなのに、彼女は温かでもなく、清潔にも見えない寝床で横たわっていて、誰かに看病されているような形跡もない。
聖女宮が見てみぬふりをしているのか、それとも国王一家によって手出しできないように聖女宮へ圧力でもかけているのか。
「どちらにせよ、放置されていることに変わりはありませんね」
精霊の扱いや様子が、セレイムル家での自分に重なって見えて、ローズの心がズキっと痛んだその瞬間、彼女が激しく咳き込み始めた。
「正直言って、あまり自信はありません。けれどだからと言って、放ってもおけません」
ローズは強い決意を持って、彼女へと手を伸ばし、目をつぶった。
光の魔力の基礎的な使い方は、幼い頃にアーサにこっそり教えてもらっている。
ローズがうまくやってのけるとアーサは顔を綻ばせて褒めてくれたのだが、その一方で、「いまはまだ人前で披露しない方がよろしいかと存じます」と神妙な面持ちで繰り返した。
しかしまだ幼かったローズは、みんなにも褒めてもらいたくて、同じく習い立てでまだろくに光の魔力を扱うことができなかったミレスティの前で、ローズは怪我をした小動物を回復させてしまったことがあった。
もちろんローズの褒めてもらいたいという思惑は大外れとなる。
光の魔力に関して、パーセル家の血筋の自分達が誰よりも優れていると、強い誇りを持っているエマヌエラ、そして自分が一番でないと気が済まないミレスティの逆鱗に触れてしまい、ローズへの風当たりが強くなってしまったのだ。
それからローズは人前で力を使うことをしなくなり、最近では能力すら持っていないように振る舞っていたため、実際に発動させるのは久しぶりである。
アーサとの記憶を必死に掘り起こしつつ、なおかつ、最近ミレスティが光の魔力の練習をしていた時の所作も、頭の中で思い浮かべる。
広げた両手のひらに気持ちを集中させ、苦しげな呼吸と熱を帯びた小さな気配を感じとる。
頭の天辺やつま先から手へと気が流れ始めるのを感じ取れば、どくどくと鼓動が速くなっていく。
ふらりと足がよろめいて、ローズは目を開ける。歪んだ視界がわずかに時間を置いて元に戻ると、自分の手がうっすらと輝いていることに気づいた。その輝きが手から離れ、精霊の彼女を守るように包み込んだ。
練習でミレスティが苦戦しながら行っていたのと同じことをローズはやってのけて、これで多少は回復するはずだと固唾を飲んで様子を見守っていると、繰り返されていた咳が和らぎ始め、ホッとする。
しかし、周囲の薄暗さが濃くなり、一気に増した負の気配にローズはぞくりと背筋を震わせた。
上空で蠢いていた闇が黒いモヤとなって横たわっている精霊の元へと降りてくる。黒いモヤが、ローズが生んだ光ごと彼女の体を飲み込もうとしているのを見て、このままでは助けられないとローズは無我夢中で叫んだ。
「力よ、どうかわたくしの思いに応えて」
自分の中の光の魔力を呼び覚ますように唱えると、ローズは無我夢中で黒いモヤに向かって命令する。
「退きなさい!」
強い声音と共に、ローズの体全体が光を放ち出す。そのまま大きく膨らんだ光は、一瞬で弾け飛び、ローズを中心にし、全てを押し流すかのような風が吹いた。
時を少し戻して、ローズが囚われの精霊の元へ辿り着いた頃、ミレスティは不機嫌な足取りでバルコニーから庭へと降りた。
「ローズがいなくたって、ハシントン様は大して気にしないと思うわ。それなのにお父様ったら……」
ローズを庭へ追いやったあと、ミレスティは父親とハシントンの元へ向かった。
無事に再び言葉を交わすことが出来たのだが、ハシントンはローズの姿がないことに気に掛けている様子で、会話終わりには先ほどの様に、「ぜひおふたりに、僕のダンスのお相手をお願いします」と誘いの言葉を繰り返したのだ。
エドガルドは笑顔で了承する。そして王子が離れた後、娘からローズを庭へ追いやったと聞き、「ダンスが始まる前に、ローズを連れ戻してこい」と言い放ったのだ。
ミレスティは周囲を見回しながら「ローズ!」と何度か呼びかけるが、その姿はなかなか目の前に現れない。
見つけ出さなくちゃいけないことに面倒さを感じ、ため息をついた時、庭の奥から吹いてきたつむじ風に押され、ミレスティの足が後退する。
「今のはなに?」
風が強い魔力を孕んでいたことにミレスティが戸惑いの表情を浮かべていると、わざつき始めたテラスの方から、「空を見て」と女性の声が上がった。
つられて視線を上げたミレスティは、視界にとらえた光景に思わず息をのむ。
相変わらず空には薄暗い雲がかかっているのだが、なぜか庭の奥の上空部分にまるで大きく切り取られたかのように円形の雲間ができていて、そこに青空がのぞいている。
「……まさか、あの子、なにか余計なことでもしでかした訳じゃないでしょうね」
咄嗟にミレスティはローズの顔を思い浮かべ、眉間にしわを寄せた。
空の変化に気づきはじめた人々が大広間からテラスへと出てきて、騒がしさが一気に増したのをミレスティは肌で感じ取り、わずかに顔を青ざめさせる。
「早く見つけなくちゃ」
雲間から帯状の明るい光が降り注いでいる庭の奥へと、ミレスティは急ぎ足で向かっていった。